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クロスジェンダーキャスティングの難しさ〜『野外劇 ロミオとジュリエット イン プレイハウス』

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東京芸術祭2021のプログラムのひとつ。本来は西口公園のグローバルリングにて公開公演だったそうだが、感染症対策のためにプレイハウスへ変更。そのため指定席にする都合上か500円のチケット代。

チケット確認もあるし、屋内なのでいつもと同じ観劇と変わらない雰囲気なのだが、なるべく扉を大きく開いて野外劇の雰囲気を出すようにしていた。開演前から俳優たちが舞台上におり、ストレッチをしたり、アクションの確認をしており、これも野外劇の雰囲気を出そうとしていたのだと思う。蜷川さんがシェイクスピア、特にローマ劇でその雰囲気を出す時にも使っていた手法のようにも見えるが、あれはベテランの俳優が緊張感を持って「開演前の俳優を演じる」というメタ感覚を意識して成り立っていたので、今回は若い俳優さんが多いためかなあなあになって、本編にその雰囲気がつながって良くなかった。きちっと分けてあげたほうが彼らのためだったし、観客にも良かったのではと思う。もしやるなら、大道具や小道具などスタッフだけ「確認をしているように」見せる方がよかったかも。ライブ前のローディがチューニングしている時って、もうすぐ始まるぞっていうワクワクがあって楽しいじゃないですか、あの感じでいい。

今回はクロスジェンダーキャスティングで、「モンタギュー家(ロミオ側)をほぼ女性キャスト」「キャピュレット家(ジュリエット側)がほぼ男性キャスト」。これに関してはよかった面といまいちハマりきらなかった面が色々。

よかった面はロミオとジュリエットのお二人が若さを生かしてのびのび生き生きと演じたところ。特にロミオ役の川原琴響さんはポスターの写真だと(↑写真手前)ストレートロングの黒髪で一見ジュリエットぽく見えるのだけど、舞台ではポニーテールをサムライのようになびかせ、すらりとした体型を生かした爽やかなロミオに変身。しかし声もそのまま、メイクも特に男性的にしなかったことが、少年期の性別を感じさせない伸びやかさがあり違和感がなかった。阿久津仁愛さんは写真では宝塚男役のような雰囲気だったので、見た目はこっちのままがよかったのでは?と思った。舞台では金髪長髪のカツラをかぶり、メイクも濃いめでオネエっぽい。ただ年齢的に声も男性だし、その分フラットシューズを履いたり体型を隠すふんわり衣装にしたり、少女らしさを出すのに工夫していた。真面目な恋の台詞も危うくギャグっぽくなりそうなのも抑え気味にしたり、ジュリエットの抑圧された感じと少し重なって良いところもあった。川原さんとのコンビネーションや、乳母とのやりとりも相手をよく見ているなと思った。

ハマりきらなかったのは、この人男だっけ女だっけと気になって仕方なかった。「男女がほぼ分断され」「人はみな、望む性を自由に名乗れる」という設定で、いわゆる男女逆転ではなく、男性も女性もそのままの性別のキャストもあり、男女逆転もあり、はたまたトランスジェンダーのキャストの方もいたようである。それについては聞いた時は面白いチャレンジだなと思ったし、前日に見た森新太郎演出の『ジュリアス・シーザー』に続く「シェイクスピア作品は男性俳優に独占されているイメージを打破する」という点で良い機会ではとも思った。ロミオやハムレット役を演じるのに、そこらの男性俳優より演技の卓越した女優に演じさせた方が上手いこともある(常々松たか子が若いうちにシェイクスピアの主たる男性主人公を演じさせてほしい。絶対ハマると思っている)。

ただこの辺は演出の設定が弱かったのと、俳優側へのレクチャーが甘かったのが透けて見えた。男性を演じる女性も、女性を演じる男性もステレオタイプに落ち着いてしまっていた。特にアクションシーンは男性対女性(両方男性役)だと、体型差をカバーできてないので、殺陣を工夫すべきであったと思う。きちんと殺陣をつけるか、せっかくの近未来設定なのだから性差をカバーする武器とか出しても良かったのでは。剣術にこだわるなら中途半端なチャンバラではたとい男性俳優だとしても鼻白む。

望む性を選べるのならば、なおのことよくある「オネエっぽさ」は排除しても良かったのでは?もちろん表現としてそういう人もいても良いが、男性の姿のままで女性を表現する方法はあるはずである。

前日に『ジュリアス・シーザー』を見ていたので、どうしてもその解釈や演出の圧倒的な差が見えてしまい、残念な部分も多かった。予算・規模など諸々の事情や力量考えると致し方ない。俳優にチャンスや視点を与えた部分は評価できるし、それが演技に見えた部分もある。特に女性は楽しそうに演じていた。反して男性は難しさを感じた。ここら辺の男女の感覚の差を演出に押し出せたら面白かったろうにと思う。特にロミジュリは家父長制の歪さが根底にあるので、そこを俳優にもっと考えさせた演技プランを出させても良かったのにと思う。

日本は歌舞伎と宝塚があり、クロスジェンダーキャスティングはニーズがない、という可能性があるので、流行りだけでこの手のクロスジェンダーやるのは後に続かない可能性がある。海外だとイギリスグローブ座の『ハムレット』で男女逆転配役にしてるが、衣装は役の性別のままだが、キャストの元の性別のもつ体型や髪型は隠さないでも演じていた。その時の配信感想はこちら👉配信観劇その①『ハムレット』(グローブ座,2018) - je suis dans la vie

 

とはいえなんだかんだ楽しんではいたのは、ロミジュリの若さあふれるキラキラ感。若い子が演じるロミジュリは好きなのである。演劇祭の開かれた演劇というのもあり、客席は若い子も多く、気分的には子供の文化祭に来たお母さんの気持ちになった。まあ学生の文化祭的雰囲気になってしまったのも今回の敗因かなとは思うが…。

男女逆転ではないが、イギリスグローブ座で若い俳優でのロミジュリを思い出した。これも解釈部分には未熟な面はあったが、躍動感や若さのもつ力が好きだった。配信感想→配信観劇その②『ロミオとジュリエット』(グローブ座、2009年) - je suis dans la vie

美術は野外劇場の設定のままなのか、建設現場の足場のようで、二段目にDJと歌手がおり音響を担当している。エレクトロとクラシックとポップスをうまくミックスしていて世界観を作る。ただ要所要所でチャイコフスキーの弦楽セレナーデが流れるのだが、某派遣会社のCMのことしか思い出さなかったので、あれはネタなのか知らずにやってたのか。

池袋が舞台だからIWGPカラーギャングを意識した衣装で、モンタギューがブルー、キャピュレットがオレンジ(中日対巨人みたいだった)。ロミオに薬を売る薬売りはドラッグの売人風にしたり、色々近未来ぽさは出してたが、IWGPも若い子は知らないかもしれないし、もっと現代的なアイコンを打ち出してもいいのではと思った。若い子がたくさん出てるのでおばさんはもっと若い子の文化やジェンダー感が知りたかったのですよ。