je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

配信観劇その⑪ “Barber Shop Chronicles” (National Theatre, 2017)

ナショナルシアターの配信、今回は『バーバーショップクロニクルズ』。

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イニュア・エラムス作。NTLになってないそうなので、この機会だからこそ見られて貴重でした。

 

タイトルの通り、床屋が舞台。

出てくるのは全員男性。女性は話の中にネタとして出てくるだけである。

アフリカ各地とロンドンの男性専門の床屋に集う人々の会話劇。それぞれの土地での話が少しずつ切り取られ、小話がつながる。時代は同じのようで、同じサッカーの試合を見てたり同時進行な場合も。ロンドンにいた人がナイジェリアに出てきたりもある。

舞台は長方形の平場で、客席がぐるりと囲む。あまり境目はない。正面はない。出番待ちの俳優は、はけられたセットに座って待ってたりする。セットは床屋なので同じのを使ったり、使わないものは移動する。

場所の切り替わりは音楽。ヒップホップやラップ、アフリカの民族音楽。演者はセットを移動させ、踊ったり歌ったりする。

照明はロンドンの時は蛍光灯の白い照明、アフリカの時は弱い橙色の照明。

 

出てくる都市は下記。

 

各国の床屋の雰囲気とか。

海外に住むと美容院はかなり難関である。人種によって髪質が違うからである。アフリカ系の場合、人種差別から住み分けができたのはあると思うが髪質やスタイルの関係は大きいだろう。

 

色々なキーワードが出てくる。音楽、言語、人種、セクシャリティジェンダー観、女性蔑視、家庭内暴力、男尊女卑、酒、金、アパルトヘイトマンデラ、サッカー、世代間ギャップ、父と息子、などなど。

 

サッカーネタがちょいちょい出てく彼らが共通して見てるのはこの試合らしい。
2011/12 UEFAチャンピオンズリーグ準決勝チェルシーバルセロナ

サッカーはあまり詳しくないのだが、分かるとこで気になったのは二点。

・薄毛を気にしてる客に「ルーニーみたいに植毛すれば」的なことを言う(ウェイン・ルーニーは若い頃から薄毛ネタで有名。植毛も2回してるらしい)。育毛剤の話も出てくるので、薄毛はアフリカの男性も気にしてるんだなと思った。余談だが、フランス人はあまり気にしてなく、薄毛はむしろモテる(身長の高さの方が大事らしい)。

スアレスのネタがよく出てくる。「今日はあいつ噛み付いてなかったな!」とか。スアレスがニガー発言した話も出てくるが、あまり差別的でないとされる。スアレスウルグアイ人だからだと思われる(スアレスは実際はnegroと言った。negroはスペイン語で黒人の意で蔑称ではないらしい)。そこからニガー、ニグロの語源や、Kaffir(アフリカ人へのかなりきつい蔑称)の話へ移行して、他の話のフックになっている。

 

アフリカで床屋は電気をもらうとこ(発電機があるから)。携帯の充電ついでに何時間もいて話す場所。ロンドンではパブの代わり。つまりは男の社交場であるようだ。

彼らは人生の話をしたり、仕事の話をしたり、女について話したり、サッカーの試合で盛り上がる。深いようで深くないような、嘘なのか本当なのか。女性が全く出てこないので、排他的な世界である。男子校や部活のロッカールームのボーイズトークの濃いやつ。男らしさの誇示が必ずからんでくる。

これ、逆バージョンで、美容院を舞台にして女だけの会話劇でも面白そう。そしたら音楽は年配ならアレサ・フランクリンにして、下の世代はビヨンセとか?男をけちょんけちょんにするドラマは面白そう。ってか映画とかですでにありそう。

終始男性目線なので、女性観についてもしょうもない会話も多い。西アフリカの男性はかなり男尊女卑がひどいらしいという話をちょうど聞いたばかりだったのだが、女性や子供に対しての暴力の話とかも出てくる。特に上の世代に顕著で、若い世代はその手の話に眉をひそめたりする。父と息子の話にからんでくる。

その辺が伏線で、最後のエピソードにつながるのはうまいなと思った。

(ラストネタバレします。)

ヨハネスブルクの男は、酒乱の父親のトラウマから、自分の妻と息子に父親と同じようにしてしまい、そのため離婚した事を後悔している。彼はネットで息子の名前を検索する。息子は俳優になっていて、強い黒人の男を演じている。父親は喜んでいる。

ロンドンでその息子は床屋で自分の話をする。自分の演じる役がステレオタイプでつまらないように感じている。彼も父親のことをネットで検索するが分からないという。床屋は「父親を知らないのにどうやって男らしさを知るんだ?」と聞くが彼は意に介さず、強さは母から教わったという。床屋は何か解き放たれたような表情をする。亡くなった妻の話をやっとする。青年から料金はもらわない、2人は再会の約束をして抱き合う。

会話の中に女性の気配はほとんどしないし、あまり敬意もないのだが、このラストだけやっと男らしさからの解放を感じた。オチとしては弱いが悪くはなかった。

 

基本的に全編英語の芝居なのだが、アフリカの言葉もバンバン出てくるし、アフリカ舞台の時は特になまりがきつい。ロンドン舞台のも年配者はなまりがあり、若い世代は普通の発音で文法も正しい。

日常会話なのでそんなに難しい話はしていないのだが、そんな発音や独特の文法もあったり、ましてやアフリカの各地の歴史や文化が当然のように出てくるのでなかなかわかりづらいとこが多かった。が初めて知ったことも多く、差別についてもがっつり踏み込んでるので、興味深いセリフが多い。

 

その中でも個人的に「ピジン言語」については、大学の時にちょっと調べてたことがあったので耳ダンボにしてがんばりました。

ピジン言語(Pidgin)とは、英語とかが現地の言語と混合した言語のことをいう。イギリスは植民地が多かったからこの手のがたくさんある。フランス語ベース、日本語ベース、中国語ベース(満洲語など)。アジアから欧米に行ったピジンもなくはないらしい。

そういえば、中国に住んでた時に、若い子が猫の泣き声を「ニャーニャー」って言ってて、本とかだと違う表現なんだけど、近年の日本の文化の影響で表現が変わってきている。アニメの中国字幕は学校で習わない新しい言葉がたくさんある。そんなのもピジンのようなもんかも。

 

劇中、Musaという9年メキシコに住んでスペイン語からスワヒリ語の辞書を書いている言語学者が出てきて「なんのためにそんなことしてんの?」と聞かれるシーンがある。Musaは「メキシコの奴隷の子孫は上の世代と英語を介さず話すため」と答える。

そして彼は500の言語があるナイジェリアにおいてPidginの必要性について語る。

"Only pidgin unite us"

この台詞はうわーうわー!となりました。

まさに大学で勉強してて、指導教授が言っていたこととつながったから。言語だけが差別なく人を繋げる。

いろんなテーマが盛り沢山の中で、いいなあと思うワンシーンでした。

 

下記は言語学をちょっぴりかじった私の個人的な思い出話なので、興味ある方だけどうぞ。

私の卒論の指導教授は竹内公誠教授といって言語学専門の方だったのですが、当時あまり私は言語学専門というわけでもなく。比較文化とかメインでやってたので、結果的に竹内先生のゼミを主に取ってはいたんですが。ほんとは卒論は別の教授のゼミでやってたデュラスにしようとしてた。

でも4年になる前に竹内先生が「君は僕のゼミだよね〜」とニコニコしてきたので断れなくなり。当時、竹内先生はAを絶対くれない人だったので、指導教授として希望する学生が少なかったのです。こんなケースもそうはないと思うけど、お互い何となく気が合うとこがあったのか、ぼんやりしてる私を放っておけなかったのか(多分後者)。

まーそんな感じで、じゃあ何書きましょうか〜って話してる時に「帰国子女で英語ができるんだから、英語とフランス語と日本語の比較でいいじゃな〜い」と決められて(しかもそれならケベクワやろうとしたら以前に書いてる人がいて、かなり強引に3カ国語比較になったという)。

そんでその時スパイク・リーとかアレステッド・デベロップメントにはまってたので、そこからアフリカ英語の発音がらみでピジン言語を卒論に無理やり盛り込んだんだよねー。なんか他にも映画のネタとか入れたり、わりと好き勝手書いた卒論で、副教官にはボロクソ言われた。

でも竹内先生はそんなしょーもない卒論をニコニコ読んでくれて、ピジンってあるんだ面白いねーとか。めずらしくB プラスくれた気が(ちなみに他の教授は卒論は基本Aくれる)。

竹内先生は言語で世界は繋がってるって考えてた方で、言語の共感覚とかをその頃は研究されてました。言葉に差別はない、と。

あの頃、そういう勉強をした事で自分のアイデンティティが養われたのはやっと今頃になって実感しつつあります。フランス語も仕事でちょっと役にたったし、中国行って中国語勉強してた時も役にたったし。

竹内先生の論文は今でも難しくて分からないことばかりだけど、分からない事を知るのが学問の醍醐味であり一番の楽しみな事に気づけたのは生きる糧になりました。

ちなみに竹内先生は私が卒業して数年後、52歳の若さで早逝されました。ネットにはほとんどデータなくて、あんなにすごい人だったのにと残念でなりません。

今はネットを介して、たくさん言葉で人は繋がってますよ。英語だけじゃなくて、色んな言葉が飛び交ってます。日本語を話す外国人もめずらしくなくなりました。先生、今でも言葉はどんどん世界を広げていますと伝えたい。