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美しさの定義への挑戦~『美しき仕事』4Kレストア版@横浜ブルグ13シアター1(横浜フランス映画祭2024)

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横浜フランス映画祭、前回2022年から二年ぶりの開催。この映画祭は1993年に始まり、2006年からは東京に場所を移し横浜の地名が外れていたが、2018年からまた横浜へ。横浜市民で仏語学習者としては気になるイベント。

横浜へ戻ってきたのは、横浜がリヨンと姉妹都市だったり、神奈川県がフランスと縁深い(横須賀など)ということからのよう。2022年にオープニングイベントを見に行った時、壇上にゲストのフランスの俳優や監督らと一緒に、フィリップ・セトン駐日フランス大使、横浜市長、スポンサーの日産役員(日産はフランスのルノーと提携しており、ゴーン時代に東京本社を横浜に移した経緯がある)が並んでて。横浜とフランスが文化的のみならず深く交流してることを示す結構大き目なイベント。

今年はクレール・ドゥニ監督作『美しき仕事(Beau travail)』を鑑賞。1999年の作品で多くの映画作家に影響を与えた名作と言われているのに、日本では未公開。今回4Kレストアされたのをきっかけに、5月に日本で公開されることに。

beau-travail2024.com

この日は先行上映。監督もアフタートークに参加(別途記述)。

内容についてはここではネタバレなしで。下記あらすじは公式より。

仏・マルセイユの自宅で回想録を執筆しているガルー(ドゥニ・ラヴァン)。かつて外国人部隊所属の上級曹長だった彼は、アフリカのジブチに駐留していた。暑く乾いた土地で過ごすなか、いつしかガルーは上官であるフォレスティエ(ミシェル・シュポール)に憧れともつかぬ思いを抱いていく。そこへ新兵のサンタンが部隊へやってくる。サンタンはその社交的な性格でたちまち人気者となり、ガルーは彼に対して嫉妬と羨望の入り混じった感情を募らせ、やがて彼を破滅させたいと願うように。ある時、部隊内のトラブルの原因を作ったサンタンに、遠方から一人で歩いて帰隊するように命じたガルーだったが、サンタンが途中で行方不明となる。ガルーはその責任を負わされ、本国へ送還されたうえで軍法会議にかけられてしまう…。

美しき4K映像

もともとドキュメントとして撮影の予定だったそうで、外国人部隊のトレーニングや生活の様子、ジブチの人々の描き方もかなりそのままを映しているように見える。

4Kレストアということで、映像が美しい。ジブチの青空、砂浜に吹く風、乾いた空気、つややかな肌の肌理、瞳の奥の光、男たちのうねる筋肉...。ゴダールの『軽蔑』の4Kを昨年見た時にも感じたが、青い空と海に関しては本当に4Kにするとリアルに再現されているのだろうと思う。もしかしたら実物よりも美しいと思うかもしれない。

一応ストーリーはあるのだが、細かい説明もなく、ガルー視点で話が進んでいるわりにはガルーの気持ちもつかみにくい。とはいえドゥニ・ラヴァンの存在感、演技、肉体性は言葉がなくともこちらにうったえる力があるのはカラックス作品でご存じの通り。

ジャン=ポール・ベルモンドとドゥ二・ラヴァン

ジブチの土地や肉体の美しさに反して、ガルーの想いや行動は混とんと迷いに満ちている。まっすぐでジブチの土地のように開かれている(かのように見える)サンタンは、ガルーにとっては眩しすぎる光だ。嫉妬と羨望の渦にはまるガルーは、まるで『気狂いピエロ』(1965)のジャン=ポール・ベルモンドに重なる。ベルモンドとラヴァンの類似性についてはおそらく手垢がつくほど語られているだろう。カラックスがポストゴダールと言われ続けたように。

特徴のある鼻、捨て犬のような愛嬌のある表情、肉体による演技表現の鮮やかさ。肉体についてはベルモンドはボクサー志望で兵役についた経歴もあり、必然であろう。ラヴァンは肉体を駆使した演技が頻繁にあり、『ホーリー・モーターズ』(2012)でのアクションシーンはそれの集大成のようだった。

しかし見た目に共通点があるといっても、二人はまったく異なる俳優である。そしてクレール・ドゥニヌーヴェルヴァーグの影響が全くない、とは言えないだろうが、ゴダール作品とクレール・ドゥ二作品の類似性もこうして挙げてみれば多少は、というくらいで別物である。カラックスはいくつかの作品でゴダールをわざとオマージュしている。

クレール・ドゥニとカラックス

クレール・ドゥニ作品にはカラックス作品の象徴的な俳優が出演している。『パリ、18区、夜』(1994年)のカテリーナ・ゴルベワ、今作のドゥニ・ラヴァン、『ハイ・ライフ』(2018年)と『愛と激しさをもって』(2022年)のジュリエット・ビノシュ。三人ともカラックスにとって重要な俳優ばかりである(ゴルベワについてはカラックス作品に出る前だが)。かといってそこにカラックス的な影はない。ゴルベワの笑顔を撮るクレール・ドゥニと、彼女に儚い美しさを見出したカラックスの違いは特に印象的だ。

そこは俳優の力量もあるだろうが、クレール・ドゥニは他の監督の作品を意識していない。それはもうのびのびと自分の見ているものだけを信じている強さがある。

美しさの定義について

今作は1999年の作品であるということを忘れる。スマホがないとか時代を感じさせる描写が多くないというのもあるが、それだけではなく。とても新しい作品を見た新鮮さがある。普遍性というのとも違う。4Kの画面の鮮明さもあるだろう。

それはおそらく「どこにもないここにしかない」という景色や人や事物を映像に写し取る、そのシンプルでただ美しいことを追求する姿勢によるのではないか。宗教的で哲学的で深い思索をめぐらせる、それでいて自由でプリミティブな彼女の魂そのもののような映像だった。

美しさの定義は人それぞれで、何をもって美しいというのか、とても難しい。それゆえこのタイトルの美とは何を意味するのか。

幼少期をアフリカで過ごし、幼いころから多様性に触れた彼女が見る美しさ。それは言葉では到底言い表せない。だからこそフィルムに閉じ込めた。そしてできるなら、多くの人と共有したいというメッセージ。

もし美しさというものが何か、という問いになんとか答えを出すなら、やはりそれを感じた時の人の心、というのが今は妥当ではないだろうか。

そして映画とはそれがどのような形であれ、まずは美しさを提示し、それで目を引くことが最重要な表現である、という当たり前で基本的で、しかし誰もがあまりやってこなかったことを、強くうったえたからこそ、多くの映画人に影響を与えたのだ。

各種作品との関連性、メモ

ドキュメントとして撮影予定だったが、物語を入れたフィクション作品になったという経緯と、抽象性の高さ、肉体による演技表現、戦争、などの大枠で共通する事項はあるが、ストーリーとしての共通項はなく、舞台背景、時代、カラーとモノクロと違う点の方が目立つ。しかしその抽象性の表現は、ゴダールヌーヴェルヴァーグ主流派に対して左岸派と呼ばれたアラン・レネの目線の方が、クレール・ドゥニの目線に近い気もする。フランス映画が戦争を描く時に表現方法がいろいろあり、きちんとストーリーがあるものも多いが、このように一見分かりにくい表現の方にフランス的な文脈がより濃く示されているように感じる。それは欧州の地理的な条件や、長く入り組んだ複雑な歴史によるであろう。

また、おしゃべり好きで言葉をつくし、議論する事やその経過を好むフランス人が、映像表現を選ぶ時に言葉やナラティブに頼らない意識的な姿勢を感じる。それは一見矛盾しているようにみえる。しかしそれは、言葉の力を信用しているからこそ、その結果もたらされるものについてはとても慎重だというのが分かる。彼らは決して言葉を軽はずみに使わない。それが持つ力によって悲劇へ転じた歴史を数多く見てきたからかもしれない。

 

  • 『裸足になって(原題:Houria)』(2023年)ムニア・メドゥール監督作品 リナ・クードリ主演

内戦後のアルジェリアで、現代を生きる少女の物語。こちらの共通点としては、女性監督、戦争(アルジェリア内戦)、肉体による演技表現(ダンス)など。

『美しき仕事』の背景に、1991年からのアルジェリア内戦があるので、参考作品として。内戦後の影響がかなり分かりやすい作品である。女性の受けた傷、恩赦があったゆえの弊害、等々今も色濃く残る内戦の気配がたいへん分かりやすい作品だ。

ちなみに主演のリナ・クードリは幼い頃に内戦を逃れてフランスへ移住している。

ゴダールの最後の短編でもアルジェリア戦争と内戦について触れていた。そして、フランス映画で近年それを振り返る作品がいくつかある。おそらくフランスに移住してきたアルジェリア人がそれを表現するようになったこと、近年の多様性、またフランス国内の人種差別による問題、世界情勢などが影響している。

ネット上で開催されるマイフレンチフィルムフェスティバルの2022年に『ハニー・シガー 甘い香り』(2020年)を見たのだが、これも若いアルジェリア人女性を通して内戦の事が語られる。こちらの方はより濃く詳しい。主演はゾエ・アジャーニ、イザベル・アジャーニの姪(イザベルは父親がアルジェリア人)。(日本では劇場未公開か)

『美しき仕事』のジブチアルジェリアからそこそこ離れているとはいえ、同じアフリカでまったく関係ないとはいえない状況だったのでは。

 

注:ドゥニ・ラヴァン(Denis Lavant)はドニ表記が日本では定着していますが、発音はドゥニがより正確なので、ここではそうします。