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非力な恋、愛の無常〜『近松心中物語』KAAT神奈川芸術劇場ホール

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作品は作家のものなのか、観客のものなのか、演出家のものか、俳優のものか。朝日新聞の劇評を読んだが、おそらく蜷川版との比較ではあろうが「没入感がない、心中にいたる説得力がない」という辛辣なものであった。

劇評だけではなく、ちらほらと劇場でもニナガワの名前が聞こえる。それは辛辣なものだけではなく、作品への思いや思い出が吹き出してしまうかのような熱情であった。

それだけ蜷川版が秋元戯曲と張りついて離れなくなってしまっているのが分かる。しかしそれは一体ではない。戯曲と上演はひとときの恋に落ちる密接な共犯関係であり、名作にはそれこそ心中せんとするまでのケミストリーはあるかもやしれない。が、それ以外の組み合わせはない、とまで言い切るのは観客の執着と思い込みが過ぎるのではないか。ただそこまで愛せる作品があるというのは本当にすごいことではある。そしてそこまで観客を巻き込むだけのパワーがある作品である。

私は蜷川版も他の演出も未見で、初めての近松心中物語観劇。一緒に行った母は蜷川版を見ている。平幹二朗と高橋惠子のバージョン(冨士純子が病気降板した際のなのでよく覚えていたらしい。そういえば当時そんな話をしていた)。

後で母に元ネタは「冥土の飛脚」で、蜷川版はあーでこーでと教えてもらい。母は今回の長塚圭史演出もとても楽しかったらしく、最近はあまり元気がなかったりもしてたんだけど、とても饒舌になっていた。やっぱり芝居は心のあん摩(©️井上ひさし)!

私の感想としては、とても良いマリアージュだったのではないでしょうか。
まずは主演の四人のバランスの良い配置。忠兵衛と梅川の悲恋がメイン、与兵衛とお亀が弟妹分的なサブストーリーという構造だけにはせず、忠兵衛と与兵衛の関係性をしっかりフィーチャーすることで、二人の共通性(貧しい育ちからの養子)とそこから生まれた友愛も感じさせ、二人が表裏のようで実は同等であることを感じさせる演出は効いていた。

梅川とお亀の邂逅はないわけだが、ここは脚本の確かさで二人の対比は揺るがない。梅川役の笹本玲奈さんは初見だが、今にも崩れていきそうな儚さが、田中哲司さんの忠兵衛の空回りする見せかけの男らしさにすっぽりとうまくはまる。包み込むのは果たして男の意地か、女の情か。笹本さんは舞台での視覚的な効力をよく分かっている。特に二人が一目惚れするシーンはおそらくどの角度から見ても、その瞬間が分かるようにするためには演技だけでは足りない。梅川がただたたずむだけで、忠兵衛を虜にしなくては、観客にそうと見せなくては。もしかしたら、なのだが、笹本さんがミュージカル舞台を多くやっているというのも大きいかもしれない。セリフだけでは伝わらない技術を体得されている。
このシーンは「ロミオとジュリエット」の一目惚れの仮面舞踏会シーンぽいなとも思った。

お亀役の石橋静河さんがこれまたよくて。今まで暗い陰のある役ばかり舞台や映像で見ていたため、その印象が強かったが、おきゃんな夢みがちなお嬢さん役がはまる。悲恋に憧れ、若さゆえの思い込みで勝手に爆走する。そして最後に恨みがましく幽霊になる所はそれまでと対照的ながら、お亀の秘めたる悲しみも表現される。この引き出しの多さよ。

お亀と与兵衛が駆け落ちする所は、ここもロミジュリのバルコニーシーンへのオマージュね、と思ったが、お亀が自力で窓から降りてくる所はラプンツェルぽいなとも思った(が後であらすじ読んだらちょっと違っていた)。どっちも男で人生狂う話だ。

お亀は現代的なところもあり、一番自分の理屈で動いているキャラのように見えるが、与兵衛のせいで人生が狂っていく。それなのにそんな与兵衛が大好きなお亀。与兵衛はふらふらとして、ともすればイラつく男なのだが、仕方ないなと思わせる松田龍平の間合いが絶妙。今まで松田さんは映画もドラマも人たらしな役が多く、実際ハマり役が多いが、私は皆がいうほど魅力的と思ったことはなかった。確かに納得はできる演技だが、私には響かないだけなんだろうなと思ってたが、今回見て「こういうところかあ!」と目から鱗がやっと落ちた気持ちである。かといって松田龍平沼にハマることはないのだが、そのシステムをやっと理解しすっきりした。

あとネタバレだが、松田龍平の落武者頭で褌姿で溺れる様は最高であった。熱演。

余談だが、冊子ステージぴあの対談で松田さんが「(お亀は与兵衛が大好きだから)俺だとやりやすいでしょ?」って石橋さんに言ったら、え?ってなってすいません冗談ですー、ってやりとりがあったんだが、龍平そういうとこだぞ!って思った。二人とも幼い頃からよく知ってる仲だし、ましてや石橋父が松田父に心酔してたのは周知の事実なので、ついついこのコンビはそういう過去もありきで見てしまう。けれど、そんなものは軽く飛び越えて着実にキャリアを残していくのだろうな、と頼もしい俳優さんたち。

脇の俳優陣もしっかり支える。石倉三郎さんと朝海ひかるさんの、それぞれのカップルの壁となる役を堅実に。ここも設定は違えどロミジュリの乳母やヴェローナの公爵みたいなポジション(とすると身請けする金持ちはパリス?)。二人は壁ではあるが、彼らを生かそうとする大人の優しい分別も見え、恋人たちの悲しみがより強調される。

それ以外の俳優さんは、一人複数役やるのだが、切り替わりも楽しかった。ベテランはもちろんだが、松田洋治さんと章平さんの凸凹コンビは助さん角さんみたいで、要所要所で目に楽しい。俳優が一人複数演じるのも、主演の四人以外は幻のようで、恋に落ちた恋人以外は全て脇役か幻かというイメージにもつながる。石倉さんと朝海さんのリアルな立ち位置もさらにくっきりする。

原敬さんの美術もそのイメージにあっていた。八百屋舞台の奥から人が山を越えて出てくるように見えるのだが、先日見た『フェイクスピア』での山のイメージにも重なり、あの世とこの世の境目の不穏な、しかし不思議なイメージだった。『常陸海尊』は時空を越える話だが、秋元作品のイメージがここで重なる。両脇は奥に行くにつれすぼまっていき、立体感はあるが広いスペースを狭くも見せる。蛇腹のようにずれて重なる両脇の柱から出入りする俳優たち。いったいどこからどこへ繋がっているのか、観客の想像力を刺激し、ともすれば混乱させるそれは演劇の妙であった。

音楽はスチャダラパー。どうしたって重い話を、最初に跳ね上げる。スコンと軽くする。しかし丁寧に少しずつ、梅川がそっと忠兵衛を招き入れた優しい手のように、観客も少しずつズブズブと劇中の恋の沼へと入っていく。いつの間にか優しく世界へ引き込む演出。それが長塚近松

前の恋が忘れられないなら致し方ない。もうその人はその恋と心中したのだから。それもまた一興。きっと運命。私は私で、非力で無情で無常な物語に出会い、秋元さんと長塚さんのマリアージュをひととき楽しみました。だけど心中はしない。また他の恋の物語にひとときひたりたい。

長塚さんは2019年に秋元松代の『常陸海尊』を、その前に三好十郎の『浮標(ぶい)』を何度か演出している。たまたま両方とも見ているので(浮標は初演のみ)、長塚近松へ導かれて観劇したように思えてならない。これも縁というものかもしれない。

KAATのインスタライブで、長塚さんと翻訳家の松岡和子さんの対談を見た。松岡さんは蜷川さんはもちろん、秋元さんとも交流があり、出会いの話や、女性が演劇界で活動する悩みなども話していたりエピソードが満載。特に『常陸海尊』を秋元さんが蜷川さんに演出してほしかったエピソードは松岡さんでなくては話せない。

https://www.instagram.com/tv/CT1g0STlOdK/?utm_medium=copy_link

他にも長塚さんは蜷川版を生で見ておらず映像だけとか、近松をやることになった経緯とかもあり、近松へ長塚くんが導かれたようにも思えるかのような松岡さんの話。

今作の話ももちろんたっぷりしているので、これは必見です。ていうかこれ永久保存版対談でしょ。

対談中にも「蜷川版近松の印象が強すぎて、他の人が手出ししにくい現象」について語っているのだが、そのことを松岡さんが「1970年にピーター・ブルックが演出した『夏の夜の夢』が斬新すぎて、その後ロイヤルシェイクスピアカンパニーで20年くらい上演されなかった話みたいよね」とおっしゃっていた。ちなみにそのピーター・ブルック版のドキュメント映像はこちら。参考まで。