je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

配信観劇その25『夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)』(ブリッジシアター、2019)

ナショナルシアターの配信、今回はブリッジ・シアターの『夏の夜の夢』。

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今回もid:saebou先生のTwitter講義を読みつつ観劇いたしました。いつもありがとうございます🙌。

配信は終わりましたが、こちらの公演は7月10日からナショナルシアターライブとして映画館で公開予定。そちら見る前の方はネタバレ注意です。かなり演出が独特です。

スタンダードなシェイクスピアズグローブ版とは違って、演出も解釈も現代的で独創的。舞台美術も手伝って、自由に想像して大きく思いを巡らせるような演出。(シェイクスピアズグローブ版の私の感想はこちら👉配信観劇その24『夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)』(Shakespeare’s Globe, 2013) - je suis dans la vie

特にTwitter講義でもあった「イマーシヴ(没入型)舞台」の演出が生かされて、配信でもライブ感がより楽しめるつくり。

舞台は平土間型で、観客は立ち見。観客はセットの動きで移動できる。芝居を見てるというより、大きめのライブハウスのイメージ。自分が見たいとこから見れる。

音楽もダンス系、衣装、照明もショー的な華やかさ、観客に花輪を被せてたり、役者の客いじりも通常のそれよりかなり距離感が近い。観客の反応やツッコミも歌舞伎の大向こうのようではなく、もっとカジュアルだ。それもライブの歓声に似ている。

パックがクラウドサーフしたりもライブっぽい。ボトムらが観客のスマホを借りて月齢を調べるくだりなども↓。

さらに特徴的なのがエアリアルシルク(シルクドソレイユのあれですね)を使った演出で、空間や動きを強調したエンターテインメントで観客の気持ちを盛り上げて、役者との距離だけでなく会場全体の一体感をも作り上げている。

エアリアルのパフォーマンスをやるのは主に妖精役で、おそらくほとんどは専門のパフォーマー。ただしパック役のデイヴィッド・ムアースト(David Moorst)はこの公演のために数ヶ月前からトレーニングしたそう。

特に観客は妖精やパックの目線で芝居を見る感覚もあるので、パックの位置付けはより観客に近い。

彼は役作りも独特のパックで、衣装はタンクトップにリメイクジーンズ、妖精というよりニューヒッピーかパンク少年。ちょっとシニカルな物言い。個人的に雰囲気としてはドラマ「相棒」における浅利陽介を思い出させる。主人の言うことを聞きつつ、舌打ちしながらやってそうな感じのパック(杉下さんの言う事を、嫌々ながら聞く青木くんのあれです)。

この↓シーンがまさにそれを表していた。ダルそうで全然「ダッタン人の矢」のようではない。

めっちゃ余談ですが、「ガラスの仮面」ではマヤがパックの役作りをつかむ重要な台詞。それとは全く解釈が違ってますね。月影千草がボール投げつけるか、むしろ「この子は天才よ…!」と言うか。まあエアリアル習得した時点でガラかめ感あるんだけど(余談終わり)。

ところで、ベッドの仕掛けは「エルム街の悪夢」を思い出しました。若きジョニデが引き込まれるシーン。

という悪夢としての夢を思い出したのは、おそらくこの夏夢は賑やかな恋のお話というだけでなく、表に対しての裏や、影の世界の持つ闇の部分も示唆する演出だからかと。

上の動画でネタバレしたけど、今回はティターニアとオベロンの台詞が逆。ティターニアがオベロンに恋のいたずらを仕掛ける側(パックはティターニアに付く妖精で、主従関係も母と息子っぽさもあり)。

つまりオベロン(男)とボトム(男)が恋に落ちるシチュエーションが今回の見どころ。

この2人のシーンは音楽も特にアゲアゲだし、下ネタ満載で楽しい。オベロンはオネエっぽいキモノ風ガウン姿、脱ぎっぷりもよい。ボトムはクマさん的大男風で、見た目にも過剰なゲイっぽさを演出している。

しかし見てる間は「こういう同性愛表現を笑って見ていていいのかな?」と心配にも。だけどただ男2人の滑稽さで笑いを取る演出なのではなく、最後の結末の伏線となって生きることに。

ティターニアとヒポリタ、オベロンとシーシアスは同じ役者が演じるので、オベロンが経験したことがシーシアスに影響する演出となる。オベロンの同性との関係が、シーシアスの最初と最後の変化の理由づけになっている。ここはシーシアス役のオリヴァー・クリスの、台詞にさらに肉付けされた情感あふれる演技が良かった。

ティターニア/ヒポリタ役のグウェンドリン・クリスティーは背が高く、体格のよさを引き立てる衣装。かといって男性的な威圧感は出さず、物語をあやつる主の存在感。彼女の受けというか待ちの演技、周りがよく動く分だけ引き立ち、場をしめる役割。夢の世界をコントロールするお釈迦様のよう。

他にもセクシュアリティに関する表現があり、4人の恋人たちの騒動にも新たな解釈をつけていた。4人がかけられた魔法でケンカしてる時に、パックがそれを解く前にさらなる悪戯をしかける。短い時間ではあるが、ディミトリアス&ライサンダー、ハーミア&ヘレナの同性カプにしたりする展開がある。魔法が解けた後の方でも、夢が現実に影響しているかのような表現もある。

この演出は筋を変えてしまう恐れもあるけれど、すでにあるオールメールやオールフィメール、もしくはクロスジェンダーの演出より自由な表現ができる可能性を感じた。すでにあるかもだけど、ハーミア&ヘレナが同性婚を反対されて駆け落ちする、とか。その場合ディミトリアスライサンダーどうするのとか。結婚にとらわれず独身選ぶのもいいし、夏の夜の夢というシチュエーションだからこその自由な表現を考えるのは楽しそうだ。

最初から少しずつ観客を引き込み、とらえ、最後には少しばかりの柵も取っ払い、観客を舞台に上げて共に饗宴を祝い踊るエンディング。音楽はオベロンとボトムがラブラブな時に流れたビヨンセの "Love On Top" でもう一度アゲアゲ!

演劇という枠組みでなく、音楽、照明、振付、美術、エンタメ、色々な面で自由な楽しみ方ができる。

表は裏であり、現実は夢である。という考えはシェイクスピアに限らず他にも多くある。佐藤史生の漫画『打天楽』には、鰥(クワン)という「眠らない魚」が出てきて、「世界はクワンが見ている夢」という設定だというのを思い出した。

夢はもう一つのリアルであり、現実に影響しリンクするという物語は扱いが難しいが、自由な表現するにはもってこいのモチーフだ(パックもつまらなかったら夢だとご容赦くださいね、って言ってるし)。

独創的な演出だったので、日本語でどう表現するか日本語字幕版も見たいところ。ボトムがカラシの種に"give me your paw" って言うとこがfist になってたのはなんて訳すんだ、とか。4人の恋人たちのシーンはティーンエイジャーっぽいノリだから、元のテキスト通りのセリフでもこの演出ならより現代語っぽい方が合うだろうし。しかし私はいつ映画館行けるのかしらん。

 

その他メモ

  • "Bonkers" by English rapper Dizzee Rascal and Armand van Helden(劇中劇で使用されていた曲)
  • "Only If For A Night" by Florence + The Machine

 

配信観劇その24『夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)』(Shakespeare’s Globe, 2013)

シェイクスピアズ・グローブの無料配信、最終は『夏の夜の夢』。6月28 日まで(時差あるから日本はギリ月曜の朝まで見られるかな?)


今回もid:saebou 先生こと北村紗衣先生の講義をTwitter(  #夏夢グローブ)で、そしてブログ👉非常に正統派の上演~グローブ座『夏の夜の夢』(配信) - Commentarius Saevusを参考に観劇しました。ありがたいことです。

タイトルずっと「真夏の夜の夢」だと思ってましたが、midsummer は夏至なので実は6/20頃だそう。映画『ミッドサマー』のヒットもあり、認識が広まるかな。

演出は全体的に近世風でスタンダードな夏夢。

ヒポリタとティターニアを両役とも演じるのはグローブの芸術監督ミシェル・テリー。この方はグローブでハムレットを演じており、ハスキーボイスでマニッシュな魅力の俳優。

(その時の感想はこちら👉配信観劇その①『ハムレット』(グローブ座,2018) - je suis dans la vie

ヒポリタもティターニアも、支配的な男に負けない意志の強い、たくましい女性像。冒頭の演出の、アマゾンが負けて結婚を屈辱と表現するあたりにも、ミシェルの役作りや雰囲気が合っている。ただ強いだけでなく、怒りやその裏にある傷ついた心、本来の情の深さなども表現している。今回はヒポリタの戦いを最初にフィーチャーしてる演出なので、彼女が支配された屈辱を、ティターニアの怒りが代弁してるように見える。

シーシアスとオベロンの両役を演じるのはジョン・ライト。筋骨隆々なたくましく、かなり強面な雰囲気のオベロン。この方、かなり体幹が強く、パワーヨガのハードなポーズをとったり、アクロバティックで肉体派。腹筋も割れまくってました。男性性を強調しすぎか?とも思ったけれど、ミシェルの演技と呼応してるし、彼女の演技プランを結果引き立ててよかった。

オベロンとティターニアの夫婦喧嘩は、倦怠期の夫婦の駆け引きっぽくやるのがあるけど、こういうパワーあるガチな感じもありか。

ハーミア&ライサンダー、ヘレナ&ディミトリアスは設定通りの印象。ライサンダーがかなり軽いノリで頼りなさげで、それは親は結婚反対しますわという感じ。対してディミトリアスは堅実そう。

ハーミアとヘレナはルックス、雰囲気、性格も正反対とはっきり見せている。

そしてヘレナとハーミアの関係は、幼なじみで仲良しだが、根底にお互いへのコンプレックスも見え隠れしている、という部分を丁寧な演技で見せている。ヘレナがなぜハーミアの駆け落ちをディミトリアスに言うのか?はわりと謎なのだが(言わなければディミトリアスは失恋するのだから、ヘレナにとってはチャンス)、心のどこかにハーミアへの意地悪な気持ちがあったのではと思う。何もかもめちゃくちゃにしてしまえ!死なば諸共という破滅的な発想(実際はちゃめちゃになるし)。女同士の仲良しすぎるがゆえの複雑で繊細な関係をよく表現していた。もっと掘りさげてドロドロさせる演出もありかとは思うが、このヘレナはマゾっけがありちょっと天然で、報われない恋に狂うさまを観客に同情させない程度にほどよく面白く演じている。ハーミアは空気読めない可愛いお嬢様で、こちらはを好感度あるようなないような雰囲気が出ていた。2人ともクラスにいるいる、という親近感もあり、どちらがいい悪いも感じさせない。

パック役のマシュー・テニスンは、年齢不詳、性別不明な透明感。若い頃の成宮寛貴的な感じも。蜷川さん好きそう。

他の妖精らもアースカラーの衣装と羽根・毛皮・枝・ツノなどの装飾と、自然なものに馴染む雰囲気だが、ダークカラーやラメキラキラのメイクで、可愛らしいというより「夜に蠢く異形のもの」という少し怪しい雰囲気。

パックはオベロンのお稚児さん的な表現もあり、公式のバナーですら2人が見つめ合ってるので、ここは見どころなんですかね🤤(いいぞもっとやれ)。

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ところで、パックといえば「ガラスの仮面」でマヤが月影先生に受けた特訓を思い出しますよね(分からない方は40代以上の少女漫画好きに聞いてください)。その特訓が「多方面から飛んでくるボールをロック音楽にあわせて避ける」というトンデモ設定。それでパックの身軽さを体得し、マヤは敏捷でリズミカルなパックを熱演するエピソード。特訓中に「パックなら球をかわしたでしょうね」と微笑む月影先生、今ならそんなわけねーよ!と言いたい。蜷川さんだってそんなことしません。そしてあれ野球ボールだったんだけど、まさか硬球だったのかな…。千草ならありえそうでこわい(白目)!

閑話休題

こちらのパックは極端に飛び跳ねまくったりはしないけど、肉体派オベロンに合わせてそこそこよく動いてました。↑の画像の姿勢はオベロンの腕力&体幹、パックの体幹&腹筋がないと無理。テニスンは細いけど背が高いから、それなりに体重はありそうだし。2人のからみはエロティックだけど、フィギュアのアイスダンスのような華麗さもあり、身体能力の高さがうかがえる。

ボトム役のピアース・クイグリーは前の配信『ウィンザーの陽気な女房たち』のフォルスタッフ役で素晴らしいコメディアンぶりだったけれど、今回も本筋を食いかねない存在感。

(その時の感想はこちら👉配信観劇その19『ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor)』(グローブ座、2019) - je suis dans la vie

この人が出てるとこは今回もまたまた「8時だヨ!全員集合」でした。志村けんであり、いかりや長介であり、今回はカトちゃんのちょっとだけよ〜的なシーンもあり。職人劇団の劇中劇のところはクウィンスらもボケっぷりが絶妙でノリノリ。職人全員がボケにボケ倒して、最後ははちゃめちゃ。長さんの「ダメだこりゃ」でオチつけてもいいくらい、ドタバタで笑いが笑いを呼ぶ振り切った演出。

パックが妖しい雰囲気の美少年なので、その分ボトムが道化的な狂言回しを担うことになり、遠慮なく思い切り演じているよう。ロバの頭をかぶってるとこも、表情が見えないのに、細かい仕草で笑いを誘うのも絶妙。グローブのバカ殿さま、魅力的で面白かった。ヒポリタ役のミシェルも本当に笑ってたっぽいし。

さい芸なら吉田鋼太郎さんにやってほしい。きっとご本人はイケオジ・オベロンやりたそうだけど。オベロンは横田さんかな?阿部寛さんもいいね。

ラストは妖精も交えて華やかなダンス。

いつもならそのまま明るくカーテンコールだけれど、しっかりパックが締めの口上を。そして幻想的な音楽とオリエンタルな舞い。ここもカンフーかヨガのようなポーズで、オベロン役のジョン・ライトが特にきまってたのでこの辺のアイデアは彼ありきかも。

ドタバタ喜劇だけれど、一人一人の役作りが丁寧で、スタンダードな演出の中にも役者の個性が光るプロダクションでした。

次はナショナル・シアターの夏夢。

こちらは7月2日まで配信。

こちらもTwitter講義参考に近日中に見ます。

 

配信観劇その23『スモール・アイランド(Small Island)』(National Theatre, 2019)

ナショナル・シアターの配信。6/25まででした。

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Black Lives Matterがアメリカ全土のみならず、世界中で語られている中、この作品を見たのはとても印象的な出来事でした。

第二次世界大戦頃、ジャマイカの黒人女性ホーテンスと、イギリスの白人女性クイニーの人生を中心に語られる物語。

ジャマイカのホーテンスのシーンから始まる。賢い彼女は教師になる事を夢見ている。幼なじみの初恋のマイケルが白人女性との許されない関係のため島を追われて(しかもホーテンスの告げ口によって)、彼女の初恋が終わる。ホーテンスを小さな島(Small Island)に縛る(もしくは連れ出してくれる)男を失うところから彼女の少しばかり波乱万丈な人生が始まる。彼女は友人の恋人だったギルバートと契約婚をして、イギリスへと旅立つ。

イギリスのクイニーは田舎の精肉?の家の娘で、ホーテンスのように学はなさそうだが、幸運にもロンドンでバーナードに見染められ田舎に戻らずに済む。しかし夫は徴兵され、信頼していた義父アーサーも事件に巻き込まれて亡くなり、途方に暮れる。この時の事件の時にクイニーと一緒にいたのが、ホーテンスと知り合う前のギルバート。そしてその後失意のクイニーと恋に落ちるのがマイケルである。

そんな感じで、ホーテンスとクイニーの人生がいくつかリンクしていく。この辺の表現はそれほど作為的でなく、うまくつながってわかりやすかった。ラストに向けての伏線ともなっているが、きちんとそれぞれのキャラ設定に沿っている。マイケルがクイニーに惹かれたのは、故郷での白人女性との恋愛経験も関係ありそうだし、ギルバートがクイニーと事件に合うのも彼らのフレンドリーな性格ゆえでもある。そしてホーテンスもクイニーも流れに身を任せているが、自分の意思で選びながら彼女らなりの人生を切り開いている。

黒人差別のエピソードが多く、フレンドリーなクイニーですら思い込みから来る発言が多い。ホーテンスがきちんとした英語を話していても、それに気づいていないとか。「黒人は英語が話せない」という思い込みだ。

ギルバートは特に具体的な差別のエピソードが多い。アーサーが米兵に撃たれて死ぬのも、もとは映画館でギルバートが米兵に罵られたのが発端だ。職場で露骨に嫌がらせされ、それでも耐え、法律を学ぶ日を夢見ている。

時代として差別が横行するが、登場人物のキャラクターは丁寧に個として描かれる。そこに人種は関係ない。ギルバートは明るく、世間知らずのホーテンスにも根気よく接している。クイニーは人がよく、ギルバートらに部屋を貸したり気さくだ。口の聞けないアーサーは人を受け止める度量がある。ホーテンスも少しばかり融通のきかない性格だが、賢いし根は優しい。

そんな普通の人々のささやかな生活の中で、死んだはずのクイニーの夫バーナードが戻ってきて、クライマックスを迎える。

大事なオチはネタバレしないでおくが、差別的な考えに凝り固まったバーナードへギルバートがうったえかける言葉が印象的だった。

Your white skin, you think it give you the right to lord it over a black man.
But you know what it make you? 
White. That is all, man. White. 
No better, no worse than me.

「肌が白い、それが黒人を支配する権利があると思っているのか?

白い、それだけだ。何も俺たちより優っていないし、何も劣っていないんだよ。」

バーナードの返事は好ましいものではないけれど、彼がなぜそうなってしまったのかも語られる。

小さな島でそれぞれ育った白人と黒人は、それぞれ優しくて、それぞれ傷を持っていて、それぞれの人生をなんとか過ごしていた。それは似通っており、どこもそれほど大きくは変わらない。

現実、今アメリカで起こっている、そして今までもあった事はもっともっと悲劇的で残酷だが、ギルバートの言葉がすべてだと思う。ずっとずっと肌の色の差別の話なのだ。皆知っているのに、悲しいことに。

ギルバートの言葉はホーテンスを動かして、彼らは本当の夫婦として生きていく事を選ぶ。そしてクイニーの人生も大きく変わる。ギルバートが少し軽薄ながらも優しい男で良かったし、マイケルによって女性2人の人生はリンクしているが、ギルバートの優しさによっても得難い絆が生まれたのではと思う。

セットの立体感や、プロジェクションの効果的な使い方、音楽で表すジャマイカの明るさと暑さなどの雰囲気はこちら。

配信観劇その22『アテネのタイモン(Timon of Athens)』(Stratford Festival, 2017)

ストラトフォード・フェスの配信。6月18日まででした。思い出し感想。

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テキストが難しく、ヒアリングがなかなかうまくいかなかったので、雰囲気と演出についてのみ。

かなり近代的、モダンな演出。タイモンや取り巻きはスーツ姿、執事・サーヴィリアスや召使らもシックな装い、哲学者・アパマンタスは洗いざらしのシャツにジーンズという自由人おじさんなルックス。女性はとにかくセクシーな肌見せ。

仮面劇のアマゾンとキューピッドの場面は印象的で、現代的な飽食と響宴を表して、後半のタイモンの没落を強調する。

セットはほぼなく、テーブル、椅子、プールサイドチェア、荒野のシーンは舞台の中央に掘られた穴のみ。背景の球体は太陽なのか月なのか、仄暗く人を照らす。

タイモンはお金をばらまき、それに群がった取り巻きを助けて負債を負う。それまでにタイモンに助けられた人々が掌返して尽く彼を見捨てるくだりは、清々しいほどに悪辣だ。序盤でタイモンの豪華な食事を食べないアパマンタスは、それらを予測してたかのように、示唆的にタイモンに語りかけ問いかける。

タイモンは、彼に最後まで忠義を尽くすサーヴィリアスや召使の心を省みることがない。一度ひどく傷ついた老人の心は、若者のそれよりさらに頑なで、どの角度からも決して踏み込ませない。ここはリア王ともコリオレイナスとも、シェイクスピアのどの主人公とも違う印象だった。彼には後悔がほとんど見えない。それがプライドゆえなのか、長年の傲慢さゆえなのか。人間不信は凝り固まり、呪いの言葉を吐く。最後まで揺るがないその姿勢は、彼が荒野で穴を掘り過ごす時には達観した仙人のようでもあった。

現代的な演出で、まるでタイモンは大会社のカリスマ社長のようだ。上記の画像のタイモンは、まるで企業のホームページに載っている社長のそれだ。自信にあふれた微笑みは、人を信頼させるに値する。その豊かさを表すように腕を広く開いている。わざとらしく欺瞞に満ちている。

実際のビジネスシーンにこのテキストが当てはまるのか微妙だとも思った。あまりにタイモンは無防備すぎるし、無能だ。それが彼の老いゆえなのか、太りすぎた富のためなのか。後進も育てず、身を守る味方もいない(実際はいるが見えていない)という企業のトップはそうそういないのでは。

しかし某自動車会社の元カリスマ的トップしかり、投資が失敗して負債だらけという某実業家しかり。誰よりも有能とされてきた人が、やはり時の流れに沿って腐っていく過程は現代でも変わらない。ただ彼らは、タイモンほどには人に対して純粋でもないので(彼らは自分が純粋だと信じて疑わないが)まだまだ野垂れ死しそうにはないだろう。

配信観劇その21『コリオレイナス(Coriolanus)』(National Theatre, 2014)

ナショナルシアター、6/4〜6/11の配信。思い出し感想。その時取った殴り書きメモ見て書いてますので、かなりむちゃくちゃです。

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トムヒことトム・ヒドルストンさん主演。

TLにトムヒとかトムホとかよく流れてくるので、トムハやトムヘ、トムフもいるのかしらと思ってました、すみません。

トムヒさんの作品を見たことがほぼなくて…そしてこのタイプのイケメソ俳優さんにハマる事がほぼなくて…。そして今一番好きなイギリス人俳優はサイモン・ラッセル・ビールなんですよね〜。いやサイモンはかわいいんだぞ!英国の至宝なんだぞ!(突然の脱線)

とはいえトムヒ評判は知っており、楽しみにしてました。映画で人気が出ても、舞台を大事にしてる俳優であり、ハムレットの評判も良かったトムヒ演じるコリオレイナスなんて面白いに決まってる。ある意味ハムレットより難しい役。ご本人もアプローチの難しさについて語っており。

ストラトフォードフェスのコリオレイナスは個性的なルパージュ演出が際立ってたけれど、今回はシンプルに俳優の演技を楽しみました。

(ルパージュ演出のコリオレイナスの感想はこちら👉配信観劇その12 “コリオレイナス (Coriolanus)” (Stratford Festival, 2018) - je suis dans la vie

舞台は平場に赤いラインの四角が引いてあるだけで。あとは10脚くらいの椅子、梯子が後ろの方にあり、背景のプロジェクションで場面変換するのみ。

照明は暗めでスポットライトをメイン。主演をさらに強調できて、トムヒさんの存在感際立たせてよい演出。

上から水がドバー(トムヒさんシャワーシーン)、血のりがドバー、戦の中の土ぼこりが散らばったり、シンプルなセットの中にリアルな表現がチラホラ。戦争の話なので、血生臭さを印象的に見せていた。

演出やセットはこのツイートで色々見られる。トムヒさんの血まみれや水浴びシーンも。

音楽は場面転換に声や音楽サンプリングしたもの。囁き声がコリオレイナスへの悪口や噂話のように聴こえて、彼が追い詰められる感じになっていた。

梯子は城壁を越えるコリオレイナスの勇敢さを象徴するセット。部下は逃げ、彼は血まみれになり勇敢に一人で敵陣へ挑む。これ、コリオレイナスの心象風景でもあるんですかね。その梯子を登った事で、後にローマとヴォルサイ軍の間で揺れ動く。彼が登っていたのは果たして、なーんて。色々受け取れそう。

トムヒさんは、複雑だけれど情感ある魅力的なコリオレイナスを演じてました。

細マッチョな鍛えた体にタイトなパンツにぴったりした鎧風のベスト、細い柔らかそうな金髪、うるうるの透き通ったしかし意志の強そうな瞳。

このぱっと見だけでも分かるラブリーハンサムさんが、とっつきの悪いキャラをどのように演じるのか。いやーほんとによかった。集中して堪能いたしました。

前述したように、戦争での勇敢さを魅力的に余すことなく全力で演じた後、ママンにそそのかされて選挙に担ぎ出された時に見せる慇懃無礼で偉そうで、媚び売るのが下手、民を感情のままに罵ったり、味方もドン引きするほどのダメな部分を、コリオレイナスという複雑な人間の性格の一部分として見せる自然な流れを作っていた。

ここ、うまくやらないと最初と全然違う人みたいになってしまいそうなんだよね。それかただ戦争好きな怒りっぽいだけの人間になってしまう。母や妻はもちろん、敵のオーフィディアス、ずっと味方してくれたメニーニアスが惹かれるだけのキャラという説得力に欠けてしまう。かといって魅力的すぎてはコリオレイナスの悲劇は表現できない。観客も踏み込めないくらい、人への拒否感や孤独感がこのアンチヒーローの魅力。

トムヒさんはその拒否の演技と、人と呼応する演技の振り分けがうまかった。

母ヴォラムニアと妻ヴァージニアの対比も、いわゆる嫁と姑感ありつつ、コリオレイナスのキャラを形作る演出。

母ヴォラムニアは命より名誉が大事!という母でコリオレイナスの軍人としてのアイデンティティを共有している一卵性親子。コリオレイナスは母に翻弄されつつ、その意思を尊重しているし愛情あるのが分かる。妻ヴァージニアは姑が息子が戦で負った怪我を名誉だと喜んでるのを見てドン引き。姑とは逆に、彼の死を常に恐れているが、最後の方は姑と息子を支えて、夫も受け止める強い女性のイメージであった。

怒りのシーンがどうしても多くなるので、コリオレイナスの哀の部分をこの2人の女性の関係を通して、序盤から丁寧に見せていたと思う。ここもうまくやらないと、マザコンで妻を蔑ろにする非家庭的な軍人としかならない。

オーフィディアスとの関係は、敵で味方で、最後は…となるので、同性愛的な表現になるのは定番なのかしら。ルパージュ演出はオチもそんな感じだったけど。こちらではオーフィデアスにブッチューされるんだが、なんとなく勢いまかせな感じ。ブロマンステイストではある。

コリオレイナスを陥れる護民官のシシニアスが女で、ジューニアスとは男女の仲という設定はなまぐさくてよかった。

アクションシーンもそこそこあって、トムヒさんは体張ってるシーンが多くて大変そう。最後は宙吊りにずっとされてるし。

オーフィデアスとの最後の決闘は自分から剣を放って、死を覚悟してるように見えるのだけど、あれは戯曲通りかな?最後は哀しみの感情を成るがままにほとばしらせ、おおこれがトムヒの魅力なのだろうな〜と。

悲劇に駆け抜けるヒーローが魅力的な演出。主演の魅力ありき、ではあるけど、全体的にもすっきり筋が通ってる演出で楽しめたし集中して見られました。

 

配信観劇その20『DISTANCE』(本多劇場)

本多劇場グループPRESENTS「DISTANCE」。

初のストリーミング配信の観劇。Zoomの配信演劇は見たけど、劇場での無観客生配信は初めて。

ストリーミングなのでたまーに回線が一瞬切れたりもしましたが、おおむね集中して見られました。部屋を真っ暗にして見ると臨場感ある。カメラの切り替えがあるので、それは少ない方がもう少し臨場感あったかも。

5日目の近藤芳正さん一人芝居「「透明爆弾 とうめいばくだん」を観劇。
脚本・演出は深谷晃成(第27班)。

オープニングは録画されたものらしい。本多劇場の外観から階段を登り、除菌と検温、チケットを受付で買うなどの劇場に行って席に着くまでの一連の動作を自分がしている目線の映像。

これはちょっとぐっときた。本多劇場に来たことある人なら、いろいろ考えてしまうだろう。階段を登った左手の窓から見える隣の土地はまだ工事中。

受付はあの小さな窓口ではなく、入口手前に新たに設置されたBOX型。これは感染対策だろう。ロビーにはマスクやフェイスシールドをつけたスタッフさんら。

 

物語は近藤芳正さん演じる漫画家・染野が子供向けの伝記本でサダム・フセインのことを描くことになる。漫画家はフセインとブッシュを実際に交互に演じることで作品作りをする設定。なので近藤さんは三役をせわしなく演じる。

心優しい染野はよく知らなかったフセインについて調べていく。すると実はフセインはそんなに悪ではなかったのではないか?アメリカやイランだって結構勝手じゃないか?とどんどんフセインに共感していく。

そして善悪とは、正義とは?政治とは?そんなに白黒はっきりさせなきゃいけないのかな?

なかなか今の時代言いにくい部分に触れているが、染野のような人はわりと多いのではとも思う。

娘に今大ヒット中の漫画みたいなの描いてと言われて、でもお父さんはホッとするような漫画を描きたいんだと弱々しげに言う。

強く言い切ったり、反論したりはできないが、なんとなくそうじゃないよな〜というところは曲げられない。そんな優しい人間。

 

本編の前後に、上演されなくなった本多劇場を清掃する2人組(川尻恵太、御笠ノ忠次)のシークエンスがある。演劇とはどんなものか。生で観るとはどういうことか。演劇は必要なのか。なんと言っていいか、伝えにくいことを2人が語る。

最後に拍手の響かない本多劇場から、3人が深々と画面の向こう側の観客にお辞儀をする。

さみしいが、これがいつまでも続かないことを願う。そして今は元に戻るまでできるかぎりのことをしたい。そしてこの状況も忘れないでおこう。

配信観劇その19『ウィンザーの陽気な女房たち(The Merry Wives of Windsor)』(グローブ座、2019)

グローブ座の配信、『ウィンザーの陽気な女房たち』。6月14日までの無料配信。

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ヘンリー四世に出てくるフォルスタッフが主人公。といっても時代設定も違うし、話はドタバタコメディ。エリザベス一世の依頼で短期間で書き、シェイクスピアの作品の中では出来がよくないとか。

しかし演出がなかなかノリがよく、質の良いドタバタコメディになってました。

毎回グローブ座の見て思うのは、これ「8時だよ!全員集合」じゃないか〜!です。今回は特にもうそのもの。

音楽は古いディキシーランドジャズっぽく、場面転換には欧米のTVコメディみたいな間奏。フォルスタッフが女装して逃げる時の喧騒はドラムロールに合わせて。妻たちが夫らに事の次第を説明するシーンは、音楽に合わせてパントマイム風。

スレンダーの使いの男が戸棚に隠れていて、キーズ医師がそこをたまたま開いてしまい、見つかるシーンは大げさにお互いにギャー!と叫んでコントっぽく。

フォルスタッフはとにかく下世話で面白い。下ネタもいっぱい。夫人らの態度に喜ぶシーンでは、客席を見てイエーイ!と激しく叫ぶ。鹿の扮装してるときにドレミの歌を歌ったり、あれはアドリブかなというとこもちらほら。

2人の夫人もなかなかのコメディエンヌぶり。フォルスタッフに失礼な手紙をもらった時に、ペイジ夫人が「この男どうしてやろうか」と客席に尋ねると「テムズ川に放れ!」という返事に「ひどい案ね。でも考えとくわ」と返す。フォルスタッフはこの後川に放られる筋書きなので、客はそれを知ってて言ってるわけなので、もしサクラでなければペイジ夫人役はノリが良い。

他にもフォルスタッフがカゴに入ってるのを運ぶ召使いらの動き、ギーズ医師とエヴァンズ牧師の決闘、ギーズとスレンダーの結婚画策のくだり、とにかくすべて大げさでわざとらしい。デフォルメしまくってるが、リズムがいいのでケラケラ笑いまくってしまった。

ラストはミュージカルっぽく、これまた皆歌がうまい。そしてそのままエンディングになるのだが、ジャズに合わせてかなりレベルの高いステップのダンス。ただコメディやるだけではなく、全部レベルが高い。

芝居だけど最初から最後まで笑いを崩さない。予定調和を徹底的に見せる。そしてダンスと歌が盛り沢山。ドリフのコントを見てた時のそれである。というよりドリフは当時から舞台とは何か、理解して体現していたということなんだなーとしみじみ思ってしまった。