je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

配信観劇その25『夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)』(ブリッジシアター、2019)

ナショナルシアターの配信、今回はブリッジ・シアターの『夏の夜の夢』。

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今回もid:saebou先生のTwitter講義を読みつつ観劇いたしました。いつもありがとうございます🙌。

配信は終わりましたが、こちらの公演は7月10日からナショナルシアターライブとして映画館で公開予定。そちら見る前の方はネタバレ注意です。かなり演出が独特です。

スタンダードなシェイクスピアズグローブ版とは違って、演出も解釈も現代的で独創的。舞台美術も手伝って、自由に想像して大きく思いを巡らせるような演出。(シェイクスピアズグローブ版の私の感想はこちら👉配信観劇その24『夏の夜の夢(A Midsummer Night’s Dream)』(Shakespeare’s Globe, 2013) - je suis dans la vie

特にTwitter講義でもあった「イマーシヴ(没入型)舞台」の演出が生かされて、配信でもライブ感がより楽しめるつくり。

舞台は平土間型で、観客は立ち見。観客はセットの動きで移動できる。芝居を見てるというより、大きめのライブハウスのイメージ。自分が見たいとこから見れる。

音楽もダンス系、衣装、照明もショー的な華やかさ、観客に花輪を被せてたり、役者の客いじりも通常のそれよりかなり距離感が近い。観客の反応やツッコミも歌舞伎の大向こうのようではなく、もっとカジュアルだ。それもライブの歓声に似ている。

パックがクラウドサーフしたりもライブっぽい。ボトムらが観客のスマホを借りて月齢を調べるくだりなども↓。

さらに特徴的なのがエアリアルシルク(シルクドソレイユのあれですね)を使った演出で、空間や動きを強調したエンターテインメントで観客の気持ちを盛り上げて、役者との距離だけでなく会場全体の一体感をも作り上げている。

エアリアルのパフォーマンスをやるのは主に妖精役で、おそらくほとんどは専門のパフォーマー。ただしパック役のデイヴィッド・ムアースト(David Moorst)はこの公演のために数ヶ月前からトレーニングしたそう。

特に観客は妖精やパックの目線で芝居を見る感覚もあるので、パックの位置付けはより観客に近い。

彼は役作りも独特のパックで、衣装はタンクトップにリメイクジーンズ、妖精というよりニューヒッピーかパンク少年。ちょっとシニカルな物言い。個人的に雰囲気としてはドラマ「相棒」における浅利陽介を思い出させる。主人の言うことを聞きつつ、舌打ちしながらやってそうな感じのパック(杉下さんの言う事を、嫌々ながら聞く青木くんのあれです)。

この↓シーンがまさにそれを表していた。ダルそうで全然「ダッタン人の矢」のようではない。

めっちゃ余談ですが、「ガラスの仮面」ではマヤがパックの役作りをつかむ重要な台詞。それとは全く解釈が違ってますね。月影千草がボール投げつけるか、むしろ「この子は天才よ…!」と言うか。まあエアリアル習得した時点でガラかめ感あるんだけど(余談終わり)。

ところで、ベッドの仕掛けは「エルム街の悪夢」を思い出しました。若きジョニデが引き込まれるシーン。

という悪夢としての夢を思い出したのは、おそらくこの夏夢は賑やかな恋のお話というだけでなく、表に対しての裏や、影の世界の持つ闇の部分も示唆する演出だからかと。

上の動画でネタバレしたけど、今回はティターニアとオベロンの台詞が逆。ティターニアがオベロンに恋のいたずらを仕掛ける側(パックはティターニアに付く妖精で、主従関係も母と息子っぽさもあり)。

つまりオベロン(男)とボトム(男)が恋に落ちるシチュエーションが今回の見どころ。

この2人のシーンは音楽も特にアゲアゲだし、下ネタ満載で楽しい。オベロンはオネエっぽいキモノ風ガウン姿、脱ぎっぷりもよい。ボトムはクマさん的大男風で、見た目にも過剰なゲイっぽさを演出している。

しかし見てる間は「こういう同性愛表現を笑って見ていていいのかな?」と心配にも。だけどただ男2人の滑稽さで笑いを取る演出なのではなく、最後の結末の伏線となって生きることに。

ティターニアとヒポリタ、オベロンとシーシアスは同じ役者が演じるので、オベロンが経験したことがシーシアスに影響する演出となる。オベロンの同性との関係が、シーシアスの最初と最後の変化の理由づけになっている。ここはシーシアス役のオリヴァー・クリスの、台詞にさらに肉付けされた情感あふれる演技が良かった。

ティターニア/ヒポリタ役のグウェンドリン・クリスティーは背が高く、体格のよさを引き立てる衣装。かといって男性的な威圧感は出さず、物語をあやつる主の存在感。彼女の受けというか待ちの演技、周りがよく動く分だけ引き立ち、場をしめる役割。夢の世界をコントロールするお釈迦様のよう。

他にもセクシュアリティに関する表現があり、4人の恋人たちの騒動にも新たな解釈をつけていた。4人がかけられた魔法でケンカしてる時に、パックがそれを解く前にさらなる悪戯をしかける。短い時間ではあるが、ディミトリアス&ライサンダー、ハーミア&ヘレナの同性カプにしたりする展開がある。魔法が解けた後の方でも、夢が現実に影響しているかのような表現もある。

この演出は筋を変えてしまう恐れもあるけれど、すでにあるオールメールやオールフィメール、もしくはクロスジェンダーの演出より自由な表現ができる可能性を感じた。すでにあるかもだけど、ハーミア&ヘレナが同性婚を反対されて駆け落ちする、とか。その場合ディミトリアスライサンダーどうするのとか。結婚にとらわれず独身選ぶのもいいし、夏の夜の夢というシチュエーションだからこその自由な表現を考えるのは楽しそうだ。

最初から少しずつ観客を引き込み、とらえ、最後には少しばかりの柵も取っ払い、観客を舞台に上げて共に饗宴を祝い踊るエンディング。音楽はオベロンとボトムがラブラブな時に流れたビヨンセの "Love On Top" でもう一度アゲアゲ!

演劇という枠組みでなく、音楽、照明、振付、美術、エンタメ、色々な面で自由な楽しみ方ができる。

表は裏であり、現実は夢である。という考えはシェイクスピアに限らず他にも多くある。佐藤史生の漫画『打天楽』には、鰥(クワン)という「眠らない魚」が出てきて、「世界はクワンが見ている夢」という設定だというのを思い出した。

夢はもう一つのリアルであり、現実に影響しリンクするという物語は扱いが難しいが、自由な表現するにはもってこいのモチーフだ(パックもつまらなかったら夢だとご容赦くださいね、って言ってるし)。

独創的な演出だったので、日本語でどう表現するか日本語字幕版も見たいところ。ボトムがカラシの種に"give me your paw" って言うとこがfist になってたのはなんて訳すんだ、とか。4人の恋人たちのシーンはティーンエイジャーっぽいノリだから、元のテキスト通りのセリフでもこの演出ならより現代語っぽい方が合うだろうし。しかし私はいつ映画館行けるのかしらん。

 

その他メモ

  • "Bonkers" by English rapper Dizzee Rascal and Armand van Helden(劇中劇で使用されていた曲)
  • "Only If For A Night" by Florence + The Machine