je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

安心感に満ちた鑑賞体験〜『夜、鳥たちが啼く』ジャック&ベティ

f:id:star-s:20230214215614j:image

売れない小説家・慎一(山田裕貴)の住む家に居候することになった友人の元妻・裕子(松本まりか)とその幼い息子・アキラ。母子は母屋に住み、慎一は隣のプレハブで生活するという奇妙な半同居生活。慎一は昼はコピー機のメンテナンスの仕事、夜は小説を書いている。裕子は引っ越し先が決まったらすぐ出て行くというが、夜な夜な男と飲み歩いている。そんな不安定な裕子とアキラを遠巻きに見る慎一もまた、鬱屈した思いを抱えている。別々に生活しながらも、少しずつ近づいていく男と女、その息子。

男女の関係が分からず探るようなシナリオが、2人の距離感の変化に重なる。

日常生活の中に差し込まれる、男と女のそれぞれの過去。それは果たして本当に彼らにあった現実の出来事なのか、それとも男が夜な夜な書いている小説の中の話なのか。その見分けがつかない演出は、2人の傷つきやすい人間の人生を、乱暴に暴露するのではなく、そっとこちらに語りかけるような、優しさのある表現になっている。観客は下世話な野次馬ではなく、責任ある見届け人となる。
かなり大胆な「濡れ場」がある。しかし、これはきちんとインティマシー・コーディネーターつけてると見ている間に分かった。その事により作品の美しさが増し、尚且つ安心して見られたのは大きな発見であった。
古い映画人は「コンプラやらうるさくて映画作りがつまらなくなる」とご自身の都合ばかり駄々っ子のようにごねて変化を認めない。しかし、今作では変化を受け入れた事で俳優の演技表現は確実に良くなっているし、観客側にもそれは伝わっている。人を楽しませる、ということは「安全である」ことは第一条件ではないか。そしてそれは何事にも大前提である。映画館という密室で、観客はスクリーンに身を委ねている。身を委ねるというのは信頼だ。映画で描かれるものが愛であろうと、暴力であろうと、それは変わらない。悲しみも憎しみも苦しみも、伝える側の誠意を見せなくては。

今作では、スクリーンの向こうにいる観客の存在を無視しない、そして演じる俳優の人権を守る事。制作する側がそれを大切にしようとする姿勢を感じた。

美術や小道具、音響など細かなクリエイションにも力を入れていることからも、丁寧な映画づくりが分かる。佐藤泰志作品は故郷の函館が舞台のものが多いが、今回は違った。しかし佐藤作品の持つ世界観はそのままに伝わる。

映像化された佐藤作品は監督も俳優も違うのに、なぜか同じ雰囲気をいつも感じる。原作の持つ名もなき弱き市井の人々の細やかな情感描写は、映像作家のインスピレーションを刺激するのだろう。映像にした時に、小説で描かれた情景がさらに光を増す。今作では、俳優の良さもより引き出したよい演出だった。