je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

舞台でも映画でも、ビッグフライな二刀流〜『ロミオとジュリエット』ナショナルシアターライブ

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新型コロナウイルスによる舞台上演中止の悲報が駆け巡るこの2年。

その中で舞台上演を映像芸術としても残していることに定評のあるナショナルシアターライブが、映画制作に取り組んだのがこの作品。舞台演劇としての側面を存分に生かしつつ、映像作品としてもクオリティの高い「映画」でありました。

まず90分ほどに短くしたことに注目。おそらくは、コロナ禍の制作であまり時間をかけられないというのもあっただろう(撮影期間は17日間)。映画作品は2時間以内におさめた方が観客に見てもらいやすいというのがある。舞台を見ない人に3時間の映像は厳しい。しかし戯曲の魅力を損なうことなく、より色濃く鮮やかにした90分であった。

90分におさめるための脚色もうまい。ロミオが毒薬を入手するくだりや、ジュリエットが薬を飲む時間など辻褄を合わせて、短縮へつなげた。ここはむしろ分かりやすく、全体バランスもより良く感じた。

映像効果も存分に使っており、クローズアップ多用ももちろん、ささやき声による恋人同士の距離感、音楽効果、狭い空間の使い方、ライティングも舞台では効果の見えにくい部分で、言葉ではなく視覚でうったえる効果を存分に。

特に私がグッときたのは3カ所。

一つ目はバルコニーのシーンは割合普通のように見えるが、ここで大きな月を背景にしている。さながら昔の日本の時代劇映画に出てくるニセモノの月のようで、舞台装置的なけれんみたっぷりだが、むしろ舞台でここまでの臨場感を出すのは難しいのではと思う。舞台では月の大きさが目立ってしまうだろう。

二つ目は二人の初夜シーンである。舞台だと朝チュンなので、彼らが「いたしたかいたしてないか」は何気に謎なのだが、しっかり表現していた。こちらも映画という装置を生かしている。

三つ目はラストに二人のラブラブシーンを手前から出会いへと遡って映像で見せたところ。二人の生き生きとした姿を再度、しかも逆回しで見せられることで、2人の走馬灯のようで、悲劇性がグッと増幅される。

前半の結婚式までの恋人たちの盛り上がりから、後半の悲劇のコントラストも映像ならではくっきり分かれており、わかりやすくなっている。

劇場を使って撮影しているので、舞台としての魅力も存分に伝わってくる。舞台裏を路地裏に見立てたり、大きな戸やシャッターは暗幕や緞帳だ。

舞台作品でもない映画でもない。しかし舞台としてもヨシ!映画としてもヨシ!そうまさにNTLならではの二刀流。

サイモン・ゴドウィンの演出もさることながら、俳優陣ももちろん素晴らしい。主演二人は三十代なのだが、安定感ある演技の中にも若い恋の情熱の表現に年齢を感じさせない。特にジュリエット役のジェシー・バックリーは歌手という側面もあるためか(ジュリエットの歌唱シーンもありこれも効果的)、映像における存在感の表現が秀逸だった。映像においてどう見られるか分かっている動きと表情。なおかつただ大人に翻弄されるだけではない、行動的で主体的なジュリエットは魅力的であった。

 

パンフレットが充実しており、河合祥一郎先生の解説がすべてを網羅しており、しかも松岡和子先生と青木豪さんの対談まで。松岡先生の視点と話術の巧みさは毎回尊くて拝みたくなります。

北村紗衣先生の解説記事も必読。👉稽古場からスクリーンへ~ナショナル・シアター・ライブ『ロミオとジュリエット』 | cinemacafe.net

 

ちなみに今回のタイトル二刀流云々はもちろんオータニさんにかけたものですが、パンフ内の河合先生解説タイトルの「場外ホームラン」にもかけてしまうという暴挙。

コロナ禍だからいたし方なく、というより「できることやろう」「工夫してあるものでやろう」という人間の創作に挑戦する前向きな姿勢が生んだこの作品。オータニサンのマインドに負けず劣らずですし、もちろん場外ホームラン見た時のどこまで行くのか分からない楽しさを味わえて、見てる間はコロナとか忘れてしまってました(もっちマスクはしてたけど)。take me out to the ball game ならぬ、take me out to the theatre が聞こえてきそうな楽しい観劇体験でした。

 

(余談)

このブログ余談が多いんですけどね。

今回ロミオが毒薬を入手するのは「修道士が作った毒薬をかすめる」わけなんだけども。ロミオの入手目的は若気の至りでいいとして。修道士何で死にいたる毒薬つくってんの、そしてそんな大そうなものを無くしたのに何故すぐ気づかんのだ。そもそも数十時間後に目覚める仮死状態になる薬作れる時点でマッドサイエンティストみあふれすぎ。

ということをふまえて、実は全部「修道士による策略」という見方もできて、そういう翻案あっても良さそう。動機がないっちゃないんですけど。ジュリエットに横恋慕してたとか、両家に恨みがあったとか、両家の争いを止めるために大公が企んだとか。横溝正史風ロミジュリですね。アヲヌマシヅマだ〜。ぜひアリ・アスター監督で映画化してほしい。

あと毎回思うけど、パリスかわいそうだよね〜。かませ犬にさえ〜なれないぜ〜♪(まさかのスライダーズで〆)。