プロスペローをマーサ・ヘンリーという女優さんが演じてるのが特徴。
この主人公を女性にというのも演出として画期的なのかなとも思うのですが、この方現在御歳82歳。主演された2018年は80歳。ちなみにストラトフォード・フェスは常連で、初めてのストラトフォードの舞台に立たれた1962年(当時24歳)にはテンペストのミランダ役を演じていたとか。
うちの母が79歳なのでなんとなく親近感。
まあ年齢や性別で演者を見てしまうのは、いまさらこの時代に野暮が過ぎるかと思うけれど。
ただ今回はビジュアルもしっくりきたし、俳優のキャリアから来る存在感やどっしりした幹が感じられて、キャスティングはぴったりだったなと思います。
演出が全体的にファンタジー感あるセットや衣装。星の王子様に出てくるバオバブの木の根っこみたいなセットがメイン。プロスペローが魔法の杖を振る時に音とライトを、キャリバンにけしかける犬を赤い光だけで表現したり、暗闇をうまく使っている。その他の大きなセットは最初の船の帆と、エアリエルが化ける怪鳥。怪鳥はかなり大きくて(ちょっと紅白の小林幸子ちっく)出番が短かったが、プロジェクションなどにしなかったのは良かった。島の不思議な世界観を、舞台の奥まであるかのように感じさせていた。こういう仕掛けはわりと好きなので、やはり実際に舞台を見たいなと思った。
プロスペローはオフホワイトのゆったりしたワンピースに、アースカラー系だが色とりどりのつぎはぎされたようなマントを羽織る。いわゆる黒い衣装の魔女イメージではなく、山にこもった仙人や翁のような世捨て人感。デザインはツモリチサトかミナペルホネン系という感じで、エイジレスな可愛らしさの雰囲気のプロスペローである。
エアリエルや道化、妖精たちの衣装も形も色合いも可愛らしくジェンダーレス。王様一行の衣装も中世のそれなのだが、襟が大きめのレースだったり、ブーツが折り返しのあるぶかぶかなシルエットだったり、全体的にゆるふわな感じで見てて楽しい。
ミランダは清楚な可愛らしい雰囲気。プロスペローとお揃いのワンピースで、親密な母と娘の関係を思わせる。プロスペローが復讐の心を徐々に緩和させていくのは、エアリエルの献身もだが、この娘の真っ直ぐな純朴さが影響していると思わせる。
キャリバンは片腕に貝をびっしり貼り付けた奇形の生物で、大柄な俳優さんが演じているのもありちょっと恐ろしげ。しかしステファノーとトリンキュローとの3人のからみのところはさながらコントのようで、全体の中に挟まれる小噺みたいで楽しかった。
本来はプロスペローの復讐から許しの物語なのだが、マーサ・ヘンリーの母性的で懐の深いプロスペローと、音楽や照明などファンタジックな雰囲気で包まれた演出で、タイトルの嵐に表されたような猛々しさはあまりない。
しかしマーサ・ヘンリーの穏やかな声音から繰り出される台詞は、真っ直ぐにこちらに響いてくる。
最後のセリフ、シェイクスピアがこの作品を本来なら最後の作品にしようとしていたというエピソードから、いろいろなことを考えてしまう。
"Let your indulgence set me free"
最後のset me free は筆を置くシェイクスピアと魔法の杖や本を捨てるプロスペローが重なる。『シェイクスピアの庭』という隠居後の沙翁の映画では、なぜ筆を折ったかは明らかではないが、宗教的な抑圧などもあったとされる。
本人は何から自由になりたかったのか?
深い考察はできないが、この作品でのキーワードの「自由」は現在でも色々な状況に当てはめることができる。赦しを経て、果たして自由となるのかどうか。この物語のように理想的にはいかないのが現実ではある。でもだからこそ、最後にこのメッセージを持ってきた重みを伝えられる役者はなかなかいない、と思うのである。