je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「CLEANSKINS/きれいな肌」@新国立劇場 小劇場

舞台装置が面白い。上から部屋の中を見下ろしている感じなのだが、天井がななめに切ってあり、部屋自体も三角に傾斜しているように見える。ちょうど、久しぶりにお会いしたteruさんが隣りだったのですが、トークショーにteruさんは行っており、その際に、実際床が斜めに角度があると栗山さんが言っていたとのこと。どうもそれにも意味があるらしい。
静かで貧しい家に、息子と母親が住む。息子がブザーを4回鳴らすと帰ってきた合図なのだけど、母親はいつも開けそびれる。母親に「4回数えてみろよ!」と悪態をつきながらも、母親がいなければ何もできない息子。北村有起哉くん演じるサニーは、弱くて愛らしくて、まだ子供のように純粋。薬中にもなったことがあって、狂気を秘めた臆病者。うーん、こういう役ははまりますねえ。でも、年齢を経て、ただ狂気的な暴力的なとこだけじゃなくて、あくまで普通の生活も送ってきた、弱くもあり強くもあり、という人間らしい感じがところどころに出ていた。
設定も難しし、台詞もかなりスピードがあって、動きも狭い中で動き回って大変そうだった。でも、母親役の銀粉蝶さんがいいペースメーカーになって、ほどよくコントロールしている感じ。息子と二人で、息子のご機嫌を取ったり、帰ってきた娘を拒否できなかったり、二人の間でおろおろしたり。娘は娘で勝手な事ばかり言って、でも結構正しい事を言っていて。息子は阿呆で、傷つきやすくて、なんでも人のせいにする。
私は弟がいるので、なんかこの距離感がよく分かった。前に北村君がやった「ハローアンドグッバイ」では、姉と弟だけだったけど、ここでは母親が入る。姿は出てこないが父親もいる。家族は実は一番お互いを知らないもの同士で、秘密があって、それを抱えながら一緒に生きている運命共同体
「シアターガイド」で、姉のヘザー役の中嶋朋子さんが、民族や宗教というテーマが難しく悩んでいた時に、演出の栗山さんに「これは家族の話です」と言われて、自分は間違ったフィルターで見ていたなと感じたという。姉が何故イスラム教徒になったか。それも父親の存在が大きい事。母親はそのことに気が付いていたこと。最後に事実を知って、驚愕し裏切られたとさえ思う弟。宗教や民族のことがなくとも、家族にはありうる出来事。
先週は鷺沢さんの「ウェルカム・ホーム」を見て、今週これを見て、何故人は自分の出自を知りたがるのだろうと思う。そして、自分を含め、人は何故、人を分け隔てしようとするのだろう。そうすることで、安心するからだろうか。
日本で格差社会が問題になっていると言われているが、格差は前からあったし、民族や宗教の問題も、性差もずっとあった。ただ、目をつぶっていたり、知らないふりをしている人が多かっただけだ。今はそのツケがまわっているのかもしれないし、よく言えば知ろうとしている人や分かってきた人が増えたのかもしれない。
この作品をあえて日本で、翻訳劇としてできたこと、そしてそれを見れたことはラッキーなんだろう。必然なのかもしれない。
仕事でパキスタン系の人の滞在のコーディネーションを何度かした。皆がとても信心深く、日曜日にはかならず礼拝をしたいと言うので、都内のモスクを探してあげたことを思い出した。食事にも制限があり、何が食べられて食べられないかいろいろ調べた事も思い出す。いつも通訳をしてくれたインドネシア人の青年は、明るくて、当時の私の上司のあからさまな差別的な態度にも慣れているのか意にも介さなかった。私には、彼らが何が違うのか分からなかった。今でも、分からない。私は差別意識がないわけでもないし、心が広いわけでもない。多分、私にはまだ分からない事、知らない事が多いのだ。それを恥じ、意識させられた。
ロンドン生まれのパキスタン系イギリス人の、この作品を書いたシャン・カーンが、パンフレットに寄せたメッセージ。「あなたの信じる神があなたとともに歩んでくださいますように」。哀しい言葉だけれど、優しい言葉。信じる神のいない人間にも伝わるだろうか、と思いながら。