je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

配信観劇その27 “Les Blancs” (ナショナルシアター、2016年)

ナショナルシアターの配信。9日まででした。

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1950年代に戯曲作家として若くしてブロードウェイデビューし、夭折した黒人女性ロレイン・ハンズベリーの遺作。

(あらすじ)

舞台は植民地時代のアフリカのある村。

ミッションと呼ばれる宗教・医療施設にチャーリー・モリスというアメリカ人ジャーナリストが取材にやってくる。

施設には若い女性医師ゴッターリング、老医師デコーヴェン、ノルウェー人のニールセン牧師とその妻ニールセン夫人の白人4人がいる。ゴッターリング医師以外は40年ほどアフリカに住んでいる。彼らは現地の人々に布教し、治療を施し、彼らに馴染んでいるようだ。

同じく長くアフリカに住むライス少佐は差別的な言葉を吐き、現地のテロリストを捕まえては処刑している。

そこへ元村民のチェンべ・マトセが父の葬儀のために帰国する。彼はイギリスに住み、実業家となり白人の妻と子供がいる。聖職者となった兄アビオセ、異父兄弟のエリック、親戚のピーターらと久しぶりに会うチェンべは懐かしむよりも周りと自分の変化に葛藤する。

そんな中、独立運動家クマロがライス少佐に処刑され、現地の革命軍の活動が活発化していく。

"Les Blancs" は「白人」の意(lesは複数形、blanc は白)。1959年のジャン・ジュネの戯曲"Les Negres (The Blacks)" を見たハンズベリーがecho reference(否定的反響?反証?)として書いた作品。ジャン・ジュネの描く白人フランス人のよくあるエキゾチック趣味なコロニアリズム植民地主義)表現に納得いかず、リアルな表現を描きたかったそう。彼女は1965年にすい臓がんで亡くなり、本作は1970年に上演されている。

かなり重いテーマであり、複雑な話である。ショッキングなラストも決してすっきり理解できるものではなかった。

主人公チェンべの葛藤の物語でもあり、彼が言葉を交わす人物たちとのセリフが物語をつなぐ。モリスとの会話は特に目立つ。モリスはミッションの意義や、辺境のアフリカの人々の苦悩と共に生きる白人のストーリーを取材したいと思っており、それは分かりやすく滑稽なほどに表面的だ。チェンべは彼のその浅はかさを嫌悪し指摘する。お前たち白人の苦悩とアフリカの苦悩は違う、と。

"at Africa's expense, as always" (いつもアフリカの犠牲の上に成り立っている)

と白人の優越感を満たすためだけの偽善、欺瞞を責める。

最後モリスが帰国する時は「この事実を書けばいい」とたきつけ、

"Your moral obligation to humanity is being fulfilled" (それでお前の人間性への道義的責任は果たされるんだろう?)

と最後までかなり辛辣だ。

しかしその言葉も、白人社会に住み、すでにそちら側にいるチェンべ自身へ向かうのかとも思わせる。

序盤中盤のモリスのいかにもアメリカ人的な発言、ゴッターリング医師の一見耳障りのよい志など、だんだんと後半の謎解きに響いていく。

カソリックの僧となった兄アビオセとの価値観の相違、白人とのハーフの弟エリックへの戸惑いと憐憫の情、信じていた父と親代わりのピーターがテロリストグループであったことのショック。チェンべは祖国アフリカで起こりつつあることに巻き込まれていく。

「アフリカはずっと懇願してきたのに、無視していたのは白人だ。俺たちが武器を取って白人はやっと目を向けた」というピーターたち。そんなピーターらの暴力による革命を止めようとするチェンべ。しかし白人寄りの思想の兄アビオセにも彼は納得できず、葛藤し続ける。

アフリカ現地民側のエピソードも善としてだけ描いているわけではない。そこに主人公の葛藤を描くのは現代に通じるものもあるかもしれない。

自分たち兄弟を「子供たち」と可愛がってくれ、亡くなった母の親友であったニールセン夫人の言葉ですら、最後には虚しく聞こえる。

チェンべにはいつも幽霊のような「女」が見えており、芝居の時々に現れる。背の高い、現地の民族的な装いで黙って歩いている。

これはアフリカという植民地のメタファー、もしくは「白人(男)」に凌辱された「アフリカ(女)」という擬人化でもあるのではと思った。

(というのはこれはネタバレだが、弟エリックの父親はライス少佐で、チェンべの母をレイプして生まれたのがエリックだ。母親はエリックを生んで亡くなっている。)

とはいえ、「女」はチェンべの母の幽霊というよりは、チェンべのどうしても消えないアフリカのアイデンティティのような存在である。

チェンべの家族の秘密だけでなく、実はミッションも長きに渡って存在しながら現地民と真に交わる事はなかった。なのにライス少佐もニールセン夫人も「アフリカは私の国」だと言う。

チェンべの葛藤はそのまま残り、彼の最後の決断はただただ恐ろしい。

書かれたのが公民権運動の頃とか、作者の死後に元夫によって編著されたとかを聞くと、表現に偏りがあるのではと思う部分もある。白人の描き方が多少ステレオタイプな面も少し気になる。作者はアメリカ生まれで、祖母らにアフリカの話を聞いていたらしいので、どのようにこの物語の取材をしたのか、端的に受け止めるには難しい。現代の目線を加えた演出もほしい。

だが、この時代の黒人側の白人への印象はこういうものがあったのだと、今のアメリカにおける価値観と並べて考えると、それほど古いともいえないのではないか。

実際に被害を受けた当事者と、それを助けようとか代弁しようとかいう人間との溝、というテーマの表現としてはよくできていたと思う。

演劇に限らず、当事者でない人が何かを語るなんて事は本当に慎重にしなければいけないというのは、このところずっと思っていて、いろいろグサグサ刺さる話でした。うーん難しい。