je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

おそろしいおもしろいまぼろし〜ゆうめい『姿』(再演)(6月アーカイブ配信)

6月にアーカイブ配信で見たのですが、いまだに忘れたくても忘れられない忘れたくない作品となってしまいました。

あまりのインパクトに、劇場で見たかったような、いやしかしこの衝撃は配信くらいでちょうどよかったかも。でもまた再演あったら絶対劇場にいってしまうと思う(その理由は後述)。

池田亮さん主宰の団体ゆうめいの芝居『姿』の再演。2019年の初演が話題となり、「芸劇eyes」に選出されシアターイーストでの再演。

池田さんの体験、親族とその周囲の人たちへのリサーチをもとに作られた私小説的な物語。話題になったことの大きな要因が、父親役を池田さん実の父・五島ケンノ介(芸名)が演じているということ。このお父さんがとにかく熱い。おかしくて悲しくて切なくて熱い。演技は素人なのだがおそらくまんま自分を演じているので、素人の必死さと現実での彼の苦しさの再現がリンクしているように見えて目が離せない。

メインの筋は池田さんがモデルの映像作家の主人公、とその父、そして別居している母親との確執。その確執が生まれるまでの子供時代、遡って母親と父親の出会いや、母親の両親(池田の祖父母)の過去などのエピソードがモザイクのように差し込まれる。

舞台美術がシンプルだが演出プランをさらに引き立てている。二つの箱型のセットが並び、それが動く。箱型のセットにはソファやテーブルなど簡単な家具があり、父親と母親のそれぞれの家となったり、祖父母の家、友人の家となったりする。箱はくっついたり離れたりして、父母に挟まれる息子を表現したり。

池田さんが舞台以外に映像作品などの制作もしているのもあり、脚本を書いているウマ娘のネタや、VTuberの撮影風景などもあるが、演劇としての表現は役者の肉体を大きく使って、動きが激しい。タイトルの「姿」の意味にもなるのだが、一人一役ではなく、父母の役者と祖父母の役者が入れ替わったり交差したりする。姿は一つではなく、過去に重なり、幻か幽霊のようだ。

この芝居が話題になったことのもう一つの大きな要因は、母親のキャラクターのインパクトの強さである。芸術家に憧れながらも、役所勤めと家庭生活の板挟みで壊れていく母親。そのストレスは自分のみならず、夫へ、そして息子へ向けられる。自我が強く、思い込みも執着も激しいそのパワーは、心身両方に暴力的である。毒親という言葉を軽々しく使いたくないが、「事実なら相当やばくないかこの母親」とだれもがヒヤッとするシーンが続く。家族ならあるよね〜そんな事も、というには少し激しすぎるキャラである。

息子に向けられる暴力のうち、これが一番きついと思ったのは、息子がやっている仕事を「芸術的でない」とせせら笑うところ。祖父が芸術家(ただしクズ)、結婚するまで美大を目指していた、今はお役所の仕事で芸術家をサポートしている部署にいることなどから、彼女の言う芸術とは、息子のやっている動画の配信やアニメの脚本仕事ではないのだ。しかし息子がアニメを愛する理由は親友との思い出に由来し、感傷的だが彼にとってはとても大事なことである。そこを知らないとしても、確実に意図的に息子が傷つく言葉を使用している。母親は家族を見下し傷つけることで自我を保っているのだが、さらに悲惨なことにそのパワーは増幅して止まる様子がない。

母親のエキセントリックさの元凶は、母親の両親に、特に自由奔放だった祖父と彼が壊した家庭に由来するのではという表現が入る。しかしそんな生い立ちさえも霞むかのような母親のポジにもネガにも全振りの生き方に、家族は傷つき耐えられず離れていく。ラストは疲弊しながらも、それでも最後の力を振り絞った父親の、かつては愛した妻へ向けたみっともないダンスが笑っていいのやら泣いていいのやら。これを実の父が演じている、つまり自らに現実に起こったであろう事を、わざわざ身を削って再現しているのだと信じて見ていると、他人ながら苦しい話であった。

 

というのが最後の場内アナウンスを聞く前で、さらにアフタートークを聞く前のことである。

それらを聞くとガラリと様相を変えてしまう。「姿」がさらに変容する、というか姿が何なのか分からなくなる。

 

・『姿』の変容その1;場内アナウンス(※ネタバレ)

まずは終演の場内アナウンスが実の母親で「現実は違います。離婚してないし、池田姓のままです。」ということが知らされる。ここで観客は、今見た芝居がフィクションと知り、少しばかりホッとしなーんだと拍子抜けする。

 

・『姿』の変容その2;アフタートーク(※ネタバレ及び楽屋裏)

トーク出演者)

  • 作・演出の池田亮さん
  • 父親役の五島ケンノ介(実父)
  • 母親役の高野ゆらこさん(この方は女優さん、もち他人)
  • 実の兄のいけちゃん(バンド春日部組所属)

出てきた瞬間に実兄が涙ぐんでいる。「父親がハッピーサマーウエディング踊ってるの見たら感動して」とのことであった。さらに聞くと、「自分は二十歳くらいで家を出たので、芝居のようなことがあったなんて知らなかった」という。当時はまだ中学生であった弟・池田亮氏への同情や、気付いてあげられなかった後悔があるというようなニュアンスのコメントである。この時点であれっ、この家族なんなんだ?となる。舞台の上のことは本当なの?フィクションなの?

ちなみに芝居で兄はおらず、一人息子の設定である。ここは意味があるのかないのか…。

その他トークについて箇条書きメモ。

・兄曰く、母親の本当の姿と芝居の共通点;「向き不向きじゃなくて前向き!」というパワーワードは確かによく言っていた(この言葉でどんだけ母親がヤバめか分かるでしょうか)。

・「チャぐり」と言う「調子に乗っている」という意味の造語もよく言っていた。自己肯定感の強い言葉が多い。

・池田さん曰く、初演との違いは、母親のチェックが入ったらしく、祖父のキャラクターをかなり変えたとのこと。初演よりもカッコいい感じにしたらしい。確かにイケメン芸術家風にしてて現実味がなかった、ということは初演はもっとえげつなかったのか…。

・母親役の高野さんは実際にお母さんに会ったそう。いい人で面白かったらしいが、芝居の通りだなと思う面もあり。

・母の芸名は小谷浜ルナ。「型にはまるな」→カタニハマルナ→コタニハマルナ…なんだそうです(ヤバい)

・息子をつねっていたシーン(無理矢理息子と一緒に寝て何故かつねるシーンが何回かある)について、つねった理由は「息子が可愛かったから」(ヤバい)

・役所勤めは本当。(ヤバくはない)

・再演時は定年退職しているはずだったので、母親役として出演するつもりだった(!)(かなりヤバい)

・しかしオリンピック関連の仕事をしていたため五輪延期に伴い退職も延期に。今回の公演中は区のワクチン接種の仕事で忙しいため、劇場にも来られず場内アナウンスのみに(ヤバくないし、いい話)。

・退職後はアートの趣味に没頭したいらしい。

 

ネタバレ書いても分からないかもしれないですが、このトーク中、池田さんが楽しそうにしてるのがまたおっそろしくてですね…。お母さんも怖いけど、息子もヤバいのでは…。お父さんは優しい困ったような笑顔で、いい人そうなんだけど、これ完全にお母さんに洗脳されてるのかカサンドラ的な感じなんじゃないの。お兄さんは少し距離がある感じで普通っぽいのがまた怖い。アリ・アスターの作品は(多分)フィクションだから楽しめるけど、これはフィクションだと思わないとやってられん。

お母さんは「やだ私こんなんじゃないわ」って思ってるらしいのだが、おそらく息子が彼女の大好きな芸術で評価されるのが嬉しいからOKらしい。家族そろってヤバいのか、池田さんがこれを母への復讐として決着つけるために作ったのか、ファミリールーツ的な制作物としてとるか。

私がもし再演があるならぜひ見たいと思うのは、母親の出演とさらに変容するであろう「姿」をぜひ見て見たいからです。

 

ところで、親族以外の人間で、主人公の子供時代の親友が出てくるのだが、ここは一番丁寧に慎重に描かれていたように思う。この親友の話だけは本当なのだろうと思う。というかこれまでもフィクションか脚色が入っていてさらに変容するなら、おそろしい。

 

(追記)書き終わってから読んだ記事。

ゆうめい『姿』池田亮×高野ゆらこ×児玉磨利インタビュー~母役の二人が実在の母と会って感じたこと | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

そうだ、高野さん達がお母さんに面会した時に「自己紹介をパワポの完璧な資料で説明」というヤバエピソードもあったわ…。お母さんネタ濃すぎてヤバくて他にも色々あったけど、とにかく芝居を見てほしいので再再演求む。

 

池田さんとお母さんの対談記事やら。芝居見た後に読むとなんともいえない気持ちに。

『姿』再演 上演&配信記念対談

ゆうめい 『姿』 作・演出 池田 亮インタビュー | 演劇最強論-ing