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SFでシュールなグリーンライトヨコハマ~『虹む街の果て』KAAT

一昨年、同KAATでの公演『虹む街』。その続編と聞き、当時一緒に行った友人とともに観劇しました。

『虹む街の果て』KAAT外観

ペインティング参加イベント(4月13日)

4月の中旬に、この公演の舞台セットを塗る「ペインティング参加イベント」があり、面白そうなので行っておりました。

KAATの中スタジオに、前回と同じ舞台セットが組まれており、それを緑色に塗るというもの。枠組みと大道具が組まれているのみで、空っぽのなにもない各部屋の壁を塗る。私が行ったのは平日昼前のためか、人もまばらで、演出のタニノクロウさんとスタッフが黙々と作業していらっしゃいました。

グラデーションのようにいろいろな濃さの緑色の塗料があり、それをそのまま使ったり、混ぜたり、水に溶いたりしたのをスポンジに含ませ、ペタペタと板のセットに塗っていきます。塗り方は自由。私は1時間半弱いたので、一枚ほどの壁を塗りました。点描画っぽいイメージで塗ってみました。背が低いので、上の方は塗り残しができてしましましたが、全体の最終的な仕上げは美術の方がされるとのことでした。

私が塗ったのは前回インドレストランだった所。奥の壁を塗りました。

水性塗料を水に溶かし、スポンジに含ませ塗る。

タニノさんとも少しお話したりでき、最後の方は「こういう感じで塗ってください」など細かい指示も。ちょっと制作に参加した気分。前回も出演されていた馬さん(中華料理屋の店主役で実際にも中華街のお店のオーナー)がちょうどいらしてて、少し中国語でお話したりもできました。この時点では、どんなお芝居になるのかは全く分からず...。

近未来ヨコハマ

公演では観劇前に舞台セットを回遊見学できるとあり、実際にどんなセットになったか近くで見ることができました。前回はコロナ禍制限もあり、見ることはできたけれど、中までは入れず。

私が塗ったとこもきれいに仕上がっておりました。全体像は照明も緑系で、小道具も緑。横浜や野毛をイメージした歓楽街だった前回から、さしずめ「近未来世紀末シティ・ヨコハマ」、映画『ブレードランナー』のようでもあり。

『虹む街の果て』舞台セット

旧・中華料理屋には謎の植物が育てられて、旧・インドレストランには調理器や太鼓が並べられ、姉妹のいたカラオケスナックは小さな傘が並んでおり(その時に「スワローズの傘みたい」と言った友人の言葉が後に当てはまることに...)。前回コインランドリーは閉店したので、そこは廃墟となっているのは分かっていたけれど、周りの店も朽ちているようでとても不気味。真ん中に謎のスマイルマークの球体があったり。

芝居の前に今回は出演者の紹介。前回から出演の馬さんがチャイナドレス姿で中国語でひとりひとり紹介していく。モニターに字幕が出て、前回は台詞が分からないような設定だったが、今回は分かるようにするのかな?と推測。

といろいろ考えつつも、結局ずっとその予想がはまることはほぼなく。

ストッキングを洗い、干す女性。2階から釣り糸をたらし、靴を吊り上げようとする男性。段ボールでできたロボットのコスで動く人。歌う女、自販機の中からゼリーや食べ物を持ってくる男、ループする物語を語り聞かせる老人。細切れにいろいろな行動をするが、意味はないようで生産性も生活感もなくとてもシュールだ。ただ、彼らがここで何かしら寄り添って生きているだろう、というくらいの和やかさはあった。共同体、コミュニティ、寄り合い。

前作は台詞が少ないほぼ寡黙劇で、時折話される外国語も分からない部分が多くとも、その端々に彼らの生活や人間関係が感じられた。今回は字幕はあれど、関係性や前回とのつながりは説明されないし解明もされない。 

歌と音楽、そして踊り、が大きな軸になっており、ミュージカル的でもあった。渡辺庸介さんのパーカッションを軸に、アリソン・オパオンさんのギターと歌、ジョセフィン森さんの歌うメロウなアレンジの「マテリアル・ガール」。ラストは全員で大合唱の大団円。よく分からない世界観に音楽というツールで巻き込まれるようにつれて行かれた。

まさかの東京ヤクルトスワローズ

途中DJに合わせて、皆で旧・スナックに入ってクラブのように踊っているのだが、小さな傘を持って踊る様はさしずめ「東京音頭」で傘を掲げるスワローズファンのようであった。横浜なのに。ベイスターズじゃないのか。そういえば緑色は最近のスワローズのイベントユニの色でもあるがまさか。そっちは「さあ、ミドれ。」が合言葉だそうだが、偶然の一致にしてはできすぎな気が。タニノさんがスワローズファンだとかそういうオチではないですよね?

2023 TOKYO燕パワーユニホームデザイン発表! | 東京ヤクルトスワローズ

トランスフォームしたヨコハマ世界という希望

前回との世界観はセットの再利用と、一部演者が再登板というくらいであまりにも違っていた。が、馬さんがメカ犬(上の写真のタバコ屋の前にいる白い物体がそれ)を撫でていたり、その間に「犬を飼いたい」という娘の声のサンプリングが響く。馬さん演じる中国人の女は果たして、前作と同じ女なのか、娘はどうなったのか、はたまたここは未来なのかそれともパラレルワールドなのか。想像はつきない。

スマイルマークの球体は実は遠くからやってきた宇宙人だったとか、謎の隕石を皆で追ってたり。ラストに向けて謎の宇宙設定が見えてくる。この世界は「球体宇宙人」→「植物の芽」→「人間を肥料?として育つ植物」→「それを原料としたゼリー」となっており、さらにそのゼリーを喰らう球体宇宙人という謎のサイクルがあった(これは配られた注意書きの図柄で気づく)。

生活感のない人間たちはただの肥料なのか、彼らは街に閉じ込められた囚人のようにも見える。緑色のつなぎは囚人服のようだ。歌い踊るのは「育つ」ために必要な作業なのかもしれない。彼らはなんのためにそこにいるのか?果たしてここは地球なのか。宇宙人と共生しているのか、はたまた従属関係があるのか。関係性はここでも見えない。

なかなかシュールだが、前回と同じなのは、そこに意味を見出すことにこの芝居の面白さはないということだ。ナラティブがない。

結局「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」というのは永遠の主題である。それを芝居という表象で具現化したらこうなりました、というようにも取れる。

街の灯りがとてもきれいねヨコハマ グリーンライトヨコハマ~

という歌詞が意味もなく頭をめぐり。

緑に染まる景色は、前回より一層まったく横浜的ではなく、果たして県民参加型演劇がこれでいいのだろうかとちょっぴり思いつつ。けれど、このようなまったく媚びのない芝居もどんどんやってしまう芸術監督とKAATの懐の広さにちょっと感激もしたり。

トランスフォームした近未来都市は、東京ではありがちで現実的で手垢のついた世紀末観になるが、横浜の地のこの世界はよりファンタジックで今までにないものだったようにも感じる。変化していくこと、終末に向かっていくこと、それは果たして絶望だけなのか。ここに来なければ分からない、というのは演劇の魅力であるなら、この芝居はまさにそうだったと言えるでしょう。

予定調和になってしまったら面白くない、どんどん実験していってほしい劇場です。

なんだかんだまた巻き込まれ、飲み込まれ楽しんでしまった不思議体験でした。

「モノや食べ物に幸せはない」という深ーいメッセージを受け取りつつ、ランチでトルコ料理に舌鼓をうち、山下公園のバラを見て、横浜グルメを散々テイクアウトで持ち帰り、シュールな芝居は芝居として、現実の横浜も欲望のままに堪能しまくった1日でした。

この世界は続くのかどうか。馬さんの「再見」はあるのかないのか。

また次回も楽しみ~。

  • 前回の『虹む街』の観劇ブログはこちら。

『虹む街』KAAT神奈川芸術劇場中スタジオ - je suis dans la vie