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ウンゲツィーファ UL(ウルトラライト)演劇公演『トルアキ』@図鑑house

“持ち運び式演劇プロジェクト”と不思議な惹句。

ウンゲツィーファについては2019年頃、TLで目にして気になっていた。「江古田近辺の民家の中で行われる演劇。役者はそこに住む人として演じ、客は間近でそれを見る」という上演形態。観客は透明人間のような感じなのか。その上、その劇場となる「民家」の場所は観劇を申し込んだ人のみに知らされるという小さくも甘い排他感は、お好きな人は俄然食指が動くのではと思う。

江古田に母校があるという近しさもあって、見に行ってみたかったのだが、今住んでる所からはいくらか遠いことと、なかなかスケジュールが合わずそのうち。と思っていたらコロナ禍である。

そしてたまたまやはりTLで今回の上演を知る。何でかは分からないが、こういうのは縁である。しかも上演場所はうちからそこそこ近い。観にいかなくては、と詳細はさておきチケットを申し込んだ。

 

今回も南林間のとある場所、とだけで場所の詳細は非公開。上演前々日に場所の詳細がメールされる。図鑑houseという名前だが、この段階で詳細ははっきりしない。注意書きも色々あり「客席なし、屋外なのでアウトドア用の椅子など持ち込み可」「雨天決行のため雨具も必要」「日焼け注意」などなど、完全にキャンプに行く体である。

ちょうどモンベルのポイントが溜まっていたので、アウトドア用の軽量の椅子を前日に購入。雨の日が続いていた頃で雨合羽も準備していたが、当日は午後からカラリと晴れた。

 

駅から会場に行くまではメールの道案内をたよりに。図鑑houseは本当にただの一軒家で、ボードに書かれた案内がなければ分からなかったろう。

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入り口から入るのではなく、家屋の脇を通って奥へ歩いていくと庭があった。手前で予約確認して入場料を支払う。庭は黒いビニールシートにおおわれて、庭の家屋の壁に沿った真四角のエリアが舞台のようだ。客席は隣家との境にL字型になっている。舞台と客席の境は長い板(家屋がリフォーム中だったのでその端材か)が置かれている。舞台と思われるスペースにはテント屋根。三脚に板の乗った机のようなセット。家屋の壁際に立てかけられたアウトドア用品や、テントに吊り下げられた衣装、大きなアウトドアのバッグの中の小道具、それらを芝居の進行で随時使用していく。俳優が座る椅子は簡易的な持ち運びできる椅子、衣装は雨具をアレンジしたもの。すべて持ち運び可能なもの。

 

芝居の始まる前に諸々注意事項。それも野外演劇ならではな感じだった。虫が出るので虫除け入る人はどうぞ、とか。

芝居が始まると、受付近辺にいた人が3人動き出す。境目がないので、誰がスタッフで、誰が演者か分からない。

 

劇団を主宰している男キダが、恋人の女性ユーコに連れられ、出版社で編集者マチダと打ち合わせをしている。男はコロナ禍で演劇ができずくさっていたところ、恋人の提案なのか、小説の新人賞を取ろうと目論んでいる。河岸を変えて、というよりは賞金のためである。しかし演劇の台本を書くそれと、小説のそれはかなり違う。タイトルのトルアキは校正用語だが、それすら男は知らない。

 

キダとユーコの関係、キダとマチダの関係の変化、それらがキダが創作をする際の手法を通じて見えてくる。おそらくウンゲツィーファの主宰の本橋龍さんの実際の創作法なのだと思うが、キダはユーコと話す時にスマホに録音しておいて、セリフにする。その時の会話は現実だが、劇中で再現される際に演劇のインプロヴィゼーションのように聞こえてくる。マチダが小説におけるフィクションの描き方を指導する時、キダとユーコの関係は現実とフィクションの境目がなくなる。が、より本質に近寄る瞬間となることもあり、結果各々の本音が引き出され緊張感やプレッシャーが芝居のクライマックスとなる。

 

この「境目がなくなる感覚」はまさに観客側にもあって、民家は住宅街の中にあり野外のため、上演中も色々な音がする。庭に大きな金橘の木がたくさん実をならしている。セットではない木。雨上がりの青空の下、風が木や葉を揺らす音、鳥の羽ばたきと鳴き声、車のブレーキ音。ちょうど救急車が近くを通り、サイレンの音が響いた瞬間もあった。自分の座っていた場所の真後ろから、トンカチのような音もしたし人の話声も。隣家の2階の窓はずっと開いており、明かりもついていたが、ついぞ人影は見えなかった。劇中ラジオを使用するのだが、録音ではなくその時の放送を使っているようで、コロナ関連のニュースなど流れてくる。雑音は排除されないが、芝居は進む。

全く外界と隔離されてるわけではない、劇場ではない場所。しかし何故だかふっと自己が透明になるような感覚、周りの景色と同化しているような。暗闇の劇場でなくとも、山奥のロックフェスでなくとも、同じ感覚はあるものだなと不思議な気持ちになった。コロナ禍でなければあったろうか、というのも皮肉だが不思議なものである。

 

芝居が終わって拍手をしようとしたら、住宅街なのでご遠慮を〜と止められる。家屋は図鑑houseというアパレルブランドのアトリエ兼住宅、ということだった。改装中だが中を見せてもらえた。衣装もこちらが担当されてたということで、またここで何か見られるかもしれない。

 

キダ役の藤家矢麻刀さんが印象に残り、どのような経歴かなと調べてたらプリッシマの所属。北村有起哉さんが以前所属されていたところで、事務所の作品選びや社長さんのこだわりなど、所謂芸能事務所的でない所がよかった。北村さんが所属を変えられてからはあまり知らなかったが、若手の育成をされているのか。藤家さんはこちらをざわざわっとさせる雰囲気があって、振り幅がどの位あるか気になる。

マチダ役の黒澤多生さんは途中「タヌキ役」にもなるのだが、これがまた象徴的。小柄で顔立ちも親しみがある感じなのだが、何とも小動物的な掴めなさがある。町田役も家にいつの間にか入ってきた闖入者のようで、浮いているのに馴染んでいる。人のようなそうでないような。後日他の作品で見た時も似た印象を抱いたので、ウンゲの表現においては重要な俳優さんなのだろう。

 

そういやチケットが葉っぱだった。

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その辺も化かされた感があって楽しかった。