年末と年始に『LOVE LIFE』を横浜シネマ・ジャックアンドベティで鑑賞。
大まかな感想は1回目でと変わらず、ですが、2回目3回目でいろいろ気づいたことなど。
2回目鑑賞(2022年12月27日)
私、撮影監督の山本英夫さんの画が大好きでして。『殺し屋1』はじめ三池崇史監督作品などでのキレキレエッジなカメラワークもですが、『恋空』とかのマンガ「邦キチ!映子さん」が好みそうなとんでも映画(問題のある発言)でも決して手を抜かない(当たり前)美しい画面づくり。山本さんの撮った作品は、内容がどうでも「ああ山本さんの撮影だあ」とすぐ気づきます。
なのに、この作品を最初に見た時に全く気付かなくてショック。よく見たらハンドカメラのとことか、ベランダから撮ってるとことかまさにそう。確かに、二郎(永山絢斗)が向かいの団地に突撃するシーンとかで『殺し屋1』のヤクザマンションのくだりをぼんやり思い出していたのに、内容が濃くて撮影まであたまが回らなかったようです。
ということで、2回目の鑑賞では山本英夫カメラワークをめちゃ堪能しました。
- オープニング&ラストのベランダから広角で撮るのは、『恋空』の花畑のシーンぽい
- ハンドカメラのシーン(妙子(木村文乃)がパク(砂田アトム)がいる区役所の建物へ向かう、二郎が妙子とパクがいちゃついてるとこへ突撃など)→『殺し屋1』のヤクザマンションシーン
この2つはまさに山本さんぽい角度なんですが、それ以外にも、二郎と妙子をマンションの窓越しに撮ってたり、敬太のお祝いパーティのシーンとかのワイワイ感とか、静と動のコントラストがあるのに、そこにくっきりした違いはなくてきれいなグラデーションができている、という感じがします。
もちろん深田監督の意向や編集もあるのは感じたので、その辺のケミストリーがすごくよかった。
二回目見ても全体的な感想は変わらないのだけど、二郎についての印象が変わった。パク派か二郎派か問題があるそうなのだけど、確かにパクのド天然な感じは魅力的。しかし、ごくごく常識的でともするとつまらなそうな男・二郎(本人割と自覚的でもある)、元カノにフラフラしちゃうダメ男なのですが、最後に猫のグッズ(多分猫のトイレとか)を抱えて買ってくるシーンに気づいて、私は完全に二郎派になりましたね。妙子がパクを追って船に向かうシーンで、なんで追いかけねーんだYO!と、私の中のチョマテヨが作動しかけたのですが、あれもしかしたら二郎は「家に猫がいる」と頭をよぎったんちゃうの。妙子の「あの人は私がいないとダメなの」というよく分からない構文より、「家に腹をすかせた猫がいる」に勝るものなしですよね。ということで二郎優勝。(しかしこれも「二郎に妙子を追わせないため」のレトリックだとしたら、深田監督…鬼畜だなあ。)
3回目鑑賞(2023年1月4日)
新年初映画館鑑賞が『LOVE LIFE』3回目。というのもトークショーがあったからです。トークショーについては別途。
今回は気になってたとこを中心に。
黄色い風船の呪い
1回目見た後に、なんで黄色にしたのかな~と思ってて。2回目の時に、パクが黄色いシャツを着ているのに気づき、もしや他にもあったか?とずっと黄色のものをチェック。
なるべく出た順に記載します。
- 敬太の服(黄色のチェック半袖シャツ)
- 大沢家のコーヒーメーカー
- 大沢家のダイニング照明の傘(黄色っぽいだけかも)
- 敬太の帽子、ランドセルのカバー
- 葬式の花
- パクのシャツ
- 大沢家の洗濯バサミ
- 妙子の服
- 結婚式の花と傘
- 結婚式の風船
あと他にも大沢家の収納の箱とかが黄色かな?とかあったかも。とにかくあちこちに黄色がちりばめられており、洗濯バサミが黄色なのを見た時はひええとなりました。ホラーだ。
この件についてはトークショーのQ&Aで監督から説明があり、謎は解けてホラー要素だけではないというのが分かりました。
しかし、最後の黄色の風船の破壊力は大きい。実は最初に風船が出てくるのは、序盤のホームパーティのくだり。風船は二郎の父の誕生日のサプライズ用に準備される。持ってくるのは二郎の元婚約者である山崎理佐(山崎紘菜)。山崎は本来は招待されるべきではなく、手違いで来ることになり風船を皆に手渡す。サプライズの前に山崎はいたたまれず逃げてしまう。山崎の持ってきた白、赤、黄などの色とりどりの風船は空に放たれ、何事もなくパーティは始まる。しかしその最中に悲劇が起こる。
そして最後の結婚式での黄色い風船。これは地面につながれて、空に放たれはしない。妙子とともにゆらゆらと雨に打たれている。
山崎が持ってきた風船は、まるでパンドラの箱から放たれた厄災のようではないか。黄色い風船は残った「希望」のメタファーに取ることもできてしまう。
こうしてみると、山崎が「自分が二郎と妙子を呪ったことで敬太が死んでしまった」と思い詰めてしまうのにも合点がいく。1回目に見た時は、山崎の存在は単なるメロドラマ的キャラでしかなかったが、実は起点のようにも見える(決して原因ではない)。
シスターどこからきたの問題
1回目見た時に、商店街にいたシスター二人がなぜパーティに参加してたんだっけ?と忘れてたのでよく見てたら、山崎が逃げていくのを一人が追っかけていったので、サプライズのための要員が二人いなくなったため、急遽シスターに代役お願いしたという。ここは説明的台詞がないので見逃しがち。
他の色(赤と青)
色に関しては、妙子はわりと青っぽい服が多い。二郎の父母は地味目な色の服が多いのにパーティの時だけ明恵(神野三鈴)は赤いスカート(これについてはトークショーで神野さんが言及)。山崎も最初赤いベストを着ている。二郎はモノトーン系。妙子が黄色い服を着ているときにはパクは着ていない。敬太が二郎と妙子にもらう飛行機は青。
全部理屈つけてはいない感じだが、何かしらのポイントとして赤い色が出てくる。青い色は日常の色のイメージ。黄色はホラー的に数珠つなぎに。
シナリオの緻密さ
深田監督のシナリオはうまく伏線が張ってあり、これがあるからこうつながる、というのはたくさんあった。なぜ敬太がオセロをやる設定なのか、とか、トークショーで明かされたのだが、ストーリーとしてうまいことつながっており、そしてちゃんと意味を成している。シナリオとして腑に落ちない点があまりない。手話に関しても、とっかかりがどうであったかは分からないが、砂田さんとの対談を読む限り、制作していく中で理解を深めて映画に反映していたように思う。
例えば妙子がホームレス支援のNPOで働いている理由はパクを探すためであり、そこで併設の区役所で働く二郎と出会い再婚している。二郎は福祉課職員なので、パクの状況にも理解があり、しかしそれが夫婦の破綻の一端にもなる。
『ドライブ・マイ・カー』でも手話が出てきており、しかしあまり深く掘り下げてはおらず、あくまで劇中劇の演出的効果しかないようにも見える。演者もろう者ではなかったのも指摘されていた。ただそれはそれで表現の仕方が違うので、どちらが良い悪いというのでもないとも感じた。深田監督は深く意味を掘り下げる、「違和感」というエッセンスを散りばめサスペンスとして味付けし、モンタージュのようにつなげていく。濱口監督はその場その場の流れや空気感、心の動きも、違和感すらも画にただただ流れるように乗せる。題名の通り、車窓から見える流れる景色のような映画だった。そういう感覚的な部分の違いがある。
『ドライブ・マイ・カー』も妻の死の謎を追うサスペンス的な展開にもできたが、それはしなかった。両作に通じるのは、大事な人を亡くした喪失感を抱えた人間の「悲しみをつかまえる」ための旅なのだが、手触りがまったく違い、その違いを楽しむのも一興だろう。
徹底して掘り下げる深田監督のシナリオでも、そこは「?」となる箇所はいくつかあった。地震のシーンで、妙子が最後に敬太とやっていたオセロを抱えるシーンがあるのだが、そこは骨壺じゃないの?と思いました。確かにオセロの方が映画的なんですけど。あとカラオケのシーンは、さすがに苦情が来るだろうよ、と。カラオケしてたから気づかなかったという設定とはいえ。船で韓国行くとこも、なんで妙子はパスポート持ってんだ?てことは前もって準備してたってことだよね。身分証としてパスポート携帯はあるかもだけど、役所関連の仕事してたらマイナンバーカードなのでは。と、ごくごく小さなつっこみいれたくなるくらい緻密ではありました。