je suis dans la vie

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分かり合えなさを分かり合う〜『LOVE LIFE』Bunkamuraル・シネマ

 

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※ネタバレあります

深田晃司監督新作『LOVE LIFE』。

物語は主人公・大沢妙子(木村文乃)が7歳になる息子・敬太(嶋田鉄太)と、再婚した夫・二郎(永山絢斗)との家庭風景から始まる。みな日本語で会話している、よくある円満家庭の風景。

しかし夫が目を逸らしている間に、母と子が手話で会話するシーンがある。これは子供の実の父親パク・シンジ(砂田アトム)が聾の手話者だったことに由来するのが後に分かる。

映画の中でまず使われる日本語、その後に出てくる韓国手話、韓国語。言葉を共有する同士とそこからはじかれる人。言語によって人間模様が「見える」、不思議な映画である。

分かり合えないという初期設定(デフォルト)

韓国手話で話す元夫婦、それにはじき出される今の夫。目に見える疎外感以外にも、子を失った痛みを共有する元夫婦、対して妻と痛みを共有できない今の夫・二郎、という構図もある。

それ以外にも二郎の両親と距離感を感じる妙子、二郎の元カノが妙子に会って感じる被害者意識。その元カノに下心からか会いに行き、思いがけない言葉を受ける二郎。たとい言葉が通じても、人と人は分かり合うわけではない。

小さなシーンのそれぞれに、誰もが相手のことを理解しているわけではないという、"羽根布団の下のえんどう豆"のような違和感を散りばめている。

その事が観客にさらにはっきりと示されるのは、妙子がシンジと韓国に行き、シンジの嘘が暴かれる時である。

なかなかここは笑えるシーンになっており、タクシーの陽気な女性運転手によって暴かれる。シンジ宛の「父が危篤」と妙子たちに教えられた手紙の内容はシンジの嘘。実は前妻との間に生まれた息子の結婚式の招待状であった。タクシーの中でシンジに怒り狂う様はコメディだが、離婚歴がある事も初耳、しかも子供もいると聞かされ、「敬太が亡くなったから韓国の息子に会いたくなった」などとのたまうシンジの図々しさ(しかも二郎にお金を借りての渡韓)に、妙子の心中いかなるものか、である。

さらに結婚式場のシーンで、前妻がシンジに殴りかかったあたりで、シンジは自分が思っていた男と違うのかも、と気づく妙子の心は観客とリンクする。

妙子は自分だけがシンジを理解して、シンジも同じとこの時までは妙子は信じていた。コメディというか悲劇というか。

韓国の息子はコーダなのだが、しっかりしていて優しい人のようだ。韓国語があまりできない妙子と韓国手話で会話するシーンだけは心温まる。

韓国へ渡る妙子の心は理解し難い謎として提示される。妙子がシンジにしか自分の気持ちは分からない、としている感情は病的な執着に見える。しかし韓国での悲喜劇細々なシークエンスで、観客は妙子の抱えていた痛みが溶解していく様を見ながら彼女の気持ちに寄り添う。彼女の痛みの大きさをそこで知るからだ。

シンジを弱いと決めつけた妙子と、強い人だと見抜いた二郎。その二郎へと戻る妙子の道行は、まさに愛の道程とも見える。ここでやっとタイトルの「LOVE LIFE」、矢野顕子の歌からインスピレーションを受けたという作品の意味が結実する。目を合わせられなかった二郎へ、妙子が「目を見て」と言った瞬間に新しい物語が始まる。

言葉が通じても、通じなくても、理解はできる瞬間がある。

"羽根布団の下のえんどう豆"の違和感、それは人と人は分かり合えないという決して解消できない初期設定のようなものだ。私たちはその事を忘れ、理解し合おうともがき、あるいは理解していると高を括っている。

黄色い風船とホラー

深田晃司といえばホラーである。トリュフォーヒッチコック的サスペンス演出法を取り入れている。そのトリュフォーを敬愛する深田監督であるが、恐怖や謎の表現はJホラーに近い。

息子が風呂場で亡くなるシーンは唐突で、薄暗い風呂場、落ちて頭を打つ場面はギリギリ見せず音だけ。息子が亡くなるだろうとはなんとなく分かってたので、キックボードで走るシーンなど、一般的に危なそうな事故のシーンを想定してたのに、一番安全な家の中での事故はショッキングであった。

これがホラーでなくなんであろう。

パタパタという息子の足音の幻聴を聞くシーンはかなり分かりやすくホラーで、清水崇的であった。

妙子はその後も家の風呂を使えず、折り合いの微妙な義実家の風呂を借りる。ここもそこそこホラーである。

さらにシンジに頼んで家の風呂に入ってトラウマを克服しようとするシーン。無言の2人が鏡越しに手話で会話する。幽霊は一切出てこないが、ホラー的なテイストとも見えなくもない。

極め付けはラスト近くの結婚式のシーンで、雨の中、黄色い風船と佇む妙子。これはポスターになっているが、映画を見ると印象が強く残る。

冒頭のホームパーティーで色とりどりの風船が出てくるので、余計に風船は不安を煽るアイテムになっている。

『NOPE』の雲と同じくらい、今後黄色い風船を見たらこの映画を思い出すような気がする。主演の木村文乃さんもしばらくは黄色い風船がトラウマにとインタビューで話していた。

幸せの黄色いハンカチなどという映画があったが、絶望の黄色い風船である。

深田映画においてのホラーは、やはりえんどう豆のようにじわじわと観客を蝕む。

それでも『淵に立つ』や『よこがお』に比べるといくらか優しくとっつきやすい。

猫の言語

映画で描かれたさまざまな言語の中に「猫の言葉」もあるかもやしれぬ、としばらくして思った。
シンジが逃げた猫を見つけた二郎に、「この猫はあなたを選んだからあなたに飼ってほしい」と言うシーンは、猫にも気持ちやことばがあるのだと示している。

人は誰しも自分だけの言語を持つ

言語は人と人を結びつけ交流させるツールである。争いも一つのコミュニケーションとするなら、やはり同じ言語を共有することのすべては「交わり」である。(ここでいう言語は発話のみならず、手話を含めたすべての表現を意味する)

そしてその反対に、言語を共有しないことで起こる悪いことの一つは「分断」ではないか。

これは共通言語があったとて、誰しもが経験したことのあることではないだろうか。友達が自分の知らない話を他の人としている時、あるいは世代間ギャップ、地域差。意図的にせよそうでないにせよ。

そもそも、他人とは分かり合う事ができない、難しいものだと「言語」というものを通してこの映画は突きつける。だからといって伝えることを諦めるのではなく、あらゆる表現の基に「言語」があるとも帰結する。

表現を、伝えることを諦めない、向き合い進んでいく。

深田監督の映画言語の肌感覚は胸に迫り、ふくらみ、見た人それぞれの言語に翻訳されていく。

その翻訳作業は、自分には自分の「言語」があるのだと気づかせてくれる。正しい時もあれば誤ることもあるが、その自分だけの内なる言語を持つこと、そこからまた外へ広がっていくのではないか。

それは奇しくも、妙子が辿った心模様と同じ作業をしており、いわゆる「再生」「癒し」というものとは違った映画体験となり、深田映画を見るということはそういうことだったと、見終わってから気づく。

 

私が深田晃司作品を強く推すのは、もちろんその作品の素晴らしさもあるけれど、観た人の心に届いた時にさらに広がりを感じるだろうと信頼しているから、ということもあらためて気づかせてくれた作品となりました。同じ感想でなくていい。あなたにはあなたの感じ方、あなたの言葉でその起こった感情を紡ぐ。映画を見るのはそんな風にシンプルで大切な時間だと。

 

「手話は言語」という砂田さんの思いを大事に作品にこめた深田監督とのケミストリーが素晴らしく。

「言語に差別はない」と言っていた恩師の言葉がさらにストンと胸に落ちました。そういえば、その恩師は耳に障害を持っていました。シンジ役の砂田さんの言葉は恩師に重なるものがあります。

砂田さんと深田監督のインタビューはこちら。

「かわいそうな福祉の人」ではない、ろう者の姿を知ってほしい。耳の聞こえない俳優、砂田アトムさんの願い | ハフポスト アートとカルチャー

 

木村文乃さんと深田監督の対談はこちら。

木村文乃×深田晃司監督対談 「LOVE LIFE」で「むかれたタマネギみたいになった」(1/3)〈AERA〉 | AERA dot. (アエラドット)

 

矢野顕子さんと深田監督の対談はこちら。映画タイトルになった曲『LOVE LIFE』について。

矢野顕子は「愛」をどう歌ってきた? 映画『LOVE LIFE』深田晃司監督が、その歌から受け取ったもの | CINRA