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香港版“風と木の詩”~『ブエノスアイレス』4K版 シネマジャック&ベティ

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最初に見たのはいったいいつだったか、映画館で見たのかレンタルビデオで見たのか。今となってはレンタルビデオで見るという行為も貴重な体験だが。

ただ、いつかイグアスの滝を見にに行きたい、という気持ちだけは覚えている。

1997年公開というと四半世紀前。いろいろ間違って覚えていたり、忘れてるとこ多し。

見直してみて、すぐ思ったのは

「まるっきり『風と木の詩』じゃないか!」

特にラスト近くの第8章「ラ・ヴィ・アン・ローズ」と似てるエピソード多い気がする。風木のこの章でセルジュと美少年ジルベールはパリに駆け落ちして生活するのだが、いくつか似てるなと思ったのは、下記(カッコ内が本作)。

  • 二人の生活のためにセルジュがビストロで働く(ファイは中華料理屋で働いている)
  • ジルベールはその美貌のため男たちの餌食に(ウィンは売春している)
  • セルジュが疲れてても甘えるジルベール(ウィンがファイに甘える)
  • 贅沢好きなジルベールの数々のわがまま(オシャレなウィン、金遣いがあらい)

あと「セルジュが具合が悪いのに飯を作らせる」「独占欲のためにジルベールの外出を疑うセルジュ」とか同じようなのあった気がするのだが、手元に風木がないので記憶違いかも。

そのせいか、最後にウィン(レスリー・チャン)は死んじゃうのね、うるる、とか思いこんでたら全然違ってた。ファイ(トニー・レオン)は新しい世界へ旅立って、部屋でさめざめと泣くウィン。ただこの後ウィンが生き延びることができただろうか、というのが疑問は残る感じはあった。

あとチャン・チェン演じるチャンの役、まったく覚えてなかった。すみません、チャン・チェン

チャンの普通話は台湾発音で聞き取りやすい、そしてトニーの普通話は広東なまりがありまったく分からなかった。それでも会話が成り立つのは、中国いたときにもすごく不思議だったのを思い出す。

昔見たときは二人の男の恋模様にうっとりしただけだった。中国の中でも特に香港に近い広州に住んだ後だと、この話がもっと違う意味を持つのが分かる。

1997年香港返還が決まった当初は、イギリスやオーストラリアに移住する人が多く、けっこうな騒ぎだったのを覚えている。同性愛者のウィンとファイがブエノスアイレスに行ったのは、中国で同性愛は罪とされていた背景があるだろう(刑罰は1997年で廃止されたが、現在も弾圧されている)。最後ファイが台湾に渡り、チャンが「世界の果て」の灯台に行くのは香港人への希望と自由のメッセージ、ともとらえられなくはない。どこででも生きていける、と。

私が広州に住んでた2010年~2013年のあたりは、中国も資本主義を積極的に取り入れており、表現規制もいくら緩和されていた。同性愛についてもオープンに話されている様な面もあった(BLが流行ってたり)。日本や西洋の企業、商品、文化がどんどん入ってきており、中国も変化しているように見えた。

当時、月に一度は日本食買い出しのために香港に行っていたが、中国との違いははっきりしており、そこはアイデンティティを持ったたくましく明るいひとつの国だった。一国二制度は緩やかにキープされるかのように思えた。中国から香港に入るイミグレの出口で、反共団体の看板やテープから流れてくるシュプレヒコールは遠い昔の遺物の様だった。

しかし中国の資本力、国力が強くなり、帰国する1年前くらいから抗日デモがあったり、香港に渡る中国人が増えた。その後の中国の香港に対する圧力はご存じの通り。次は台湾へと食指を伸ばしている。

どこへでも行けると信じたファイは、そしてチャンは果たして今どこにいるのだろうか?

ウォン・カーウァイが描いた香港、そして世界は、もうフィルムの上だけになってしまうのだろうか。