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ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

微に入り細を穿つプロダクション~『私の一ヶ月』@新国立劇場小劇場

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あらすじ(公式より)

3つの空間。2005年11月、とある地方の家の和室で日記を書いている泉。2005年9月、両親の経営する地方のコンビニで毎日買い物をする拓馬。そして2021年9月、都内の大学図書館閉架書庫でアルバイトを始めた明結(あゆ)は、職員の佐東と出会う。やがて、3つの時空に存在する人たちの関係が明らかになっていく。皆それぞれが拓馬の選んだつらい選択に贖いを抱えていた......。

舞台セット

舞台上は3つのシーンに分かれている。仕切りはなく、地続きになっている。奥に白い枠組みの段差があるセットがあり、ここから俳優が出入りする。こちらも3つの空間はつながっているが大枠の中に空間を分ける仕切りがあり、手前の仕切りのない各時間軸が分かれていることを説明的に見せる背景の役割があったようだ。(あったようだ、というのは今回二階席で見たので、正面からの状態を見そびれてしまったため。)

  • 上手(2005年11月の空間)…山形県伊川家の和室。ちゃぶ台、空中に風鈴が揺れている。奥の方は別の部屋の生活空間、古びた茶箪笥などが見える。
  • 真ん中(2005年9月の空間)…伊川家の老夫婦が経営するコンビニ。コンビニのレジ台にレジとバーコードリーダーとキャッシュトレーなど。その後ろに電子レンジやポットなど。奥のセットにはコンビニの商品が並ぶ店内。
  • 下手(2021年9月)…都内大学図書館。机と椅子、開架図書を収めている移動式ラック。

このシンプルそうなセットが、全体の話の流れをあやつり、空間と時間軸を巧妙につなげていく。最初はそうとは分からなかったが、進んでいくにつれ、徐々に丁寧に紐解かれていく。

3つの空間と時間軸という設定

※ここからちょいちょいネタバレします。

3つの空間はまったく違う場所で、時間も違う。しかし同じ「1ヶ月」という時間が舞台上で流れる。そしてそこに登場する人はキャストの6名に限定される。ただし、全部の空間に全員出るわけではない。

ちゃぶ台のある伊川家の和室には嫁の泉(村岡希美)、義両親の実(久保酎吉)と美由紀(つかもと景子)が主に出る。娘の明結(藤野涼子)はこの段階で3歳なので出てこない。泉は仕事をしばらく休んでいたようで、日記を書き始める。3人は日常生活をしているようだが、泉を気遣っているようだ。なぜなのかは段々と明かされる。

コンビニの空間は伊川家の息子・拓馬(大石将弘)が買い物に来て、実か美由紀がレジをやるシーンが繰りかえされる。拓馬は介護の仕事が忙しいようで、食事も移動の車で済ませている様子。泉も仕事と育児で忙しく、家族の交流ができていないようだ。両親は息子を気遣っているが、フランチャイズ契約のコンビニ経営に苦慮している。

図書館の空間では、大学生になった明結がバイトの仮採用で開架図書のフロアにやってくるシーンから始まる。職員の佐東藤衛(岡田義徳)と明結のなんということはない会話劇が繰り返されるが、明結がある目的を持ってここにやってきたことが徐々に分かっていく。

台詞が同時に被ったりすることはないので、基本的には台詞がある時の場面を見ていればいいのだが、3つの空間でランダムに芝居が行われるのは不思議だった。脚本もだが、演出が丁寧で、そこの流れや分かれ方が混雑することはあまりなかった。川のようにサラサラと流れ、最後に自然に大きな海へつながっていくような演出は、終わってみれば見事としかいいようがない。

ロンドンのロイヤルコート劇場が世界各国で行っている劇作家ワークショップ。それを新国立劇場と共に2019年から2021まで日本で行われ、その第一弾がこの作品である。難しい設定ながらも、時間をかけ、丁寧に制作されたことがこちらにしっかりと伝わった。

母と娘という大きな軸

一番のネタバレだが、これは家族の自死を扱った物語である。

おそらくは過酷な仕事のストレスで、拓馬は自ら命を絶つ。真ん中の空間は拓馬が亡くなる前の1ヶ月、拓馬の1ヶ月の話であった。その事に観劇後に気づいて、すごくショックを受けた。そのくらいほとんど説明がない、拓馬がただ実家の親が経営するコンビニに通っているだけのシーンが続く。後半でいろいろな事実が語られるが、拓馬の目線はない。後で思い返してみれば、という空間である。

拓馬が亡くなるきっかけになってしまったのは、直前の泉の言葉であるようにも、防犯のために拓馬がレジを開けられないようにした実の行動のようにも捉えることができる(拓馬は人がいないときにレジを開けて自分で会計をしていた)。しかし、泉がそのようなことを言ったのには、家族を顧みない拓馬への不満やメッセージもあり、レジを開けなくしたのはコンビニ経営がひっ迫していた背景がある。そして拓馬から見れば、コンビニに通い続けたのは、売り上げに貢献するためでもあったし、唯一の逃げ場でもあったようだし、家族との細いつながりでもあったろう。そんな悲しいすれ違いが同時に重なってしまう。そして最後の日に、一人コンビニでキレる拓馬の姿を誰も見ていない。それでも、家族は悪くない、拓馬も悪くない。誰も悪くないが、どうそこを描くか、3つの空間であったことにここにまた効果があった。

残された家族がどのように生きていくかという物語であるが、そこの大きな軸に母と娘に焦点を当てたのは、観客にとっても救いとなった。簡単に癒しや再生という言葉でくくってしまうには、難しいテーマを、ある程度分かりやすい母と娘に絞ったのは物語としては一つの正解だった。

たとえば母のプレゼントしたピンクのコートを「ふわっ~ふわ~」とはしゃぐ明結。一緒にはしゃぐ泉。互いを抱きしめあう姿。強い言葉を母に投げる時も、そこには信頼があった。多くはないが、小さなそんなシーンで、泉がどんな気持ちで明結を育てたか、そして明結がとてもいい子に育っているのが、説明なくとも分かるのは、村岡さんと藤野さんの演技のなせるわざであった。ここも脚本と演出の丁寧なベースにきちんと乗っている。

乗り越えられなくても進んでいく

こういったテーマの場合、癒し、再生、救い、赦し、というキーワードが出てきてそこに縛られがちになる。悪い言い方だと「お涙頂戴」的に偏る。それもまた表現であり、物語としての着地点としてはありなので仕方ないが、薄っぺらくステレオタイプになりがちだ。

そこを深く掘り下げ、薄くしていないのは脚本の緻密さにある。その点で特に個人的にとても印象に残った泉と佐東の二人のシーンがある。

実は佐東は拓馬の親友で、泉とも友人で家族ぐるみの付き合いがあった。「藤くん」という名が時々出てくるが、これが佐東であるというのは後半になって段々と分かる。

佐東と泉のシーンは、二人が拓馬の何回忌かでちゃぶ台で語り合っている。最初は和気あいあいだが、脚本家である佐東が拓馬の事を芝居にしたいと言い出し、泉が責める。二人はそのまま物別れになってしまうことになる。

佐東はその後、それがきっかけで筆を折り、図書館司書となる。そこへ明結がやってきて父の事を聞くというのが2021年の明結の空間となる。

後半の拓馬の死が明らかになってからの2021年の空間では、明結がよく知らない父のことや、その死にまつわる家族のあれこれを受け止め理解するというターンがメインである。プロジェクトのテーマ「未来へつなぐもの」に沿っている。「ただただ生きな」という言葉を佐東が伝え、明結の「私の一ヶ月」は終わり、そして泉が拓馬を失ってから書いた日記の一ヶ月の着地先でもある。

家族でない佐東の役割は果たしてそれだけか。着地点となるメインの明結とのシーンではなく、その前の泉との絶縁のシーンが実は脚本の須貝さんが描きたかったところではないかと思っている。

「悲しみを乗り越え物語に書く」佐東を容赦なく泉は責める。私たちはまだ乗り越えてないのに、あなたはもう物語に消費するのか、と。劇作家である須貝さんが自己へ放ったカウンターとも取れる。正直、芝居の中で芝居の話を描くのは少し鼻白む。一般的にそれほどそこらに演劇やってる知人友人がいるわけではない。楽屋オチ感はいなめない。けれど、そこを村岡さんと岡田さんの丁寧な台詞運びと流石の演技が見せきった。ここも長い時間をかけた制作あってこそだとも思った。

特に泉を演じた村岡さんが絶妙。泉のキャラクターはよくある人間像だが、夫に心無い言葉をかけてしまったり、亡くなった後も義実家にい続け、大事な友人を責め拒否する。ともすると生々しすぎる嫌な人間像にも取れる。しかし観客に決して媚びず、かといって開き直った力業の役作りもしていない。

泉の「一ヶ月」は拓馬を失った1ヶ月後から始まる。淡々とした日常を過ごしているように見せて、泉の書いた一ヶ月の日記の中には、表には出ないたくさんの思いが詰まっている。拓馬の職場相手に起こした裁判のこと、拓馬への複雑な思い、娘への想い。それらは大人になった明結が読むことで紐解かれるが、泉から語られる具体的な言葉は多くない。しかしその語られない泉の想いを、村岡さんは丁寧に台詞の中に込めて舞台に置いて、こちらに伝えようとする。観客はなぜ泉がそう言ったか、そうしたのか、ゆっくり受け止められる。

泉が佐東に投げた言葉は冷たく鋭く、佐東の人生を変えた。佐東を傷つけ断罪したことで、泉自身も傷ついた。二人が再会することは、たとえ明結の存在があったとしても難しいであろう。けれどあれがなければ、本当の意味で佐東も泉も喪失に向き合うことはできなかったし、前には進めなかったのではないかとも思うのだ。きれいごとで「友情に支えられて立ち直りました!」なんてエピソードにしないでくれてよかったと思った。

面白いのは、佐東は書くことをやめたが、泉は「日記を書き」、受け取って読んだ明結は「藤くん」に会いに行き、そして「私の一ヶ月」という「散文詩を書き」、そしてそれを泉に読んで聞かせる。「書く」というのがひとつ大事なアイテムとして、分断された空間をつなげることになる。

それでも、たとえ時間を超えてつながるものがあったとしても、失ったものは戻らないし、すべてが解決するわけではなく、家族はずっと後悔と悲しみというやりきれなさを抱えていく。そこをきちんと描いているのは、安易な再生という決着を描いてなく、より心に響いた。

「未来へつなぐもの」というメッセージ

やるせない思いをあるがままに綴った芝居だが、その中で若い明結という存在だけが、名前の通り明るく照らす光のように前を向かせる。何度も胸を詰まらせるような場面の多い芝居だったが、明結が「私がいたからお父さんは死んだのではないか」と佐東に尋ねる場面(おそらく母や家族には言えない問い)は特に、藤野さんの涙をこらえた演技もあいまって一番胸をえぐられた。

ここ数年、コロナ禍含めいろいろなことがある世界だが、子供や若い未来のある人たちにはできるだけ幸せな時間を多く過ごしてほしいと心から願っている。そういう未来を担う一人でありたいと思っている。泉や佐東らが明結に託している思いは、そういうことではないだろうか。

芝居はドメスティックなテーマではあるが、決して小さい話ではなく、グローバルにも伝わる強いメッセージも内包していると受け取った。

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新国立劇場のくまさんの前にあった泉の赤い日記帳。しおりの挟まったページには明結の散文詩

『私の一ヶ月』HP インタビューや舞台映像など

私の一ヶ月 | 新国立劇場 演劇

余談あれこれ

もともと見に行く予定はなかったのだけど、村岡さん主演で気にはなっており。そして以前見た『サイプラス・アヴェニュー』での稲葉賀恵さん演出、そして同作で出ていた大石さんとつかもとさん出演というので見に行きました。特に大石さんはすごく気になっており、不思議な役者さんだなと。俳優としての色がないのに、後でじわじわとその役ごと染み入っていく。他の作品でも見てるのに、その役は覚えてて大石さんのことは覚えてなかったり。ある意味すごい俳優なんでは。

俳優としては特徴の少ないルックスで、演技の押し出しも強くない。なのに、終わってみれば深い印象を残す。

ってすごい書き出しのこの記事。なんだが、いい得て妙。

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稲葉賀恵さん演出、大石将弘さんとつかもと景子さん出演の『サイプラス・アヴェニュー』の観劇感想はこちら。大石さんはこちらでも悲しい役であった。

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