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同じ空の下に生きる人の物語~『母と娘の物語』テラ・アーツ・ファクトリー@プロトシアター

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原作:アドナーン・アルアウダ(シリア)

翻訳:中山豊子

上演台本・演出:林英樹

出演:チーム・テラ(加藤明美、関山ゆみ、宮下泰幸、横山晃子)

舞踏:相良ゆみ、徳安慶子

作編曲・演奏:大平清

劇中映像:吉本直紀

「紛争地域から生まれた演劇」シリーズ9(2017年12月開催)において翻訳、リーディング上演、戯曲出版されたもの(原題『ハイル・ターイハ』)。今回は2022年アップデート版翻訳を、再構成し上演。

あらすじ

「馬」という意味の名前の女性・ハイル(横山晃子)が恩師・ムハンマド先生(宮下泰幸)へ自分の過去を語るシーンから始まる。

ハイルの母・ターイハ(加藤明美)。名前は「さすらい・迷子」の意味を持つ。ターイハは遊牧民ベドウィンの両親と砂嵐で生き別れ、シャワーワ族の男・フワイデー(宮下泰幸・二役)の養子となる。フワイデーの死後、ひとり小麦栽培の仕事を継ぐ。クルド人青年のフーザン(関山ゆみ)と結婚し身ごもり、やっと家族を得るも、フーザンは殺されてしまう。ハイルが生まれ、母と娘の二人きりの生活が始まる。ハイルのムハンマド先生との出会い、幼い恋心、変化していく社会、そして母との別れ。生まれた時に30歳まで生きられないという予言を受けたハイルの語りの行きつく先は…。

本来は「マカマート」というアラブの古典の語り芸の形式を取っている演劇で、過去に起きた出来事を回想形式で一人の演者が語り分けるのだそう。

そこを母と娘の二人の俳優をメインに、その他の役は二人の役者が担う形式にしたことで分かりやすい構成にしている。また馴染みのないシリアの文化についても、母と娘という普遍的なテーマを前面に打ち出すことでかなり近づきやすい話となった。

いただいた戯曲を読むと、現在を起点にはしているが、回想シーンがバラバラで、ハイルの語りになったり、ターイハの語りになったりしている。現地での演出は「入れ子」形式だったそうだ。そこの構成も、母の時代から娘へ、という時系列に並び替えられていて分かりやすい。かといってもとの戯曲のテーマを外れることなく、上演台本および演出の林さんの戯曲への敬意、深い理解が伝わる。

戯曲はシリア内戦の前後に書かれている。原作者のアルアウダ氏は、内戦前はシリアの大河ドラマなどの脚本も書く著名な作家であったが、「アラブの春」でのアサド政権の弾圧を受け、現在はロッテルダムに亡命しているという。

物語のディティルもだが、そのような背景もあり、不勉強な私にどこまで理解できるか不安もあった。しかし、上記のようにかなり演出が良く、また舞踏や音楽、壁に映し出される映像、日本語で読む詩の美しさなど、視覚的にも世界観に引き込む強さでかなり集中し見ることができた。

俳優陣の演技の堅実さもよく、特に母・ターイハ役の加藤明美さんの語りは淡々と、しかし強く引き込む。全体を大きな軸となって支える。複数の役を担う宮下さんと関山さんが、時にけれんみある演技を盛り込み緩急をつける。娘・ハイル役の横山さんもまた、淡々と、しかし母・ターイハの流れを崩さず演じ切る。戯曲の強さや思いを、きちんと言葉に乗せ届けようという意思がこちらに伝わる。

たくさん心に響く台詞はあったが、幼い頃から孤独を背負ってしまったターイハに、養父・フワイデーが最後に残す「君は君自身が家族なのだ」という言葉。なんと悲しくも強く、家族も故郷も無くしていくという中で、これほどの励ましがあるだろうか。そして、遠く離れた文化の違うこの土地でも、この言葉はそれぞれに響くであろう。

母と娘の物語、ではあるが、父と娘の物語でもある。家族の話ではあるが、ひとりの孤独な人間の物語でもある。そこを糸口に、異国の観客を受け入れ引き込んでいく。

相良さんと徳安さんの舞踏は、なんの説明もなくとも、死者との再会を思わせる。能表現のような、時間が止まった世界へ瞬間つれて行く。

そこへ胸をしめつけ、そして解き放つような音楽。ラスト近くに一曲だけ歌唱があったが、物語の盛り上がりも相まって、鳥肌が立つ瞬間があった。

言葉、音楽、映像、歌、舞踏、文字、それらがうまくつながり、シリアの空の下にいるような気持になった。ハイル・タイーハは「さすらう馬」という意味になるが、誰もがこの世界を走り抜ける馬であるようにも感じる。青い空の下、馬のように走り抜ける、それは人生そのものである。(走馬灯とはよくいったものである)。

二人の女性の人生を語る物語ではあるが、人との別れ、死と生の話でもある。誰にでも訪れる死や別れ、誰にでも起こりうる事故や事件、そして戦争。この世界は悲しみも幸せもすべてつながっているということに、今更ながらに思い知らされ、不安と安堵を同時にかみしめる。

公演後、演出の林さんからのレクチャー。言葉を発さなくなった母と娘の共通言語「小鳥のさえずり」について。これはアラブ社会で「密告」が常態化しており、ささいな世間話ですら反政府と密告され捕まり殺されるという背景がある。さえずりとはメタファーで、ひそひそと話すことであるという。単なる演劇的なメタファーではなく、その密告についてそのまま表現してしまうと、当時の公演そのものができなくなる、最悪は原作者が捕まるなどの危険があるが故のメタファーである。開演前のSEで小鳥のさえずりが流れていてほのぼのしてたのだが、そんな恐ろしいメタファーが、と少しこわくなる。他にもフーザンの死のくだりと復讐、パキスタン人のムハンマド先生の背景、ターイハのもともとの民族や、クルド人とその他の民族の関わりなど、分かりにくい背景をたった70分の中で表現しており、演劇の伝達力のすごさを感じた。

今回の公演は2チームの公演で、もう一つのチームの公演も見てみたかった。原作者の活動協力のためのクラウドファンディングのリターンが本公演の映像配信だそうなので、ぜひぜひ見てみたい。そして色んな人に配信をおすすめしたい。

余談

アラブの春のあたりの話、なんとなーく分かってないの、前からなんでだろうと自分で思ってたんですが、ちょうど中国に住んでる時で。その時中国のネット規制がものすごかったのです。アラブの民主化運動は、チュニジアでの「ジャスミン革命」がきっかけだったのですが、そのため「ジャスミン」という言葉を検索するとネットが止められるという(最悪、公安に捕まるという話もあり)。おかげでジャスミン茶の検索ができないということがありまして。

そんなネット規制が少しおさまった後も、アラブの民主化運動については一切情報が入ってこない状況。

もちろん日本に帰ってから調べたりはしたこともあるのですが、やはりオンタイムでニュースなどで見てないとピンと来ないのですね。情報規制がどれだけ効果あるか…。今回ものすごく身に染みて、恐ろしくもなりました。

 

『母と娘の物語』クラウドファンディング

シリア発・現代戯曲『母と娘の物語』上演 応援プロジェクト!! - クラウドファンディングのMotionGallery

公演詳細

母と娘の物語り 公演情報