je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

『マティアス&マキシム』(ネタバレあり&北米の秋についてなど)

グザヴィエ・ドランの新作。待ってました〜。

ネタバレあります。

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(あらすじ)

30才のマティアスとマキシムは幼い頃からの親友。ある時、友人の妹の自主制作映画に出る羽目になり、2人はキスシーンを演じる事に。そこから何かが変化して、2人は意識しあってしまう。マキシムはもうすぐオーストラリアに行くことになっており、限られた時間の中、2人はおさえてもあふれてくる感情に動揺する。

 

とにかく映像がほんとに好きなのです。

アップが多くて、フォーカスが極端な独特の写し方は否が応でも人物の内面にかぶりつくような親近感が出る。ひたすらに感情的、抒情的、ロマンティック。

今回は主演もドランで、撮影も彼のパートナーのアンドレ・テュルパン、出演者もほぼドランの仲間で、撮影場所もドランのホームベースのケベックと、まるでプライベートフィルムを見ているよう。

そういう距離感の近さが私は好きなんだけど、初めて見る人はどう感じるかな?というのも気になり。でもそこも含めてどう受け取られてもよいというかのようで、ドランはいつも自由な魂で表現して心地よい。

例えば、マティアスは自身のセクシュアリティの揺れに終始戸惑い続けるけど、マキシムは自分の気持ちについてはわりと自己完結してる流れ。おそらくマキシムは(女の子といちゃついたりはしてるけど)ある程度マティアスへの気持ちはずっと持っていたのかな?と思うけど、個々のセクシュアリティについてはあまり説明しない。ドラン自身がオープンリーゲイなのを知っていたら不自然ではないけど、初めて見る人は、単純に男同士だから動揺してるのねと思うかもしれない。

そして、マティアスが動揺してるのはそこだけではない。ドランはあえて2人のセクシュアリティをはっきりとは言明しないことで、2人の関係が性別だけではなく、深いところでつながった2人が「恋」というターンに入ったらどうなるかというテーマを自分なりに表現している。よくありそうな物語を、初めて見るかのような体験に変える。

マキシムの顔のあざについても、ほとんど言及されない。バスの中の視線と、台詞、マキシムが鏡を見た時くらいか。友達といる時、誰もマキシムのあざをまったく気にしていない。説明はない。でも彼の傷の一つであるというのはさりげなく分かる。

マキシムは低所得者層の地域に住んでて、母親が問題を抱えてるが、マティアスは育ちの良さそうなお坊ちゃんだったりも小出しに少しずつ示す。環境が真逆らしい2人がどうやって知り合ったとか、なぜ仲良しなのかもあまり語らない。

ケベックがフランス語圏でカナダでも特殊なこととか、なぜマキシムが英語がてきないのにオーストラリアに行くのかとかもあまり語られない。

あくまで映画はラブストーリーで、2人の心の交錯を描く。

だけど深く語られない設定や表現が、2人の関係性に深く関わってて、後からじわじわきた。見ている間は、2人の気持ちの揺れについていくのがやっとだったのだと後で気づく。

マキシムがあざのコンプレックスや、家庭の問題などを抱えててもその苦しみをあまり周りに示さないのは、多分マティアスが幼い頃からそばにいたからだ。育ちがよく、面倒見の良いママンに育てられ、父親は離婚後離れたけど就職やらサポートしてくれるし、余裕ある環境にいるマティアスは本人も意識ない部分でマキシムを支え続けてきたんだと思う。同情とかがあった時期もあるだろうけど、マティアスは育ちが良すぎて性格良すぎてそういうのも感じさせないタイプなんだと思う。マキシム自身も大変な環境でも心優しい人ではあるので、お互いにずっとその優しさを守りあっていたんだと分かる。呼応しあってる。

ラストはえっ、と一瞬思ったんだけど、後でじっくり考えるとこれしかない。同性だからとかでなくて、異性だとしても、もし本当に人生に大切な人なら失いたくないとするなら、物語としてはこれがベスト。現実はこんなにうまくいかないかもだけど。

 

今回の舞台の秋のケベックは、とてもミシガンの秋に似てて思い出してしまった。

私は小学校の時にミシガンに住んでて、カナダは近くてしょっちゅう行った。父親のパスポートが北米オンリーだったせいもあるけど、車でトンネルくぐればそこはもうカナダ〜!なとこだったので。

ケベックは冬まつりに行った覚えがあり、雪の彫像とか初めて見たので今でもよく覚えてる。まつ毛が凍るくらい寒かったことも。

でも秋に行ったことはなかった。

学校があったからだけど、ミシガンは冬が長いからか、秋の紅葉がとても綺麗で。秋の景色はミシガンの真っ赤な紅葉の思い出ばかり。家の前につもりに積もった赤い葉っぱの絨毯をガサガサと歩くのが好きだった。

冬が来る前のお楽しみだった。

映画でも、冒頭に出てくる紅葉や、緑が多い中落ちてくる落ち葉が、すぐにやって来る冬を暗示してる。(秋は30歳という設定の、青春の終わりを表しているのもあるかもしれない。)

ドランの映像になんで惹かれるのか、今回分かった。ケベックもミシガンも冬が長くて寒い。春は冬の終わりなだけだし、夏は過ごしやすくていいけど緑が多いだけだ。そのかわり秋にはたくさんの色がある。

ものすごく昔の思い出で、でもずっと忘れてなかった景色がドランの映画にあったんだなーと、移動できない今だから気づいたのかも。