je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

ROCKIN’ ON JAPAN 1月号 syrup16g解散インタビュー

読みました。五十嵐の解散インタビュー。12月9日のNHKホールの翌日というのが、また生々しい。
しかし、これだけまともな受け答えのものは、いったい何年ぶりなんだろうなあ、と思う。遅死10.10以前は、わりと他の雑誌にも露出があって、ジャパンでも定期的に取材があって。この3年ほど、まともな五十嵐の声は聞いていない。(1回だけジャパンで焦点の合わない五十嵐単独インタビューがあったけれども)
それなのに、五十嵐の言葉ひとつひとつが、まるで長いこと見知った親友のように、染み入ってくる。どうしてその言葉を言うのか、ひとつとして納得できない、理解できないことがない。
仕方がない、というのが近い。考えすぎだよとも思う。これだけ周りを冷静に見て、分析することの出来る人が、他に方法はなかったのだろうか、とも思う。中畑君の気持ちを勝手に決め付けてるような気もする。
それでも、やはり。
五十嵐が言っている事は、もう、この何年かずっと待っていた者としては、痛いほどに理解できてしまう。
最後の最後まで、syrup16gの一番のリスナーは、五十嵐なのだ。
中畑君がどれほどシロップで叩きたいと思っても、ファンが新譜や定期的な活動を熱望したとしても、事務所やレコード会社がバックアップしても、ジャパンの兵庫さんがsyrup16gの存在を埋もれさせないように、ライターの域を出るほどの記事を書いたとしても。
リスナーの五十嵐はわがままで、頑固で、好き嫌いがはっきりしていて、そして誰よりも純粋だ。だから、分かってしまうのだ。シロップが否応なく変わっていった事実を。
それでも、3年は活動をして、ライブをして、ライブだけでも新曲をして、そしてケジメもきっちりつけたのは、五十嵐が大人になったのだろうし、もともとはとても常識的な礼儀正しい面があるということなのかもしれんと思う。
私たちがどんなにシロップを想っても、五十嵐にはかなわない。
写真の五十嵐は少しやつれて、でもその目は10.10の頃よりは落ち着いているように思う。NHKホールの時も感じたが、やっと五十嵐は解放されたのだと思う。ミュージシャンとしてもだけれど、ひとりの人間としてもこれから生きていく上でよかったと思いたい。音楽しかできない人なのであれば、なおのこと、時には重荷を下ろしてゆっくり息を吸ってほしいと思う。本当にギリギリの状態になって、その身体すらも失う前に。もうそういうのは見たくないのだ。
兵庫さんのインタビューは秀逸だ。おそらくは、記事ほどにはスムーズに出てこなかったであろう五十嵐の想いを、うまく引き出すように、けれど誤解ないように届く言葉を丁寧に選んでいる。しかしスパッと切り込んでいる緊張感もあって、これはプロであることもしかりだけれど、シロップを見てきた人でなければ出ない言葉だ。こうして、五十嵐の想いを形にしてくれて、とてもありがたく思う。
五十嵐の言うとおり、音を聞いていればすぐに分かってしまうことばかりで、事態は実はとてもシンプルだ。やり直そうとしたがやり直せなかった。運命の恋が終わり、蜜月は過ぎて今は新しい局面を迎えたのだと。
他のバンドなら、例えば一旦ソロ活動したり、メンバーチェンジしたり、ソロ名義にするなど方法は多種だ。五十嵐ほどのソングライティングの力があれば、どれも可能だろう。
でも、バンドは生き物で、どこかで死ぬのであれば、それをきっちり落とし前つけたのだと、今は信じたい。
先のことは分からない。今はsyrup16gを看取ることが義務だと思う。骨は拾わなければ、ね。

ただ、「最後のデート」発言は失笑だよ!「なんか大人な感じ・・・」とかほざいてんじゃないよ!五十嵐!私は大人じゃないのでね。最後のデートだというなら、武道館は完全武装でいきますよ。