je suis dans la vie

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「ROCKIN’ ON JAPAN」syrup16gラストインタビュー

表紙がBUMPの藤君なので、またもやへこむ(うらやましくて)。最後なんだしシロップを表紙にしてくれよう!そういや、ラスト、終わり、終焉、閉幕、卒業・・・、こんだけネガティブでセンチメンタルな言葉が似合うバンドも珍しいものだ・・・ふふふ。
この前の号で、しっかり五十嵐の言葉は受け止めたので、今回のインタビューで特に目新しいものは無かった、言葉においては。新作であり、最後のアルバム、セルフタイトルの「syrup16g」の自己ライナーノーツともいえる全曲解説・・・というか最後のぼやきが今回の目玉。
兵庫さんには最後まで追いかけてくれて感謝しているし、おそらくは活字ほどには分かりやすくないであろう五十嵐の言葉を、確実に届けているその能力(ほとんど通訳)は、他の群を抜いている。
が、申し訳ないが、音人の金光さんのラストインタビューが今のところ最高であり、あれ以上のものは出てこないかもしれないなと思う。遅死10.10の野音前後の各誌インタビューでも、その時だけのsyrup16gの状態を、彫刻刀で削りだすように、丁寧に示したのは金光さんだけだった。
ただ、兵庫さんの文章は五十嵐との親密さと無邪気さ*1で、五十嵐の「実はまっとうで平凡で庶民的な」部分を引き出している。今回は特に、前回が濃い内容だったので、新しく話すことが無い分、五十嵐の力も抜けていたのか、そこかしこに柔らかで素直な発言が多く、syrup16gの五十嵐というより素の五十嵐隆になっていた。
以前から五十嵐ってごくごく普通の平凡な家庭に育ってるんじゃないかなあと思っていた。すごくいいわけではないけど、礼儀とか常識とか愛情とか思いやりについて実はほどほどにバランスよく親に教えてもらってるのじゃないかなあ、と。
彼が埋められない何かを語る(歌う)時というのは、いつも自分の今現在の内面においてのみだ。それを何かに関連付けたり、何かや誰かのせいにしたりはしない。これだけ深い孤独を感じ、弱さを露呈し、愛情を渇望しているのに、それから逃げはしない。実は不幸な育ちでとか、貧乏だったとか、トラウマがあるとか、スターにありがちなドラマティックな過去について本人語るわけではないのでもしかしたらあるのかもしれないけど、歌からは感じられない。これだけネガティブな人のに、過去をネタにすることがないのは、人生に恵まれていたわけでもないだろうが、過去を恨んでいないからだと思う。それについてはすごい人だなあと、思っているのです*2
父親の話からも、淡々と感謝の気持ちが語られてしまっているし。しかも、その父親を歌った歌については、異様に素直な歌詞になっている。これを初めてライブで聴いたときは、あまりの率直さ(ベタさ)に引き気味だったのだけど、五十嵐って、そもそもこういうかっちょ悪い人なんだよな、と思う。かっちょ悪い、でも(来週の)ヒーロー。
そして、五十嵐は自分の歌が「明らかに孤独を抱えている人」だけではなくて、「表面的には恵まれているようで、内面ではいろいろ抱えている」にも伝えたい、伝わるものがあると思っている。それは上っ面だけじゃなくて、ちゃんと見ているということだ。ただの代弁者ではない、メッセージシンガーでもない。あなたも私も同じだよ、というのをネガティブにアプローチした表現者で、その真っ直ぐの変化球を受けた私たちは幸運なのか不幸なのか。そういうこの人の行く末まで見守ることは必然であり、やれやれと思いながらも、他の人には分からない宝くじのような感さえある。
とりあえず、五十嵐には今後はもっと横柄で図々しくなってほしい。死ぬ死ぬ言い過ぎだよ!死なないと思うけどさ。
新譜楽しみ。

*1:「有名じゃないバンド」って率直すぎだろ!「闇のミスチル(笑)」に向かって!

*2:珍しく褒めてみた