je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

精神安定剤

映画化で話題の本作、遅ればせながら読了。
特別に大きな事件が起こるわけでも、大きな感情の流れがあるわけでもなく、淡々とした時間の流れ。けれど、80分しか記憶の持たない博士にとってはその流れすらない。記憶に残らないというのはどういうことだろう。好きになった人や、関わった人が、自分を決して覚えてくれる事がない。一見、悲しいシチュエーションだけれど、むしろそのことによって主人公は、博士に細かな気遣いが必要となり、そうすることで自分自身が癒されてくる。歪んで複雑になった愛情表現ばかりが突出している現代、この作品が支持されたのは、そんな当たり前の「他人への気遣い」が至極当たり前に描かれているからではないだろうか。
博士が数学について語るとき、分かりやすく丁寧に語る。うちの父も、理系なので、よく教わりにいったが、先に答えを出してしまうので、いつもケンカになった。こんな風に教えてくれれば良かったのに、とちょっと悔しく思う。

当方、「女子」という季節は微妙に過ぎつつあるけれど、今読んだからこそ面白いかも。つかさ、リリーさん、ものすごいデフォルメしてないか。さすが、妄想委員長。本当にこんな女子存在するの?そりゃ、女性蔑視といわれてもしゃーない。でも、私は怒らない。だって、リリーさんって本当は乙女なんだもの。巻頭のピチカートファイブばりの詩、文庫版あとがきのメロウ感。あなた、本当はいい人なのね…。と、枯れたオヤジにまんまとだまされてみました。しかし、これを読んで、その通りに実践する女子はいるのかね。だとしたらやばいって。あ、でも確かに靴はきれいにしていた方がいい。そして、ザルの女子は口説かれない。私はよくつぶれた男子を介抱してました。モテたい人は「嘘でもいいから酔ったふり」。

14歳は特別な季節。大人の世界をのぞき見たくなる年頃。
自分が14歳の頃、何考えていたかなー、と思う。結構楽しかったなという感じだけある。
男の子はこんな事考えていたんだなー。確かに、男子が急にいやらしい話をしたりしだした頃だ。男の子と二人でいたら、知らない女の子に嫌味言われたり。妙に色気づいて、フワフワしてた。
石田さんの作品は、いつも悲しかったり、目をそむけたくなるような事を、さらりと提示する。そこには啓蒙や押し付けがましさがないから、するりとこちらに届く。