je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「隣りの男」@本多劇場

※ネタバレ少しあります。注意してくださいまし。

  • 2005/06/15(初日)

正直、始まる前まで結構ドキドキだった…。大森南朋・初主演舞台ですもの!
しかし、そんな危惧もなんのその、出てきた瞬間から悠々と、水を得た魚のように、大森さんはハマリ役。メガネで白衣で横分けなんて、大森ワールド全開。
ちょっと神経質で、小心者で、スケベで、マザコンで、情にもろい竹田は大森さんそのもの、というよりは、大森さんが映画で演じてきたいろいろな役を少しずつより合わせたような男。どこにでもいそうな、どこにもいない幻想の男。決していい男じゃない。むしろ、うっとうしくて友だちになるのは躊躇する。でも引っかかる。それは岩松了の脚本に出てくるキャラに共通する事柄なのだけど。その世界に面白いくらいにフィットしていた。
他の三人との距離感、計算しつくされた動き、一寸の狂いもなくきっちり演じていた。この辺は岩松さんの脚本の緻密さと、演出の指示の正確さをうかがわせた。そして、それをきっちり演じている演技者の力量もあふれんばかりに感じた。
久々にいい「初日」を見た。

  • 2005/06/18

客席に初演の竹田を演じた竹中直人氏。
初日からあまり間はあいてないけれど、かなりこなれた感があり。席が後ろの方だったので、全体をくまなく見られて、話にもゆっくりついていけた。
戸田昌宏さんと鈴木砂羽さんの不思議な夫婦像が切なくて。この人たちは、どこにも行けなくて、竹田眼鏡店に来ちゃうんだろうな…。異様なほどに仲がよくて、お互いを痛いくらいに思いあって、でももうどうしようもない感じが出てて。抱きしめても、言葉を尽くしても、裏切っても、傷つけても、二人は離れられない。いつまでもいつまでも、果てない荒野を手をつないで歩いて行くしかない。ある意味では理想の夫婦だな、と思う。私の結婚のイメージはこんな感じなので、ヘロヘロにずっと愛しいと思ってくれるのはいいなあ、とか思った。荒野にもしかしたら薔薇の花が咲いているかもしれない、って思いながらずっと歩いていく、そんな感じ。
竹田はこの夫婦のスケープゴートに、思いがけずなってしまったのだろうか。例えば、「突然炎のごとく」「いとこ同士」といったフランス映画における、二人の男に一人の女というシチュエーションだけならば似ている。大抵は男同士に不思議な友情がある(女二人に男一人、という逆パターンでも同様、歪んだ同性愛が根底にある話が多い)。けれど、この場合は夫婦に対しての一人の男なんだろう。夫婦で一人の人間を共有する。その共有性においてのみ、二人は互いの存在を確認しているのではないか。
しかし、岩松さんは竹田と八千代の恋には「地球のかたすみでこんな二人がいる」「その唇のためにこの唇がある」という刹那的な、美しい恋の言葉を用意している。夫婦が荒野の散歩なら、恋人同士は世界の果てを見に行く事だと思う。世界の果ての断崖絶壁まで行ったら、その恋は終わる。はじまりがあって、終わりがあるのが恋。
何故か、この舞台の初日の後に「男と駆け落ちをする夢」を見た。しかも、その男は私に「海へ行こう」というのだ。「何故、海なのよ」と問うたら、男は情けない顔で海に行きたいのだと言うのだ。変な夢だな、と思っていたのだけど、2回目のこの舞台の鑑賞で、なあんだ、ネタはここだったかと、自分の記憶力の脆さに恥じ、岩松さんの潜在意識への影響の強さに感服した。
しかし、果たして、竹田は本当に八千代に海へ行こうと言ったのだろうか。カセットテープの八千代の声が呼び起こした、美しく変えられたセンチメンタリズムの産物ではないのか。そうであったら、そんな恋であったら、という利用された男の妄想だったかもしれない、と思うと竹田は本当に不憫な男だと思う。ひとりぼっちで、かわいそうな、愛しい男。永遠の隣りの男。可愛らしい、ちょっと気の変な間借り人がやってきたとて、それは彼を救わないだろうことは容易に想像できる。むしろ、竹田の存在が希薄であることを強調するだけになる。竹田眼鏡店は、増え続ける侵入者を受け入れるゴキブリホイホイなのかもしれない。
宇野が八千代に「お前が着ていたあの赤いカーディガンも、俺が忘れてしまったら、それは存在しなかったことになる」というすがるような言葉に、八千代は「私もあんたの革ジャン覚えてる」という。「暗い音楽」という符号、「湖」の言葉遊び、毎日のように、愛の告白をし続ける夫婦にかなうものなどこの世にありはしない。
宇野のラブレターには何が書かれていたのか、兄の存在は、夫婦はどこまで竹田の事を話しているのか、無言電話の主は、天井のシミは何故できたのか。分からないようで、実は答えはシンプルかもしれない。
答えを知る事はできすに、竹田は永遠に宇野夫妻の目撃者でしかありえない。宇野夫妻の残虐で、純粋な遊びの的になってしまった男は何から幸せを見出すのだろう。