je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

どうせアタシは本の読みすぎ

と開き直ってみたりして。いーの、いーの。小さい頃、おばあちゃんち行って読む本がなくて、お経読んでた私ですから。おそらく本がなくては生きていけない運命*1

この戯曲が、ああいう芝居になるのねえ・・・。ふむふむ。テキストで読むと、繊細さが際立つ。ト書きもなんか優しいわー。乙女だわー。やっぱ、宇野の台詞にぐっときちゃうなあ。こういう男に弱い私。宇野のラブレター読みたいよー!なんて書いてあったんだろう?岩松さん、書いてくれ!

大好きなエッセイ、ポンちゃんシリーズ。エイミー姐さんも、たくましくなって、でも相変わらず酒びたりで、野生児でステキング。旦那さんとも仲良しでいいなー。作品もそうだけど、読んでいると、人生の楽しみ方を教授いただいてる。悲しみについての処し方を教えてくれたのが鷺沢さんなら、喜びについての処し方を教えてくれたのはエイミー姐さんです。

珍しく恋愛小説。でも、桐野節。この人の、乾いた、でも奥でヌメっとしてそうな闇が好き。孤独とは何か、知っている人ならすぐにこの世界へ入れるだろう。闇のぬめりを、怖れながら触る。知らなくていいことが、世にはたくさんあるけれど、知ってしまったらどうするのか。壊したあとに、再生はあるのか。はっきりしないところを、まま描く手腕はさすが。

映画とはまた違う感じ。こちらの方がさらっとしているような。映像と文章の特色の違いがあって、いい。つまり、あの映画は成功しているということ。
宗教観について、ある種のガイドブック的役割をしているように思えた。目からうろこ、ではないが、まあそんなもんだよね、くらいの確認をさせてもらえた。神がいるか否かという問題については、いろいろあると思うが、そうすると「在る」という概念自体をどこにおくかという、言葉の問題になってしまうし、それは野暮になりかねない。ただ、私は「何かを信じる」ことのできる人は強いなあ、と思っている。
しかし、宗教についての「許す」という作業が未だ解せない。何故許されなければならないのか?それについても、朧はある種の爽快な回答を出している。
「匂い」が五感の中で一番記憶に直結している、というくだりに、やっぱりなと思った。花村さんの文章は感覚にうったえる。「分かってしまっている人」は、感覚が鋭いのだ。だからこそ、朧は「一番神に近く」、「モラリスト」である。そして素直に「侮っていたよ」と認めるだけの賢さ。朧の強さは信心とは別の場所にあるが、プリミティブで柔軟だ。

*1:「さだめ」とよんでね