je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

『偶然の音楽』@世田谷パブリックシアター

近くの茶店で久々のマンダリンを味わってのんびりして、トラムへ行ったら違った。だって、白井晃さんって言ったらトラムだよね!てか、チケット確認しろよ自分。間に合ったからいいけども。
原作は大好きなポール・オースター。そして、中でも一番好きな作品。上演されると決まってから、本当に楽しみでした。白井さんの世界観にもマッチするし。でも、好きすぎて、イメージと違うとやだなー、と危惧もしたりしてましたが、原作をきちんと理解しつつ、舞台として成立させた白井さんの手腕によって、あまりそれは気になりませんでした。
仲村トオルさんのジム・ナッシュも、強いんだか弱いんだか分からない、飄々とした男像がリアルに実態として表現されてて。そして、大好きな小栗旬くん!彼が「ジャック・ポッツィ」を演じると聞いて、日本で一番喜んだのは私だ(断言)。ジャックはオースターのキャラの中でも一番好きなんだよー。でも、それだけに期待が大き過ぎて、ドキドキだったのだけど、始まったら「ジャック・ポッツィがいる!」と感動してしまった。思わず涙まで出たよ。ありがとう、旬くん。うまくなったねー。台詞回しも安定してたし、身のこなしも軽やかになったし、自由で太陽のような明るさを持ったジャックは、彼に本当にぴったり。体も鍛えたのか、綺麗な筋肉の背中になってた。
セットらしいセットはなく、空間を縦横の不規則な動きで役者が行き来する。この動きがまた美しい。時間も交錯する。冒頭のジムのモノローグも、長いが飽きさせない。きちんと主人公の気持ちに沿って、その後のジャックの登場とのメリハリがきいている。ジャックが登場すると、一気にジムの世界は明るく激しい時間の流れの現実へ照らし出される。この時の、旬くんは素晴らしい。光が強ければ、陰は濃くなる。が、この場合、ジャックの明るさはジムの陰を消すほどの光を放つ。これこそが、ジャックの魅力、そしてジムが惹かれた生への躍動。
ポール・オースターの作品は、だいたい「父親」「遺産」「旅」「偶然」という符合があるのだが、これはそれを最大限押し出している。完成度も高い。それがゆえのあのラスト。
結局のところ、人は自分がみたもの、聞いたもの、だけでしか判断できない。ジムは、目の前にいた時のジャックしか信じない。
偶然に身をゆだね、過去の思いを断ち切ることもできず、破滅へのドライブしか、彼には選択肢はなかったのだろうか。内容を知っていたので、ラストについては心構えがあった。ので、自分と重ねることはしなかった。それでも、車の音はかなりきたけど。ジムと私の違いは、選択か、偶然かの大きな違いもある。
それでも、ジムはすべて「偶然」という。めぐり合わせ、流れ。カードの組み合わせで決まる程度の人生。札束で振り回される程度の幸せ。でも、ジャックとの出会い、それは数えたり、区分できるものじゃなかった。だから、ジャックは魅力的に映る。私たちはジムを通じてジャックを見ている。
偶然の音楽、それが流れる時、私は何を想うだろう。そして、誰といるだろう。