je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「LOVE LETTERS」@パルコ劇場(2005/03/28)

「2005Floriferous Season SPECIAL百花繚乱」と銘打った、2005年のラブレターズ
そのトップバッターとして、大森南朋君&伊藤歩ちゃんのコンビ。
前回、北村君のを見に行って、内容は知っているのだけど、やっぱり読む人が違うと、ほんとに受け取り方も違うなあ。北村&田中コンビだと、メリッサの方が芯が大人で冷静で、アンディが子供っぽくて情熱的だった。今回の大森アンディは、淡々と冷静で、そしてずるいアンディになっていた。対する、歩ちゃんメリッサは少女の情熱のまま大人になってしまった危うさが出ていた。比べるものではないけれど、北村アンディにはずるい中にも「仕方ない、でも愛しい人」という感じが出ていたのだけど、大森アンディは「大人のふりして、本心を隠して生きててずるいけどかわいそうな人」という感じ。どっちがどっち、というのではないけど、大森アンディには、ある種の男のリアルを感じた。あー、男ってずるいよね。でも、男と女の違いが如実に出ていたように思う。歩ちゃんメリッサは、最後に涙を流してしまうくらいの静かな炎を持っているキャラだったので、結構いい組み合わせだったかも。「静と動」「陰と陽」と相反する組み合わせはこの芝居に合うのかも。でも、また「静と静」「陽と陽」という組み合わせであった場合、どのような形になるのかと気になった。同じ作品を何年も、いろんな組み合わせで続いている理由はそこにあるのだろう。
季節のせいか、客席も咳や鼻をすする音が多くて、花粉症の影響って大きいなあと思う。風邪をひく季節もあるけど、あれは防げるものだし。花粉症は防ぎようがないからなあ。大森君も少し花粉症だったかな?
さて、朗読劇というのは、普通の芝居と違う。会話ではなく、モノローグ。この作品は「手紙」という形ではあるけれど、手紙は受け手のある一方的なモノローグだ。「読む」という作業は、技術もだけれど、慣れや受け手の心構えが大事だ。私は、身内が朗読の先生をやっていて、手伝ったりして、自分でも読んだこともあるだけに、読むのも聞くのも慣れている方だと思う。その上で、大森君の「読み方」というのは、そう悪くなかったと感じた。もちろん、プロとしての課題は常にあるけれど、声の質そのもの、声音、自分のリズム。何よりリラックスしてできていた、というのは大事なことだと思う。つっかえも多かったが、きちんとキリのいい所で読み直し、それでもリズムは崩さないでいた。読み直す、というのは実はすごく危険な技なので、その辺は落ち着いてできてたのでは。舞台というの生ものなので、アンバランスさを楽しんで、またいろいろやってみてほしい。
発展途上な今の大森君、私は割と好きです。