je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

銀座の話

銀座24の物語 (文春文庫)

銀座24の物語 (文春文庫)

幼い頃、銀座の近くに住んでいたことがある。
というと、まあお金持ちな。ということになるだろうか、いやいや、まったく程遠く、社宅に住んでいたので、その頃は貧乏だった。でも幸せな思い出が多かった。
子供の頃、たまに洋食屋で家族で外食して、帰りはゆっくり柳の並ぶ通りを歩いて帰った(銀座は柳が多い)。
佐賀銀行のあった建物の壁に、般若の面が飾られていた。ガラス越しに見るそれは、小さな私にとってはつくりものと認識するにはあまりにも恐ろしく、その建物に近付くたび、父や母に「通り過ぎたら教えて」と言って目をつむったものだった。大抵、悪戯好きな父は、通り過ぎる前に、まさに般若の面の真ん前で「もう過ぎたよ」と言って、私を騙したものだった。時には父におぶわれた背の上で、または父の手をぎゅっと握ってその甲に顔を押し付けていた時などだった。まんまと騙されて、叫び声をあげるのが常だったが。
今は佐賀銀行もなく、銀座らしい景色も少しずつ失われていく。昔、地方出のボーイフレンドを連れてきた時、ネオンの光と銀座という名の響きに、ただ驚いていた。
私にとっては、柳の揺れる、父の背中の思い出の多い暖かな街なのだけれど。
先日、偶然に、よく家族で行った洋食屋を見つけた。時折、そんなふうに、迷い道の中、不思議な景色に出会うことがある
この本を買ったのは、鷺沢萠さんの作品が載っていたからだった。時折、鷺沢さんの言葉を追いながら、まったく違う懐古の想いにかられることがある。このアンソロジーも、そんな感じだった。鷺沢さんは私にとって、そういう人だった。大事な想いの呼び水になっていた。
今夜の涙に霞んだような、光り潤んだ月を見ていると、もう一度だけ、鷺沢さんの言葉を聞きたくなる。読みたくなる。そして、この美しい月夜を、彼女も見た事があるだろうか、なかったなら見せてあげたい。そう図らずも願ってしまう自分に気付く。