je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

 「明日がいい日でありますように」

鷺沢萠さんの最後の言葉たちが収録された、公式サイトの本。本屋に行っては手に取り、鷺沢さんとコマのポートレイトを見てはじわ〜っと涙がこみ上げたため、「いや無理、読めない」と何度も購入を先送り。
以下、かなり私情にまみれてますので、読み流してください…。
この所、私はほんとーにヘチゴトばかり並べていた。いつものことで、悪いサイクルがきてしまうと、焦ってジタバタしてしまうくせに、あーもういいやとなんもかんもめんどくさくなってしまう。そのくせ、人のせいにばかりして、実際このところ周りにいたのがケッタクソ悪い輩で、ああもう足ひっぱんじゃねえ、と毒づく日々。
分かっていたのです。「ケッタクソ悪い」のは、他人じゃなくて自分だってこと。人のせいにして楽になろうと、逃げようとしてた。嫌なのは自分。なんも努力しないで、時間がないとか、体力がないとか、眠いとか、そんなことで先延ばしにして、ずぶずぶとぬるま湯につかっていた。
だめだ、やばい。と思って、この本を手に取った。開いたページに飛び込んできた言葉に、鱗と一緒に涙がぶわあっと出て、本屋で人目をはばからず泣いてしまった。

「キレイゴトに聞こえてしまうのを承知で言いますが、できることなら憎悪や悪意よりも、愛情や善意を連鎖させたい。私というちーぽけな人間の、心の底からの切実な願いです。」

この言葉は、9.11直後の鷺沢さんの言葉で、私のつまらん現状とは天と地ほどの違う重さがある。でも、もう読んだ時、すーっと押し留めてた何かが剥がれ落ちてしまった。
そんで、かなり自分が鷺沢不足だったのだと自覚。
おうちに帰って、じっくりと貪り読む。重い言葉もあるけれど、ほとんどが自身の公式サイトの管理人・わたべさんとの軽妙なやりとり。「給食」「野球」「お風呂」などなど、日常のなんてことない、でも笑える話ににやにやと読み進む。
そして、最後に近づくにつれ、自分がなんでこの本をずっと読めなかったのか思い出す。「あの日」に近づくのがいやだったのだ。仕方ない事だけど、受け止める勇気が、この二年なかった。それでも、静かな気持ちで読み進めた。
突然、もう一度涙がぶわあっと出てしまったのは、本当になんてことない言葉だった。わたべさんが、「○○大学(お嬢様大学)に行っていればボタンを掛け違えた人生にならなかったのでは」というやりとりを鷺沢さんとしていたくだり。ファンの方の「○○大学に行っていたら、鷺沢さんに会わなかったのでは」という書き込みに、鷺沢さんが、

「しかし、私という知己を得る事と、テニスでスキーでブランドバッグでアロマテラピーな毎日を過ごすこと、どちらがわたべさん本人のためになったでしょうね」

と皮肉っている。涙がボロボロ出てきて、止まらなかった。鷺沢さんは「答えは明白ですね」と、冗談めかして、自虐的にネタにしていたけれど。
気付いてしまったのだ。「テニスでスキーでブランドバッグでアロマテラピーな毎日」よりも、鷺沢萠の本を読んでることの方が、自分にとってどれだけ価値があって、大事で、かけがえないものだったか。もし、これからまた、「鷺沢不足」になったらどうしたらいいんだろう。「テニスでスキーでブランドバッグでアロマテラピー」はなんの役にも立たない。
だけど、人には分かってもらえなくても、そんな想いがあることを、やはり誇りに思う。結局は泣きながら、鷺沢さんに感謝するのです。