je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「春の居場所」

鷺沢萠さんの遺作の映画化。しかも未完の作という事で、少し複雑な気持ちで鑑賞。
けれど、かなり作品のイメージを壊さず、原作では描かれなかったラストもしっくりきた。
柏尾(かしお)は高校2年生。父親の仕事の都合で、自分の学力より低い高校に通っている。同級生に「頭がいい」と言われながら、別に自分は要領がいいだけで、頭がいいわけではない、とちょっと所在無い気分の毎日。それでも明るい友人のマッキーや、家政婦の臼倉さんが柏尾の心を緩ませていた。柏尾は、ある時、気になっていた同級生の男の子、ゼンコーに麻雀に誘われる。友人が来ないまでのピンチヒッターだったが、ゼンコーの家で寝入ってしまい、「危ないから」とゼンコーに引き止められ、始発まで留まることとなった。翌朝、柏尾をゼンコーは駅まで送る。その時の何気ない言葉で、柏尾はゼンコーを「途轍もなく好きだ」と自覚する。バレンタインに意を決して告白するが、ゼンコーには彼女がいて、玉砕。その後、時が経ち、留学、結婚、離婚…といろいろな経験をし、柏尾は仕事の関係でゼンコーと再会する。
なんということはない、初恋の物語だ。けれど、恋をしたのが、少しだけいろいろ背負ってしまっている女の子。そして、それは周りに少し理解してもらいにくい。
これは、鷺沢さん自身の物語なんだったんだろうと思う。彼女の本を読んでいる人なら分かるのだが、鷺沢さんも家庭の事情で、希望でない高校へ行き、「異邦人」であることを多感な時期で経験した。頭がいい人が、自分の学力より劣る学校へ行った、というのはある種いやみに聞こえるかもしれない。だからこそ、口に出せない、そういう苦しみもある。もし柏尾が、いや鷺沢さんがもっと鈍感な人であったなら、その状況を嘆いて荒れるとか、人を寄せ付けないいやな人になっていたのだろう。むしろ、その方が自然かもしれない。けれど、彼女が感じていたのは、「自分はこんなとこにいる人間じゃない」なんてことじゃなく、「自分はここにいるべきじゃない人間」という疎外感だったんだろうと思う。そして、その気持ちは、鷺沢さんが自身の出生について知った時に、また別の様相を呈してくる。
鷺沢さんは、この時の気持ちを他の作品にも描いている。「夢を見ずにおやすみ」に出てくる、ハマジュンこと浜尾淳子のエピソードも盛り込まれている。ゼンコーのような少年に告白して、ふられる話は「海の鳥・空の魚」にもある。そして、鷺沢さんの作品に描かれた主人公は、誰もがそういう「所在無さ」を抱えているものたちだ。
私が鷺沢さんの作品に一番惹かれた部分は、ここだった。誤解を怖れずに言えば、私は鷺沢さんと同じように思っていた時期があった。小学校で父の仕事の都合でアメリカに渡り、いまでこそ珍しくないが当時は少なかった、いわゆる帰国子女となった。帰ってきた時は、もといた小学校だったので幼馴染も多く、学校も公立なのに制服があって、周りにいる同級生も、いやらしい言い方をすれば「いいおうち」の子が多かった。日本語をうまく話せなかった私を異端に扱う空気はなかった。けれど、その後、下町と呼ばれる所へ引越し、かなり環境が変わった。中学はその数年前に校内暴力があったりして、いわゆるヤンキーな子も多かった。私はとにかく英語の時間、リーディングに当たらないよう、当たっても発音をわざと悪くしてみたりした。いじめられる要素になるんじゃないか、という予感と、自分が他の子と違う部分で目立ちたくないと思っていた。
けれど、1年の時の英語の先生が早々に気付き、その事を気にしないようにしてくれた。怖いヤンキーの同級生なんかが、「英語教えてー」なんて来たりして、それはそれで面白かった。いじめは避けられたが、でも、それはそれで、贅沢な話、異邦人な感じは残るもので、所在無い感じはあった。こうやって具体的に書きながらも、分かってくれる人は少ないかなと思う。ものすごくマイノリティな感情だと思う。だから、柏尾は誰にもそのことを言わないでいる。彼女を誰もいじめないし、普通に友達もいるのだけど。
映画を見ながら、柏尾が一人で自室にいるシーンで泣いてしまった。なんてことはないシーンなのだが、柏尾がなんだか寂しそうに見えた。
後輩の命日が近かったり、なんとなく疲れていた精神状態もあって、鷺沢さんの物語を見るのはちょっと気が重かった。どんな想いが引き起こされるか、ちょっと怖かった。
この映画を見て、柏尾の「異邦人」な気持ちと同時に、もう一つ、私は思い出したことがあった。私は中学の時、好きな男の子がいた。ほんとに、これは嘘ではなく、ゼンコーみたいな男の子だった。私のことを異邦人扱いせず、フツーに、それはもう本当にフツーに扱ってくれた。いい子だったなと思う。恥ずかしい話、柏尾と同じように告白して、あっさり玉砕するのだが、その男の子はゼンコーと同じように、その後も変わらず無邪気な笑顔を見せてくれていた。
まったくもって、客観的な感想は述べられなくて情けない。けれど、やっぱり鷺沢さんは私に忘れていた小さな想いを思い起こさせてくれる。すっかりさっぱり忘れていた、幼い頃の恋が、これほどまでにほんわかと甦るのは、私にとっては驚きだった。
あの頃の所在無さは、経験しなくてもいいものだったかもしれない。でも、所在無さがあったことで、知らなかった自分を見られたとも思う。いい思い出ばかりだったとはいわない。でも、いろいろ自分の今につながっているのだと思うと不思議で、いとおしく感じる。
願わくば、大人になった柏尾が、もう一度、ゼンコーにもらった大事な気持ちを思い返し、明るい笑顔で過ごしてくれたら、と心から思う。