je suis dans la vie

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阿佐ヶ谷スパイダース「荒野に立つ」@シアタートラム

前日に日本に帰国。翌日これを見に行くという。
観劇自体が久々です。2月末から6月まで学校行ってたから、ほんと半年近くぶりとか?よく耐えたなあ、わたし。
しかし、その一発目がこれってどうなのかしらー。まあ、阿佐スパ(というか長塚君)の近年の変貌ぶりは、いろいろ考えさせられるところもあり、しばし見てこの変化がどうなるか確かめたいという野次馬根性のようなものもあり。
阿佐スパ名義ではないけど、前回、「浮標」を見て、長塚君の演出家としての手腕や、世界観の構築の仕方はやはりうなるものがあったので、今回は前よりは落ち着いて挑めました。
いろいろな形の椅子を、役者が各々持ってきて、思い思いに置き座る。話し出す、がそれは台詞のコミュニケーションではなく、テキストの朗読に近い。淡々とした、ト書きのような言葉が不自然な空間を作り出す。
そんな相変わらず最初のシーンではありましたが、横田さんが前説のように観客に向けて語る言葉は、観客を舞台へと誘い、はいりやすくさせてくれた。小さいながら、なかなかよい方式。
ただ、この人が水先案内人になると思いきや、そうではなかった。特にこの芝居の場合、主人公が「迷子」なので、一緒に迷子になってグルグルしてしまうのだ。横田さんに最初にあれをやらせるなら、も少しその役割を掘り下げても。
後で、「不思議の国のアリス」みたいな話だったなー、と思ったので、アリスの白うさぎみたいなのがほしかった。まあ、それはいえば中山さんの演ずる探偵がそうなのかもしれんが、探偵がそもそも3人いるし、似たような役割をする人がいるし、モブっぽいので出て来る人はそのまんまだったしで、少しとっちらかってたかなあ。
自分を見失った女が、夢の中で目玉を探しに行く。おそらくは夢の中。深層心理。
たくさんのヒントがちりばめられ、過去の出来事が彼女の分身のようなもう一人の女によって再現される。そして、夢の中へ入り込む父親や家族、友人、夫、男。つじつまが合わなくなり、やがてはこれは、一人の女の話ではなく、二人の女の話だと気づく。そして死んでしまったのは誰なのか。なぜ死んでしまったのか。女はなぜ迷ってしまったのか。パズルがいびつにはまり、からまっていた謎は輪郭をなしていく。
ものすごくはっきりした結末ではなかったけど、ゆるゆると解けていくさまはよかった。
この辺は、テキストというより、テキストの複雑怪奇さをきちんと読みとった役者の力量が大きいかも。
中山さんと伊達ちんはさすが。近年の大きな変化に惑うこともあっただろうけれど、やはり長塚君の言葉を長年発しているだけに、こちらに伝わってくる。
あとやっぱ中村まことさんですかねー。テキストを超える役作りだったのではなかろうかと。あんな父性あふれる役を、長塚君一人では構築できないような気がすんだよね。
女性陣は若さあふれるキャストで、このミステリアスな舞台には合ってたのでは。でも雰囲気だけで終わってしまっている人も多かったので、もったいない気も。
安藤聖さんは、テキストの難しい部分、主役としての立ち位置など、体当たり、という感じで好感が持てた。あと、平栗あつみさんはさすがですなー。落ち着いて見れた。黒木華さんは、小柄でほんわかムードなのに、何故か舞台映えする。
しかし相変わらず、長塚君の女性描写は、もう少し〜あと少し〜って感じ。結婚してから、色気が出たなあとは思うんですが。
前よりは落ち着いた感じがありました。ワークショップ方式で、ある程度長い時間かけて作ったという背景もあるのだろうけど。前作の「留学していろいろ影響受けてきましたー!」みたいな雰囲気が、本人無意識にせよ出すぎてしまった感じがあったんですよ(あくまで私見ですけど)。充電して、引きだしいっぱいにしたけど、とりあえずどんどんやってみるみたいな。今回は、その辺が少し整理されてきたような気がします。
椅子を使った演出や、少ないセット空間での演技というのは、けっこう演劇学ぶ時に、演出家や演者の表現力を広げるためのトレーニングでよくやるんだけど。だから、実際に人に見せるときは、ある程度その技術を体得してないと、けっこう厳しいはず。今までの長塚君の作品は、基本セットや小道具があってそういうマイム的なものは排除してたんだけど、もしかしてイギリスでそういうの学んじゃって、これは面白い〜って思っちゃったのかな〜。まさかその基本的な演劇表現を今まで知らなかったってことはないと思うんだが〜。野田さんとか、白井さんは多用して、なおかつ違和感ないので気にしたことないんだけど、長塚君の場合、慣れてない感じが気になるんだよねー。私だけかなー。それと、表現者側だけでなく、観客側に想像力を求めるのがどうもなー、と思いつつ。この辺はしばし課題かな〜。
そういや長塚君は今年初めごろのAERAのインタビューで「どんどん仕事が入って、擦り切れていくのがいやだった。やりたいことをやりたい時にやりたい」というような事を言っていて、そうだねえふむふむと思う反面、以前の彼の作品の魅力というのは、その「擦り切れた中」でしぼり出てくる焦燥感や退廃だったのかなあとも思う部分もあり。
ま、まだ若いので、この変化の期間をどう楽しむか。こちらもドンとかまえておきましょう。