je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「SISTERS」@PARCO劇場

久々の日記・・・。のんべんだらりとした日々を過ごしています。いつのまにか夏。
この作品でしばらくは長塚くんの作品も見られなくなる。
というだけではなく、すごーくよかったです。阿佐スパ名義の「失われた愛を求めて」で、新境地と思っていたら、これでまたひとつ扉が増えた、というか、扉が大きくなって開かれてきた感あり。
「LAST SHOW」とはまた違った充足感。そして、今までと違う開放感。
話の内容は相変わらずというか、とてもダークなのだけど、暗転の少ない場面変換の仕方や、セットに頼らない出演者の動きとか、演出としての幅も完成度が増してきた。
松たか子ありき、ではある。台詞も今までよりも難しく、流れがあるけれど、ともすれば言葉の羅列にしかならない独特のリズムが、松さんという素晴らしい俳優のおかげで「生きて」いる。「LAST SHOW」の時はアテガキであり、リアリズムや現代演劇としてその時にしか見られないライブ感があった。しかし、それも現実の会話のリズムの域を出ない。
見終わった後に、シェイクスピアの悲劇に似た感じを受けた。松さんや吉田さん、杏ちゃんといった、蜷川さんのシェイクスピア経験者による演技のせいもあるが、やはりテキストはかなり意識しているのでは?と思う。長塚くんがイギリスに留学するというのも、自分のスタイルに通ずる何かを感じたせいだろうか。
そして、長塚くんがよく演出をしている、アイルランドの劇作家のマクドナー。彼の作品はシェイクスピアとの共通点を見出すことは難しいけれど、独特の言葉のリズムや手法については全体を通して統一感があり、完成度が高い(いわゆるきれいな英語ではないが)。今作は台詞(言葉)について、とても洗練されたのは、多くイギリス系の作家のものを読んでいたのではと思う。以前は、何か一つの決めの台詞に至るまでの「会話」の集合だったけれど、今回は「流れ」や「全体」を意識している(日本では岩松了もジャンルは違うが、このタイプでは)。
長塚くんが目指すとしたら、マクドナーのブラックユーモア系になるのかと思っていたのだが、かなり違っていたようだ。長塚くんに喜劇を書く日が来たらまた違うのかもしれないけれど。
ストーリーは下手すると、古い少女マンガのネタのようでもある。が、そういえば、近親相姦はシェイクスピアお家芸。それを浪花節の日本でやったらベタベタになる危険性もある。今までの長塚くんだったらそうなっていただろう。この危険なネタをよくやりきったなあ、と感心してしまった。意識してかどうか分からないが、やはり何かしら勉強したのでは・・・としつこく疑ってしまう。
馨は救われるのか。ラストのあの短い返答は救いであってほしいとは思う。ただ、それは願いでしかない。
恋愛において、敗者は脇役であり邪魔者なのだ。馨の中で自分は敗者で、父親と妹は常に中心で、主人公であり続けてしまう。もし、あの時に、礼二から美鳥を「救う」ことができたとして、馨は救われたのだろうか?
ループを断ち切ることができるとしたら、やはり信助次第なのだと思う。あの台詞を信助に言わせてしまった劇作家は、結婚していないのに、夫婦の在り様について熟知しているな、と思ってしまった。私は、信助は条件反射で言ったのであって、あれは優しさや正義感とは離れていると思う(ただしそれも愛情と呼べる。とても健全な)。最初のほうの「結婚したばかりで新しい姓に慣れていない」とか、新婚夫婦のなんだかぎこちない会話とか、馨が信助に向ける微かな媚態だとか、それがないと最後の言葉も生きてこない。そして、新婚の松さんにそれをやらせているのも、なんだかわざとじゃないだろうけど、タイミング的に良すぎて怖いくらいだった。