je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「欲望という名の電車」楽日

時間が経ってから書いててなんですが。
初日と楽日の違いはいつも歴然で、どっちがいいとか悪いとかではなく、温度ではなく熱の種類が違う。今回で言えば、初日が太陽にジリジリと熱せられたような、ニューオリンズの街の暑さなら、楽日は自分自身をも燃えつくし消えたブランチの熱の熱さである。なーんて書いてたら、ブランチってまるで「あしたのジョー」みたいじゃね?と思ってみたり。そーだよ!最後は白く燃え尽きたじゃないか!衣装も白だったし(違います)。
スタンリー役の北村君は、すごく力が入っていて、ドアをバーン!バーン!って開け閉めする時とか、暴れる時とかものすっごい圧で、ドキドキしましたよ。最後だから壊してもいいぜ!とか思ってるのか?でも地方もまだあるし、などと心配してみたり。ですが、それがスタンリーのイライラ感がよく分かってよかったです。
ブランチとスタンリーって、ある意味では似てるし、駆け引きしあって、ある意味すごく合ってる。だが、スタンリーとステラの仲を考えると、人はすれ違っていたり、勘違いしていたり方がうまくいくのではないか、と思わせるシチュエーションだった。
ミッチの伊達君も力は入っていたが、動きがさらに俊敏になって、ひきつける時はぐっとひきつけ、特にブランチとのシーンのからみでは、ミッチがミッチである所以、存在理由がはっきりしていた。ミッチにとってブランチが母性や、知性や、自分が必要だと思ってるものをすべて持っている理想の女性だったのねー、と思う。だから嘘ではないけど、嘘をつかれていたと思ったのよね。その辺も考えると、やっぱりスタンリーが「真実の」ブランチを知っている唯一の人間なのだなあ・・・。フクザツ。
でも、スタンリーが黙っていれば、ミッチとうまくいったかもしれないと思うと切ない。黙っていればミッチの母親はそのうち死んじゃうだろうから、ミッチにしてみれば、おうちにまた「ママ」ができて、ブランチは居場所ができて。必要としあう事は、愛ではないときもあるが愛に限りなく近いし、むしろその方が「生きていく」うえでは重要なのであるし。
小島聖ちゃんのステラは、繊細で実はものごとをよく見てて、なんとかうまくいくようコントロールしている賢い女性だった。でも、おそらく、現実的に考えると、ステラは「鈍感で夫に依存しているあまり賢くは無い女性」という方がリアルだ。今回のステラはより現代的のように思う。ステラがラストに二階へ上がっていく様は、彼女が今後どうするのか?と思わせる印象的なシーンだが、時代性を考えるとステラが夫と別れて、自立するとはとうてい思えない。
ユーニス役の明星さんも、楽しそうに演じていて小気味良かった。彼女がブランチをすごく心配していて、かといってお節介でもなく、中途半端な距離で偽善ぶるような感じにも見えず、情の深いいい女になっていた。
ティーヴの菅原さんも、笑いを取る方向にいっていて、独自のスティーヴ像になっていた。今回はことごとく、新しい役になっていて新鮮だった。よく「役が乗り移る」というが、役者と役が共存して一緒に生きている感じがした。
篠井さんはとにかく綺麗だった。こわい役なのだけど、愛を求めて狂おしいほどに焦がれるさまが今回は良かった。狂っていくブランチより、哀しい思い出を語り涙ぐむブランチやミッチとの仲の進展に一喜一憂するさまがけなげで。特に、出て行ったミッチの後を見送るように、ドアに崩れ落ちる時の表情は「あ、すっげーきれい」とジーンとしました。自分もああいう表情をしていた時があったかな?と思う。女の子は、恋してる時の切ない顔が一番綺麗だよねえ。
最後のブランチの出て行くシーンはいわずもがなで、白いドレスは、花嫁なのか死装束なのか、はたまた燃え尽きた矢吹ジョー(まだいうか)。潔ささえ感じるブランチは篠井さんならでは。
終演後にお茶と韓国料理。スタンリーとステラが何故夫婦?という問いにkai嬢の身も蓋もないがとても素晴らしい答えに納得してみたり、ちぃちゃんのまだ20代ならでは意見になるほどーと思ったり。「欲望」はR30くらいにしておくといいかもしれんなあ。死が意識できる年回りにならないと分からないのかも。R30というより、30過ぎたら必須にするのもいいかもしれない。
結婚のお祝いなどいただいて、とってもよい日でした。いやはや、みなさまありがとうございます。