je suis dans la vie

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「欲望という名の電車」@グローブ座

久々の観劇がこれですよ。しかもゆっきーですよ。どうなるのかなー、大丈夫かなーという思いが20%。というのは、ゆっきーがお父様の北村和夫さんの演じた役をやるという点も少しは気になってたのだけど、前回に見た古田新太=スタンリーがイメージ強すぎたので、どうなるのかな〜と。伊達君のミッチも、イメージが出来なくて気になるとこでした。期待と不安がないまぜになりつつ、どうなるのかやはり楽しみでもあり。
始まってしまえばすすーいとスズカツ&篠井ワールドに引き込まれる。あの二人は、相性いいんだなーと思う。スズカツさんの演出、篠井さんの演技、と分割されてるんじゃなくて、二人で一組みたいになっている。見えないそれが、他の演者をゆるーりとひとつにまとめていた。初日とは思えない安定感。
篠井さんは見た目は前回とあまり変わらないような気もしましたが、グローブ座の最前列ということもあってか、立体感・肉感のある存在感でした。前回はまるで、スタンリーとステラの家に現れた「亡霊」のようでしたが、今回は明らかに「邪魔者」or「曲者」。ブランチが背負ってきたものがぐぐっとリアルに迫った。だからこそ、余計にステラの気持ちも浮き彫りになっていく。この辺は、小島聖ちゃんは初々しくてよかったなー。ブランチとスタンリーの間で揺れ動く心情や、それぞれに対する別個だけど純粋な愛情。近くで見たので、顔の表情もよく見えたものあり。
ユーニスとスティーブの二階に住む大家夫婦が、より一層厚みを加えている。3人にからむ場面もだけど、二人のケンカや、スティーブが「女は弱いもんだ、女に暴力なんかふっちゃいけねえ」という独り言に近い台詞なんか、ちょっとしたシーンなんだけど、この夫婦の在り方や、他人に対しての優しさや懐の深さが感じられる。ミッチとパブロは割と距離を置いて、スタンリーとステラに接してるだけに。
男と女のあいだには〜♪じゃないけど、実際のとこ、1階の夫婦も2階の夫婦も、分かり合っているわけではない。ケンカして、時間がたってまた元に戻るけど、また同じようなケンカをする。それが生きていくという事。しがみついたり、はねつけたり。
そこに入り込んだブランチという「異物」は、そうやって日々をこなしている「生きている」人々にとっては「死」や「絶望」を感じさせる。
前回は実はあまりスタンリーにもステラに感情移入できなかった。なんか、スタンリーは勝手すぎて、ステラはあまりにのほほんとしてて。今回は、勝手な理由も、のほほんの理由も分かってきた。演者の違いというより、自分の見方なんだと思う。
伊達ミッチは、ミッチだったなあぁぁ!最後のポーカーのうつむいてる顔が、ミッチだった。ぐぐっと我慢の顔だった。「年なんか関係ないんだよ!」って、あれがミッチの一番本当の気持ちなのかもなあ、と思わせるくらいに純情マザコンミッチでした。
北村君は、傍若無人で暴力的・情熱的、だけではない、必死なスタンリーで良かった。スタンリーはある種の悪役なんだけど、実はすごく人間味もあって弱くて、という面がはしばしに感じられた。
しかし、相変わらず、あのスタンリーとブランチの二人の最後のシーンが分からないのです。分からないなら、分からないままでいいかなー、と思うんだけど。しかし、前の時も思ったが、年齢を経るといろいろ分かる作品である。昔はどんよりとしかしない不快な作品だったが、普遍的な男と女の話でもあるんだなーと思う。
A氏のブログの通り、「愛ある作品」だった。哀しい残酷な物語なのに、終わった後、登場人物の生きる力を受け取ったように思う。
会場を出ると、ちょうど山手線がゴトゴトと走っているのもまた良い雰囲気。