je suis dans la vie

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「哀しい予感」@本多劇場

よしもとばななさんの名作を塚本監督が舞台化。
聞いたときは、なんだかミスマッチ?のような気もしたけど、美意識のありかたや、刹那のカタルシス、そして何よりホラーな感じが共通してるのかも。
とにかく、原作が好きなので見に行った。
とても、丁寧なつくり。あまりに丁寧で、長い。しかし、舞台のあらゆるところにその丁寧な気持ちが現れていて、塚本さんはほんとうに、ほんとう〜にこの作品が大好きなのだなあと感じた。
役者さんは、どちらかというと映像の印象のある人ばかりだが、これはこれで効を奏したように思う。ゆきのおばさんのおうちのセットは、上部に切り絵のようになった蔦の幕があり、まるで額縁のようだった。その絵の中を、美しい人たちが動く。ひとつひとつの動作も丁寧で、指先の動きまで見えてしまうようだった。一番うしろの席だったが、映像が立体にうつしかえられたような感覚になった。
繊細で、哀しくて、やさしい物語がゆっくりと語られていく。登場人物の誰もが、誰かを思いやってやまない。
軸となる弥生(この名前の響きも美しい!)の気持ちに沿いながら、弥生にみなが優しくからんでゆく。からまらない程度に、離れないように。弥生もその気持ちの蔦をそっと撫でて、切れないようにしている。
音楽が、本当に素晴らしかった。ピアノのあの弦をピーンと弾いた音が耳の奥でいつまでも残る。高低が同時に鳴る。シンプルで、多すぎない音楽。
ばななさんのお話は、いつも悲しい。仕方ないほどに悲しい。けれど、それを乱暴に扱わず、なんとかして死に物狂いで、でも静かにすくいあげようとしている。
私は、もう一人の私の大好きな作家を思い出さずにはいられない。その人は、ばななさんと親交はなかったそうだが、ばななさんは共通の友人も多く、共感をしていたという。作家の仕事とは、自分や人の逃れられないものを見つめてこれでもかと見つめて、なんとか文章という形で世に送り出すものかもしれない。それがつらく、果てしなくつらい旅だということを、この人は知っている。そして、塚本さんも。

難をいえば、舞台装置の転換がたいへんだったのだろう、裏での作業の音がかなり聞こえた。
けれど、それにゆれない役者の存在感、長台詞やいいづらい台詞をきちんと丁寧に声に出してるおかげで集中はとぎれなかった。多少、台詞のトチリはあったが、きちんと言い直してたり、言葉を本当に大事にしているなあと思う。
加瀬君の弟役はほんとうに素晴らしい。あの決めの台詞は、もとはばななさんからの産物だけれど、声にしている加瀬くんを素晴らしい!と思って泣いてしまった。
映画でなく、舞台でこれを見れてよかったかも。