je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「やけたトタン屋根の上の猫」@新国立劇場


今回の帰国はほとんどこのためです…。だって、北村有起哉くんの舞台、2004年の「ハロー・アンド・グッドバイ」から、ほぼ全部見てるんだもの(一日ゲスト出演は除く)。映像作品は結構見逃してるのですが、舞台役者としての北村君は、私の中で欠かせない存在っす。
しかも、テネシー・ウイリアムズの名作。北村君がテネシー姉さんの作品をやるのは、「欲望というの名の電車」と2作目。今作はテネシー姉さんのセクシャリティも描かれているようだし、これは見なくては〜。
北村君は親友の自死にショックを受けてアル中になった大富豪の息子で、自分のセクシャリティに悩むマッチョ青年・ブリック役。そんな夫に嫌がられながらも、慕い続け、子供ができない事を兄嫁にいじめられながら、ジリジリとした日々を過ごす妻・マギーに寺島しのぶさん。
ファーストシーン、寺島さんがひたすら喋りつづける。こういうガッと引きつける、舞台役者としての勘は寺島さんはさすがだなあ〜と感心していると、客席の視線はいくらか上手よりに…。なんかシャワーの音がする〜。どうやら、ブリックがシャワーを浴びているらしい…。そして北村君は裸らしい…。らしい、というのは、私の席は1列目ど真ん中という好位置に関わらず、セットの鏡台でちょうどバスルームが見えないのだった…。くう〜〜〜!まあ、いいんだけどね…、裸を見に来たわけじゃないの、北村君の演技を見に来たの…。でもファンクラブで取ったのに、見えないってどうよ、と少し思ったけど。北村君は体を鍛えたそうなので、このシーンのためもあったのでしょう。ブリックはフットボールの花形選手という設定だし。
まあそんな私のささやかながっかりも、1幕目の寺島さんの台詞の応酬に吹っ飛びました。とにかくマギーが喋り倒す1幕。その内容が、今の生活に対する不満であり、つまらないもの。しかしその根底に、ブリックに関する秘密が隠されており、見え隠れする。その辺を飽きさせず、マギーに集中させる。そして決して一人語りにならない、ブリックが(北村君が)そこにいるということを忘れず、ブリックに言葉を投げる。ストレートであったり、カーブであったり、スローボールであったり。
寺島さんは好きでも嫌いでもないのだけど、舞台を中心に活動している彼女の力量は、才能というよりは、長いこと板の上に住む人間が培ったそれであり、それを才能と呼ぶなら、彼女はどのように板の上で動き生きるか術を体得している。それができないヘボ役者(サガラさん語録!)のなんと多い事よ、と気付かせる。彼女という役者について、好き嫌いの分かれるところは多いのは納得できる。しかし、脱ぎっぷりの良さも含めて、役者なんて体張ってなんぼよ、という潔さに参りましたと思うこと多く。スタイルも綺麗だし、体の線がお客様にどう見えているか、それが美しく見えるだけでなく、美しくなく見せる必要がある時の体の位置、それを難なくやって見せる。
と、寺島さん絶賛してしまいましたが、北村君はもちろん良かったです。
まだ30そこそこの頃の北村君は、ないーふみたいにとがっては〜♪みたいな、触れば切れるような滑らかな刃のような演技だったのだけど、あの頃の爆発力が今は形を変えて、抑える演技、抑揚のある演技が板についてきた。バネのような軽やかさがある。
若くしてアル中、しかもゲイの疑いありで悩み。生きること、欲望そのものを嫌悪し、廃人のようなブリック。それをそのまま演じる事はたやすいが、ブリックが昔は好青年で、スポーツマン・マッチョで、誰からも愛されるような不思議な魅力を持ち、それを今もなお漂わせていなければならない。他の登場人物の台詞で語られるそんなブリックの様を、台詞が他の人に比べてはそれほどは多くない(というより自らを語りたがらないブリックという)キャラ上、北村君はひたすら抑え、抑え…。
それによって、生きる事に貪欲で、意地汚い他の登場人物たちが余計に引き立つ。貧しい育ちゆえ、破たんした結婚生活にひたすらしがみつくマギー。富を築き、家族に囲まれながらも、まだ自分は幸せでないと豪語する父親・ビッグダディ。財産を狙う、長兄とその嫁…。立ち聞きしたり、覗き見したり、嫌味のオンパレード(これがほんとアイタタタタ〜)。まるで渡鬼のよなドラマではありますが。
ブリックのセクシャリティの問題、親友の自殺、というセンチメンタルな悩みも、この家族の欲望の前ではささいなことになってしまうのですが。
大昔にリズ・テイラーの出た映画版を昔見たけど、なんでブリックが悩んでのか、全然分からなかった。でも、それはゲイ問題をさりげなーく隠していたからだと後で知り、本来の戯曲ならばその辺もしっかり描いてるのかなと思ったら、そんなにゲイ問題はクローズアップされてなかった。ただ、それは戯曲としてのバランスとしてはいいものになっていたと思う。ゲイであるか否かというだけでなく、男尊女卑の根強く残る閉鎖的な地域性や、時代性であったこと。そしてブリックが必死に否定し、隠したいという精神的な背景をより照らし、そして物語全体のある種のミステリー性も担う。
今回、新訳で、芝居を作りながら訳を変えたりしたというのもあったそうで、笑える個所もあったり、日本語として聞いていても不自然は少なかった。
家族の物語としても見れるし、テネシー姉さんの若い頃の苦悩の物語としても受け取れたり。
2幕での父親役の木場勝己さんと北村君のからみは、1幕の寺島さんのと同じくらい、すごいガチンコで良かった。木場さんが、大富豪ででも満たされない何かがあり、息子に自分の人生を吐露する場面は、優しさに溢れて、そして理解してほしいがおそらくはしてくれない息子にあきらめてる様が切なくて。
今回、実はハプニングがあり、その父と息子の会話がヒートアップして、ブリックが倒れた時、グラスが割れたのです。んで、なんやら血が。木場さんが胸ポケットのハンカチーフをささっと北村君の指に巻くと、その白いチーフが赤く染まっていく。うーん…もしかして演出…?だよね?だよね〜?とドキドキ見てたんですが、ブリックが感情マックスになった時、北村君の顔が興奮で赤くなって、なんかもう具合悪そうな感じだったんだよねー。台詞をかみこそしなかったけど、もう血圧上がりすぎてつらいみたいな。そしてその後、なんか顔真っ青になってるし…。もしかしてマジで怪我したんじゃね?と。
でも、木場さんの手当の仕方は演出だろうなーっつーくらいスムーズだったし。
後日、北村君のブログで、ほんとに怪我したのだと分かって、やっぱな〜、と。縫ったらしいですが、ひー良く演じ切ったよ…。まさかの楽日に大ハプニング。しかし、演じ切った北村君もですが、木場さんのフォローはほんとすごかった。時々、台詞の合間に「大丈夫か?」って手を見つめて言てたのですが、それも今となっては素で言ってたわけで…。父と息子のシーンがさらに切ないものになっていたという。
北村君は今回、足を骨折したという設定だったので、ギプスを片足にはめているので、よくコケるシーンが多かっただけに、ほんと大変だったんだろうなあ〜と。ギプスは体のバランスを悪くしないように、毎日はめる足を変えていたそうですが、それでも大変だと思うし。実際、足に青タンけっこうできてたんで、まったくこの人も体張る人だよな〜。
ちょうど、エビぞーが板の上以外で怪我して騒いでいたまっただ中だったので、エビぞー見習えや!とちょっぴり思いましたが。まあ、北村君もお酒好きなので、舞台以外でも怪我しないように、いや、舞台で怪我してもいいということでなくて。
そんなおなかいっぱい〜な舞台でしたが、大好きな松井るみさんの美術だったし、今評判の高い松本祐子さんの演出も良かったし、翻訳も面白かったので、「悲劇喜劇」12月号に掲載された戯曲もじっくり読んで、反芻したい。テネシー姉の舞台で、これほどすがすがしく見れたのは初めてですし。
夜は新宿の韓国料理屋「てじまうる」で女子会。ヘボ役者の定義について学び、何故か某劇団のありえなさについて盛り上がるという。面白かった&美味しかった〜。
お米&麺ありがとうございます〜。おいしく食べてます!