je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「ダム・ウエイター」(Bバージョン)

迷い道にはまり込んでしまったような浮遊感。二人きりの舞台の上に、虫が一匹、どこからか飛んできた。そんな出来事さえもあらかじめ決められていたかのよう。
途中でオチは読めてしまったが、話はシュールで、最初から最後まで不思議世界にどっぷり。途中から、劇場に囚われたまま出られないような気がしてきた。劇場は小さな箱で、誰かが役者二人を上から大きな見えない手で操っている。鈴木勝秀さんのお芝居はkaiさんとの縁あって見始めたが、今回ほどその「見えない手」を感じたことはない。短編で、二人芝居で、いろいろ調理が変えられそうな芝居というのも大きいけれど、シアタートラムという劇場は普段は見えないものが見えそうな気がする。演出家がこの劇場を支配しているのか、劇場が演出家を閉じ込めてしまったのか、見えない手は本当に演出家なのか―。騙されているような不安と、騙されたままでいたい恍惚。箱の中にはまた箱があって、いつまでも終わらない。
ポール・オースターの「幽霊たち」や、タランティーノの「レザボア・ドッグス」を思い出した。色も音もよく使っているのだけど、イメージは白と黒の沈黙に支配される世界。
役者さんについては、カッツミーの役者力にちょいとびっくり。いや、うまい人だとは思っていたけど、TVのイメージが強くて舞台の呼吸を想像できなかった。髪の毛は切って正解。前の髪だとあの役は確かに合わない。切るの悩んだんだろうなあ。浅野さんは相変わらず立ち姿が美しい・・・、うっとり。きっと、足首とか手首とか骨ばっていてしなやかなんだろうな〜。嗚呼、肩のラインが芸術的、ツータックのスラックスが滑らかなドレープを形作る。腰細〜い。キュウッと後ろから抱き付いてみたいわ。な〜んて見とれていると、台詞を聞き逃してしまう。カッツミーのちょっとオマヌケで大仰なキャラに比べ、浅野さんは終始おさえ気味。低い波で強弱をつけるってすごい。二人の声の出し方・話し方も、きっちりしていて聞き取りやすい。どっちがDumbといえば、カッツミーなんだけど、浅野さんも倦怠感を漂わせ、操られ度高め。渋かった、かっこよかった。
Dumbの意味には「無口、無音」っていうのもあるのだが、後で意味付けしたくなる。むずがゆいなあ。こうなるとAも見ないといけないかのう。美術の全部ビニールっていうのも面白かった。パリパリした音がさらに不安感をあおる。ベッドが小さいのが気になった。半身をおこしてちょうどいい長さ。
劇場を出ても三茶の街で、くねった道をさまよってしまった。まだ見えない手が追いかけてくるようで(実際はただの方向音痴)。