je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

『ヘンリー八世』さいたま芸術劇場

久しぶりのさい芸でシェイクスピア

ネタバレありの感想です。

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ヘンリー八世はシェイクスピアの晩年の戯曲とも言われ、そして共作。

地味であまり上演されたことがない作品ということで、先に原作読んでから見ました。

エリザベス一世の父で、6人の王妃をとっかえひっかえ、横暴で決して賢王とは言い難いが王様らしい王様。今作では1人目の王妃キャサリンと離婚し2人目の妻アン・ブリンがエリザベスを生むあたりの物語。

とはいってもタイトルロールのヘンリーも、2人の王妃もそんなに出番がなく。もう1人の主役ともいえる枢機卿ウルジーが肝となる芝居。

 

最初の阿部寛さん演じるヘンリー王が、女とベッドの上でからみあうシーンから始まるのはなかなか面白い演出。阿部寛の半裸、その大きな筋肉の美しさと強さをバーンと見せ、女3人と絡むというヘンリー八世の男としての生臭さも一瞬で理解させる。そして何故か赤ん坊の泣き声の幻聴でおののく姿で、その後に描かれる「息子=跡取り)へのプレッシャーも示唆している。

阿部寛さんは長い芝居でそんなに出てこないのだけど、背は高いし遠目でも分かる日本人離れした彫りの深い顔立ちはこれまた一瞬で王の存在感を感じさせる。モデル出身ということもあるのか、所作の華やかさは王の血筋の上品さを表現するのにぴったりだった。

原作を読んだ時に阿部さんではちょっと甘すぎないかな?と思っていた。あとドラマの変人男のイメージが強すぎて、暗い印象にならないだろうかとも。

しかし姿も声もすべてハマってました。

 

王を操る野心家の枢機卿ウルジー役は吉田鋼太郎さん。きっと濃いいウルジーなんでしょうねと思ったら、もうお腹いっぱいです…というくらいしつっこいウルジー

しつこすぎてその演出はいらなくね?という所もちらほら。

キャサリン妃との絡みはキャサリンがウルジーへの嫌悪感を表して、もっと2人の対峙を強調した方がいいのでは。肩と腰を抱き耳元で妃を口説く様は吉田さんの見せ場を増やす効果はあったけど、せっかく宮本裕子さんが清廉潔白で誇り高い悲劇の王妃を好演してたのにもったいない。あそこでウルジーの甘言に一瞬でも惑わされたら、王に離婚される理由に対して最後まで抗い自分の貞潔を示し続けた女性像が揺らいでしまわないか。

まあその部分を差し引いても宮本さんのキャサリンはその人柄や運命に翻弄され破滅させられる様を、少ない出番の中で自然と表現してました。だからこそ吉田ウルジーの暴走もありになったのかなと。

谷田さんのバッキンガム公も最初に処刑されちゃうので出番少ないけど、ウルジーの悪事の始まりを象徴する役をしっかり演じてた。ここでの照明による十字架使い方も、後々のキャサリンとウルジーの死の時にも効果的に使われるので、谷田さんの最初のとこは結構大事。

 

十字架といえば王とキャサリンの離婚、そしてアン・ブリンと再婚するために「カソリックは離婚できないから新しい宗教をつくる」のくだりは観客にどこまで伝わってだのだろう。それが分からなくても面白くはなってるんだけど。

 

ウルジーが男色家でクロムウェルと同衾してるとこがオープニングの対比になってたり、悪事を暴かれ破滅していく様を洋服を脱がされていく演出で表すのは面白い。クロムウェル役の鈴木さんは外連味を出しすぎず、ウルジーに仕え支える役を好演。

ヘンリー八世の阿部さんも出番が多くはないのに、ウルジーとの対比があってその存在がさらに光を増してて良かったとは思う。

でもそれでも、もう少し引き算のウルジーでも良かったのでは。

今は吉田さんあってのさい芸なんだなーと認識はしたんですけど。

 

なんというか、吉田さんのシェイクスピアは肉体のシェイクスピアなのかな、と。そこはやはり役者が演出をしてるからなのか。難しい話だからこそ肉体を全面に出してしまうと肉体に逃げてしまう感じがして。俯瞰で見てる感じがしないんですよね。それぞれが役に没入してるけれど、芝居を操る傀儡師が不在というか。演出家が出演もするという芝居はいくつもあるし、それとはまた違う感覚。違和感とも違って、トゥーマッチなところを楽しめない自分の問題だとは思います。

 

理由ははっきりしてて、蜷川さんのシェイクスピアと違うということにまだしっくりきてない自分の問題。蜷川さんの芝居に出る吉田さんも大好きだったし、その演技がどうこうではなく。

 

蜷川さんは役者ではないので、それぞれの役者のやり方演じ方を見てたのかなと。それをひとつひとつのピースとして、芝居にはめ込んでいってたように思います。

吉田さんはご自身が演技されるので独自の演技メソッドがあり、どうしてもそれにつられてしまう役者さんがちらほらいました。話し方や振る舞いかが似てきてしまう。それがない俳優さんの方が落ち着いて見られたので、その点はもしかしたら役者さんの問題ではあるんですが。

 

吉田さんと蜷川さんは違う、それはとても良いことなんだと思います。蜷川さんにはハムレットの父親みたいにさい芸に取り憑いて離れない怨霊にはなってほしくないですから(それはそれで楽しそう!)。

 

もちろん解釈もしっかりされてるし、なるほどと思う演出も多くあってたいへん面白かったです。オープニング、一幕終わりのウルジークロムウェルの同衾、殺される3人の最期の姿、最後にその3人を象徴的に出したりとか。音楽や踊りもうまく取り入れて。

音楽は特に印象的。今回さい芸で演奏してたサミエルさんを吉田さんがスカウトしたとのこと。オリジナル曲を生演奏で、というのは臨場感もさることながら、長い芝居の隙間を埋める役割になってました。

 

ちょうどガレリアで過去の作品からの英国王室の権力の移り変わりの展示をしてて面白かった。つーてもこれ見てもややこしさは変わらない。

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先日「メアリ・スチュアート」見たので、今回はメアリの大おじさんでありエリザベスのお父ちゃんの話だったので関連づけて見られたので少しお勉強になりました。

イギリス人にとっては大河ドラマみたいなもんなんですかね。

 

そういえば見落としたんだろうけど、パンフに「ウルジーの失脚の理由」を自身の不注意という原作から変えたそうなんですがあれなんだったのかしら。