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ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「「ザ・ダイバー」日本バージョン@東京芸術劇場小ホール

野田秀樹芸術監督就任記念プログラム。芸術劇場久々だわーと思ったら、なんかちょっとこぎれいになってるような。お店とか増えてたような。
野田さんの写真が素敵です。

(以下ネタバレありますので、ご注意ください)
能楽の「海人」と「源氏物語」を、現実に起きた事件とからめて展開していく物語。
出演者は4人。不倫相手の子供を殺した加害者の女。その精神鑑定をする精神科医、刑事、検察官の男3人。女は自分が誰だか分かっておらず、精神科医にかかるたびに、架空の人物を名乗って事件を語っていく。女の深い心に潜っていく精神科医、立件したい刑事と検察官。
大竹しのぶさんが、次々に人格が変わっていく女を恐ろしく見せる。もう演じてる、という次元は超えていた。イタコっていうか、憑依現象を目の前で見ちゃったような感じ。よく役者で「乗り移り」タイプの人っているけど、あれは基本的に「役者の業」があるから、すごいなーと感動する事はあるけど、今回はもう見ちゃいけんものを見たかもっていう感じで、本当に恐怖で鳥肌たちました。
野田さんは精神科医の役と不倫相手の妻、あと女が次々に憑依していく時の子供だったり。大竹さんもすごいけど、野田さんも振り幅やはり大きい。精神科医の役がメインなので、女の夢に寄り添う、こちらこそが役割的にはイタコのような立場で、時おり大竹さんとシンクロする錯覚に陥ってまるで双子のようだった。そういや野田さんって、「半神」もだけど、この前の「パイパー」とか、双子/シンクロをイメージさせる。不倫相手の妻役とかそれに重なる葵の上の役とか女らしいんだけど、あまりドロドロした感じも受けない。むしろ中性的、そして年齢不詳。だからこそあの台詞がくっきり言葉として受け取られる。これが他の女優さんだったら、もっと不快感や別の俗な感情でしか受け取れない。
大竹さんも女女してる役のはずなのに、中性的で年齢不詳。そして人間ですらない感じもある。いっけいさんがボタボタ汗が落ちるのが見えるくらいびっしょりで、そこで舞台の熱に気づいて他の二人の男性を見たらいっけいさんほどでないにせよ、額に汗してるのに、大竹さんだけ汗かいてない。。。一番動いてて出てるのに。蛍光灯の明かりにぼんやり顔が青白く浮かんで。
渡辺いっけいさんは刑事役と頭中将。一番アドリブが多かった&面白かった。いや、そりゃ暑苦しいって言われちゃうよね。。。満点ガールのシーンで、ポーンと下から飛び出てくる扇子を何度もキャッチするとこがあって、「ナイスキャッチ!」と思ってたら、「アンケートに『受け取るとこだけ顔が素ですね』って書かれた!」って思わずポロリと言っていた。そして、はね飛びすぎて、テレビを模した組んだ椅子を倒しちゃって、その時も「あ!」って顔で、あそこも素でしたね、いっけいさん(アンケートに書いちゃえばよかった)。そしてその倒れた椅子(テレビ)を、ささっと直してまったく動じない大竹さん。
そういや頭中将って、源氏の公私にわたるライバルで夕顔の生んだ子供の父親で、葵の上の兄なんだよね。確か。でも、いっけいさんって玉鬘を無理矢理嫁にする髭黒の方がイメージなんですけど。あんまり頭中将である必要のとこってあったっけ。
いっけいさんは刑事のシーンが多いんだけど、実はこの人が一番正しい事言ってるんじゃねーか?と実際の事件を考えると思ってしまう。でも、そこが正義だけで計れなかったあの事件の不可解さなんだなあ。芝居では死刑になるけれど、実際は無期懲役で、放火殺人で死刑でないというのは酌量があったから?だから刑事の正義感(決して絵空事の美しい言葉でなく、もっと生々しい)を野田さんはデフォルメしたのか。芝居で死刑にしたのは、おそらくは物語の流れ上、「成仏」や「救済」がキーワードになっていくのでそうしたのか。
実際の事件を知っていると、バイアスがかかってしまう部分も大きいのを分かっていながら、今回はいろいろ読んできてしまった。ので、実は見る前から気が重かった。でも、あまりにきっちり事件の筋を描いていたので(あくまで世間が認識している情報だけではあるけど)、あの話は骨組みがメインなんだなと。あの恐ろしい台詞も、実際に言ったかどうかは不明(言った本人は否定している)なのだが、創作上重要なので取り入れているのか。そして、実際の事件と微妙にディティールを変えてきているのも、受け手側にフィクションとノンフィクションの境をぼやけさせるためだったのか(実際はライターでなくスニーカー、灯油でなくガソリン、女は文系でなく理系大卒、二人が結ばれたのはホテルでなく女の部屋、等々)、などなどあまり正しい見方ではないですが、その辺も含めて考えてみたり。
そうそう、kai嬢の日記読んでなかったら気づかなかったであろう「シャブ」のシーン。ああ、ここかー!と思いました。この事件をいろいろ調べていて、なんかの◯Pの事件に似てるなーと思っていた。男は追いつめられて白状し、女は追いつめられて凶行(殺人と逃亡と差はあるにせよ)に及び、捕まってなお矛盾した証言を繰り返し、原因は男だと言い張る。そして、世間からの焦点のずれた注目。犯罪そのものではなく、その犯罪に至るまでの経緯と母性についてばかり取り上げられるさま。あんまり広げすぎてもなんですが、芥川の「薮の中」もちょっと思い出した。情報は情報でしか無く、事実はどんどん遠のいて、加害者も被害者もおいてけぼりにしていく。
北村有起哉くんは検察官と女の不倫相手、源氏の君など。この実際の事件でも、男が悪いという説が多いんだけど、私は源氏の方がむかついたわー!(だいたい源氏物語自体腹立つ話で、昔何度も「あさきゆめみし」を床に叩き付けたくなったことか)ああ、でもこういう男っているんだね。私はツンデレな葵の上が割と好きで、六条御息所も賢い人なのにかわいそーだー!ってずっと思ってたので、事件と源氏の話を重ねてきたのはものすごくビンゴだった。女心が分かりすぎるよ野田さん。
北村君、今回はのびのびやっていたように思う。最近、大きいカンパニーだと、ちょっと手足がのばしきれてないと思う時がたまにあって、このくらいのハコでこのくらいの人数で、これだけのレベルの人たち共演だとはまるのかな。悪役でもなく、軽薄薄情な男がさまになっていました。大竹さんにかわいくチュッてするシーンがまた腹立つし。北村君がいやになりそうでしたわ。
1時間半ほどの舞台なのですが、実際の事件は知らなくても、かなり細かく描いていたので筋は追える。むしろ知らない方が、腑に落ちる、ともいえる。
ただ、「源氏物語」についてはある程度素養がないとつらいかも。六条御息所と葵の上の牛車の争いのシーンとかは源氏の中でも「正妻VS愛人」の象徴的シーンであること、御息所が取り付いてしまうとこ、そしてそれに苦しんだ事とか。そして源氏ってそもそも何者?とか。帰ってから旦那にちらっと舞台の話をしたら、そもそも源氏物語を一切分かってなかったので、そういう人もいるであろう。
「海人」の話だけ分かってなかったので、ここが肝なんだと終わった後にやっと少し分かってきた。海人の話は言葉でなく動きで語られるので、集中力がいった。英語バージョンの方がおそらく母国語でない分、動きに対して敏感に反応できたのであろう。日本語だとどうしても言葉に頼りがちになるのだと改めて気づく。野田さんが英語バージョンで作った要素がここでかいま見れた。もし最初から日本語だったら、このシーンはもっと違っていたのではと思う。
ちょうど日曜までの展示も見れてよかった。遊眠社のポスターとかこんなんだったんだー!三菱自動車が協賛してて、広告に「遊眠車」ってあって、このころは景気が良かったんだねとか思う。私、確かシアターアプルの「半神」を中学生くらいの時に見に行ってるのですが、まったく記憶がない。あーもったいない。野田さんと円城寺さん?かな、が双子でシーツみたいな衣装でぐるぐるまきにつながっていて「ぎゃー!」ってくるくる回りながら走っていたシーンは覚えています(なんだそれ)。パンフの写真とか、野田さんがさすがに若いー細いー。そして台本手書きだ〜!字がきれいですのう。あれって罫線なかったけど、印刷前は罫線があるのかな?それとも下敷き形式?