je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「ザ・キャラクター」@東京芸術劇場

この芝居をやってる頃に帰国するのは分かっていたのだけど、いかんせんおーもりくんの舞台のチケットが取れてなかったので、他の芝居のチケットを取るのを躊躇してた。だって、当日券がいつ取れるか分からないし。なので、これ行きたかったんだけど、我慢して記憶の隅に追いやってた。
でも、当日券で行けたら行こう!と。で、おーもりくんの舞台が無事見れたので、当日券の列に並び、こちらも無事見れました〜。あ〜よかった。
しかし重かった。
1995年3月20日に起こったあの事件。それを再現ドラマ化したりは多いけれど、モチーフにして戯曲にするのは本当に難しいだろうし、何よりつらい。日本に、特に東京にいた人たちは、心のどこかでまた同じことが起こるのではないかとビクビクしている。そこには絶望しかないし、悲しいかな諦めも混じっている。今、この芝居の事を思い出すだけで、胸が苦しくなり、涙が押し出されそうにすらなる。
宮沢りえちゃん演じるマドロミ。すべての事柄の目撃者で、あらゆる出来事を終始見つめて受け止め続ける。彼女の持つ妖精性とでもいうか、ジェンダーや国籍を超え、生身の肉体のなまなましさのない存在感が、この戯曲を最後まで引っ張っていっている。観客と同じ目線で、時には提示し、代弁し、登場人物のすべてをからだ全体で受け止め、私たちと同じように傷ついていく。見ているしかない。止めることもできない。りえちゃんの慟哭は、演技を超えて、やはりこの国であの事件を知っている人々が感じる共通のものでああった。
りえちゃんは「パイパー」の時もだけど、声がつぶれてあのキュートなボイスが聞けなくて残念。喉弱いのかな〜。「パイパー」の時は冬だったから仕方ないかなと思ったけど。野田さんのは長丁場だし台詞も多いから、なんとかならんかのう。
家元役の古田新太さんが、もうこの人しかいないでしょというハマりっぷり。野田さん直々のオファーだそうで、確かに他にあの役できる人いないよね。意味不明で、人をナメた軽々しくおぞましい言葉。ニヤニヤとあの笑顔で吐かれると、ムカつくのを通り越して、気持ち悪いのと恐ろしいのと同時に来る。そう、あの教祖をTVで見た時と同じ感情。最後の方で、冷蔵庫を開けると出てくる家元。吐き気すらした。
会計役の藤井さん、前から演技うまいな〜と思ってたけど、いいね舞台映えする。舞台は360度見られてるということや、NODA MAPの大所帯での立ち回りの勘がいいし、橋爪さんとのからみもいい。
古神役の橋爪さんは前回の「パイパー」からの参加なのに、もうずいぶん前から野田さんとやっているような古株モード。年を重ねた役者さんは重厚さのある人もいるけど、この人はほどよくそぎ落とされて、ほどよく肉付きをして、ほどよくやわらかい。鍛えまくってできたものじゃなくて、日々淡々と無理せずほどほどに重ねた演技という名の筋肉と贅肉。
田中哲司さんも銀粉蝶さんも池内博之くんも美波ちゃんも、もう誰が欠けても成り立たない素晴らしいカンパニー。野田さんの舞台は長いこと一緒にやってきた人たちの集まりのような錯覚を起こさせる。
その中で、アポローン役のチョウソンハくん、良かった。彼の声は特徴があって、それだけでどこにいるか分かるんだけど、動きがとにかくいい。動いてる最中は、足が地に着いてる時間が少ないのではと思ってしまう。妖精パックみたいといつも思ってたんだけど、演じたことあるんだ。納得。
最後に傘を突き刺すシーン、チョウソンハくんばかり見てしまった。あのシーンは、劇場中が息をつめて、誰もが止めて欲しいと、起こらないでほしいと願ったはず。そんなはずはなく、もう起こってしまったのだけれど。それでも。
黒田育世さんの振り付けも美しく、戯曲の世界のおどろどろしさや群舞の妙を見せられた。後日見た映画「告白」ですごい存在感だったので、ご本人に出演もしてほしいな〜。奥秀太郎さんの映像も、今回特にはまってた。あの事件の時、みなひたすらテレビを見ていたはずなので、フラッシュバックしたと思う。
個人的な話だが、あの日、私の父は事件のすぐそばにいた。築地の国立がんセンター、そこが父の職場だった。私はその日、何故か家にいて(仕事が休みだったのか、午後出勤とかだったのか覚えてない)、朝起きてTVをつけたら築地駅が映っていた。事情をのみこめないまま、父の職場に電話をした。直通の回線だったので、すぐにつながった。はたして父はそこにいて、「なんか用か?」と仕事中に電話をしてきた迷惑な娘に不機嫌そうに返事をした。私はその時分かる限りの情報を言ったが、父は病院棟とは別の研究棟にいて、しかも仕事中でTVも見ていなかったので騒ぎに気付かなかったらしい。父は、築地駅をずいぶん前から利用しておらず、新富町駅から歩いて職場に行っていたのだ。
だからといって、私たち家族が無関係というわけではない。私の実家は事件のあった地域からそれほど離れていなかったので、近所で軽症ながらも被害にあった人が多くいた。若くして老眼になってしまった知人もいる。なんかしらあった。それが「実はね」という秘密を明かす重さでなく、「あーあたし老眼なんだ〜」となんでもないことのようにサラリと話せるくらい、あの事件は身近だった。
恐ろしいのは、時間が経った今でさえ、この事件がまだまったくもって真新しいままだということ。そのことに気付いたのは、芝居の中でイケメンを表現するセリフで「水嶋ヒロ」という単語が出てきた時。1995年なら、おそらくイケメンの代名詞は圧倒的に「キムタク」のはずだ。つまりこの芝居は「今」なのだ、現代なのだ。それが不自然でないことに気付いてゾッとした。
ところで、kai嬢に「音が悪い!」と聞いていたので、覚悟していきましたが、確かに野田さんが得意とするセリフの多い群像劇には合わない劇場環境だ…。私は立ち見で1階の一番後ろで、立っている分の高さのせいか、まだ音が受け止めやすい位置だったっと思うけど、座ってたら多分ダメだっただろうなあ。観客のヒソヒソ声や笑い声まで散るんだもん。母に聞いたら、そもそも演出家や演劇の現場の人にリサーチしてないで前々知事が作っちゃったらしい。できたばかりの時は面白い建築だなあと思ったけど、確かにあんまり機能的じゃないんだよね…。外からも中からも行きづらかったし。最近地下道・地下街がきれいになったので行きやすくなったけど。その辺はパンフで野田さんも気にしているようなので、せっかくですからババーンと良くしてほしい。