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ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

配信観劇その④ “Cyprus Avenue(サイプラス・アヴェニュー)” (Royal Court Theatre, 2016)

ロイヤル・コート劇場の“Cyprus Avenue(サイプラス・アヴェニュー)“の配信観劇。18禁のなかなか過激な芝居。

(5/31まで配信延長されています。)

CYPRUS AVENUE by David Ireland

ヴァイオレンス描写があるのと政治的な要素が大きいのでその辺を理解してないと難しい。単語や人名、団体名など調べながら見るのは実際の観劇ではできないが、今回は数回やりました。英語自体はそんなに難しくはない。

マーティン・マクドナー好きな人は好きかも(つまり私は好きな芝居でした)。

 

内容については少しネタバレがありますが、ラストについては触れていません。

 

北アイルランドベルファスト出身の男性エリック・ミラー(スティーブン・レイ)がカウンセリングへ行く場面から始まる。黒人女性のカウンセラーに戸惑い、「俺は差別主義者じゃないよ〜」と前置きしながら彼女に失礼な発言を繰り返す。女で黒人なのにカウンセラーであることを不思議がったり、カウンセラーはイギリス生まれのイギリス人なのだが、どうしてもそれを認められずアフリカへの偏見を口にしたり。

そもそもカウンセリングに来たのは、娘が産んだ孫がジェリー・アダムズ(IRAの政治組織シン・フェイン党首・過激なナショナリスト)に似てると言い出し、妻に家を追い出されたためらしい。

エリックはアイルランド人だが、イギリス寄りのプロテスタントなので、アイルランド保守派のジェリー・アダムズを敵視している。

それ以外にも人種差別、女性差別や古臭い偏見ばかりで(偏見に古臭いも新しいもないとは思うが)、そもそもの家族への敬意なども恐ろしいほど欠けている。なんとなく自分も「偏見」は悪いこととだとは思ってはいる。が、無意識に積み重なって身についてしまった、特にたちの悪い偏見なのだ。

カウンセラーが「自分の子供に敬意はもてないのか?」という質問に「子供は何も成していないじゃないか。尊敬は何かを成した人間に示すものだ。例えばゲイリー・リネカー、生涯イエローカードをもらわなかったから」というように(サッカー詳しくないのでリネカーの名前を調べてしまった)。この辺は大爆笑だった。

あとトム・クルーズの悪口言いまくるところは無茶苦茶だと思ったけど笑ってしまった。

そんな感じで、前半中盤までは、エリックのブラックジョークの台詞から、彼がものすごい差別主義者であることが分かる。そしてだんだんと何故そうなったのか、カウンセラーとの会話によって暴かれていく。

これは価値観についての芝居なんだな、と見てしばらくしてから考えていた。

今回のコロナ禍の中で、自分もだが周辺の人の混乱ぶりが、個々の価値観をあらわにしていくのをはっきりと感じた。もちろん今回の事がなくても、人は非常事態にどのようにふるまうかで、根本的な価値観が見えてくる事は多い。

しかし今回ばかりは、だれもかれも今までの価値観をかなり見直さねばならない事はないのではないかと感じ始めている。

エリックは自分の価値観が、おそらくは今の時代に即していないのを薄々感じている。しかしどうしても変えることはできない。

スリムというテロリストが芝居の中盤から出てきて、彼を脅し、思想をあおる役割をする。実はスリムはエリックの過激な部分を表したもう一つの人格なので、そのままエリックの行動をエスカレートさせるのか、もしくは彼が自分の価値観を否定するための鍵になるのかと思って見ていた。

かくして惨劇は起こる。

後半、終盤はかなりヴァイオレンスでショッキングな表現なので、苦手な方にはまったくオススメはしない。

エリックがそこまで偏った価値観を変えられなかったのはそれなりに理由があるのだというのは、台詞の積み重ねの中に、アイルランドの歴史に不勉強な私でもよく分かった。アルスター義勇軍(UVF)の壁画の映像が差し込まれたり、その歌が劇中で歌われたり、エリックがどのような歴史の中で生きてきたのか示している。

自分の中で信じていたもの、譲れないもの、というのは確かに存在する。

しかし本当にそれは正しいのか、ある視点から見たら真逆ではないのか。

近ごろそんな事を振り返りながら、なんとか前へ進もうとしている気がしてならない。

 

日本でやるなら長塚圭史演出で、主演は中村まことさんがいいな〜と思ったりしたが、テキストは面白いけど歴史的な部分をどう表現するのか難しいな。