je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

犬橇レースのようなパワフル演出〜演劇集団円『夏の夜の夢』吉祥寺シアター

スズカツ(suzukatz.)こと鈴木勝秀さん演出の夏夢。

f:id:star-s:20211107171827j:image

鈴木さんの演出はお友達の影響もあり、一時期よく見に行ってたのですが、こちらも久しぶり。円とは4回目のタッグということで、フリーの立場を貫く鈴木さんとしては相性が良いのでしょうか。そして意外にもシェイクスピアを演出するのは初めてとのこと。どんな演出となるのか?円は初めてでしたが、円熟した団体と演出家の芝居、委ねるような期待で劇場へ。

会場に入ると、照明の当たっていない薄暗闇の舞台の奥中心に大きな木の影。開演前から雫がポタリポタリと金属に当たって反響するような効果音が流れており、芝居の中に誘導されるような演出。コロナ禍で、会話の制限を求められた会場(とはいえ狭いので多少はざわめきもあり)にとても似合っていた。

客電が落ち、舞台に照明が当たると、木のセットは椅子を組み合わせたものだと分かる。セットはほぼ黒色なので逆光になると影絵のようになるので、このセットは面白い。

赤ずきんのような衣装のパックが出てきて、舞台下手前方にある小さな水たまりをしばし見下ろしている。

パックがフードをまくると、ジョーカーのような不敵で邪悪なメイクのパックがニヤリ。芝居が始まる。

夏夢は悪夢としての演出がよくあり、昨年のプルカレーテ演出の野田版が印象的だった。今回もセットの色や、開演前の雰囲気からその路線かな?と思って見始めたら、全体的にはそうではなかった。

とにかく俳優の発声がめちゃくちゃ良い。滑舌はっきりなのはもちろん、声がでかい!座席は200くらいなので、そこまで広い劇場ではないとしても、バチコンに声が通る。ベテランの舞台役者さんが多いというのもあるだろうけど、若い俳優さんもよく声が出ており、声枯れを起こしそうな発声でもなかったので感心した。そのせいなのか、若い恋人たちのシークエンスが若干棒読みっぽくにも聞こえてしまう。ただこれは演出なのだと思うが、四人の恋のドタバタ喜劇感が増幅されたし、ハーミアの空気読めなさ感と、ヘレナの超絶ネガティブ思考が面白おかしくなる効果があった。ライサンダーとディミトリアスも声の大きさで愛を競う感じが面白かった。

そして途中まで気づかなかったのだが、演出が全編「ソーシャルディスタンス」方式であった。触れ合わない、近づいて話さないので必然的に声は大きくなる。体の距離を埋めるかのように大声になる演出。しかし「コロナ禍だからいた仕方なく」というエクスキューズは感じさせない斬新さもあって良い。

セットも両脇に階段があり、二段構えになっており、手前のメインと奥も仕切られて、役者が縦横無尽に動くことで立体感ができ、距離をうまく使った演出となっている。衣装も凝っていて、妖精たちは鮮やかな赤、人間たちは白、ベージュ、黒を基調としたナチュラルカラー(偉い人が白で、階級が下がるにつれ黒っぽくなる?)というのも、コントラストがあることで、俳優たちの立場の見分けができ見やすかった。これもディスタンスがある故の弊害が埋められた。

俳優同士の距離があると、下手と上手に離れての会話など左右に首を振ってみることになり、そのうち「えーと今誰がなんの話してたっけ」とかなってしまうこともあるので、衣装で一瞬で見分けられるだけでも助かるのである。

全体演出としては至極真っ当で、台詞を大きく変えたり解釈を新たにしたりというのはなかったように思う。ヒポリタが最初は無表情でそっけなく、ディミートリアスとの結婚を命じられたハーミアを同情するように見つめ、しかし最後はシーシアスにかすかにだが笑顔も見せる様子の演出は良かった。ただ時間が足りないのか、あまりそこは大きくフィーチャーされない。ヒポリタ役の清水透湖さんは、丁寧に演じていて良かった。ヒポリタの背景(アマゾン国の女王で戦いに敗れた故の略奪婚)をきちんと拾っている演出。

ボトム役が金田明夫さんなのですが、なぜにボトム?と最初は思いました。劇団の看板、重鎮となればパックかオーベロンかシーシアスというところでしょう。パックは年齢的にということのようでしたが。オーベロンとシーシアスの出番とボトム役の出番がそこまで違うかな?と思ってたんですね。

まあそしたら、劇中劇である職人劇団の演出がぶっ飛んでるというか、振り切っており。金田さんのボトムが出てくるシーンはすべて全力疾走!最後の方の結婚式の出し物としての劇中劇は、これが本編です!くらいの勢いでした。歌舞伎の見得のような動き、ふらつくくらいの大きな演技、周りの職人たちも乗せられる。大根役者だったはずのシスビー役のフルートもいつの間にか本気の咆哮。拍手もカーテンコールより盛り上がったのでは…。帰ってから思わず戯曲のその部分読み直しちゃったもんね。劇中劇のセリフはいじってない。その代わり本来あるシーシアスの「つっこみ台詞」を削ることで、芝居のテンションをキープし盛り上げる。

職人劇団は下手くそのまま笑いを取るのがよくある演出だが、今回は金田明夫率いる演劇集団円としての芝居を見せられたような感じ。コロナ禍で舞台演劇は大変だった、けどまだこんなに力あるよ、劇場は生きてるし、舞台はあるよ!というメッセージのようだった。劇中劇が終わった後のフィロストレイトの「ブラボー!」というセリフも戯曲にはない。声の出せない客席の代弁をしてるかのよう。

ところでタイトルになぜ「犬橇レースのような演出」と書いたか(もうここまで読んでる人も多くはないと思うので、若干どーでもよくなってきたんですが)。スズカツ演出の中で、この劇中劇がなんとなく浮いてる感じがしたんですよ。金田さんをフィーチャーする上でこの演出はありだし、舞台演劇の力を魅せるという演出は良いとしても、最初の悪夢的ダークな演出からのつながりが少し弱い感じもして。

多分、円という団体で演出する上で金田明夫という俳優をどう見せるか?というのは演出家としては面白くもあり難しいかなとも思うのです。そこでボトムという役をパック以上に押し出してしまうのは思い切りがいったのでは。

で思い出したのが『動物のお医者さん』における犬橇レースのエピソード(コミックス7巻参照)。金田さんは「オレはやるぜオレはやるぜ」でおなじみの、ハイテンション・リーダー犬のシーザーっぽい、そしてスズカツさんは犬橇を操るマッシャー・ハムテルと重なりました。縦横無尽に走り、絶叫する役者たちに引っ張られ、しかしコントロールしまとめる様はまさに北海道の犬橇レース(すいません実際には見たことない)。

ドタバタ喜劇としての側面を大いに打ち出し、夢現の芝居のイメージも逸脱しないようバランスを取りつつ、観客との一体感を感じさせる効果があったように思います。(じゃあ誰がチョビなの、金田さんがシーザー?スズカツさんはハムテルというより漆原教授なのでは?とかいう話はさて置いておいてください。)

後でお友達に聞いたら、鈴木さんが芝居を志したのはピーター・ブルック演出の夏夢がきっかけだとか。ブルック版も全編見てないので、共通点があるかどうかははっきり分からないですが、今回は円と金田さんの特色を存分に打ち出した感じだったので、スズカツワールド全振りだとどんな感じなのかなと興味はあります。しみじみ夏夢はいつ見ても楽しい。

帰りに寄ったお店でなんとボトムがいました。まだ夢から醒めてないのかな?芝居の続きが楽しめてしまった。

f:id:star-s:20211107174139j:image

という感じで、演出もセットや衣装もとても楽しめたプロダクションなのでしたが、気になる点を2つ。

  • 下手前方の水たまり。結局最初にパックが印象的に覗き込む以外は他はほぼ使われず。微妙な位置にあるため、俳優がちょいちょい避けねばならず。特にヒポリタとティターニアはすその長いドレスなので、被りそうでそのたびに気になってしまう(水は入ってないだろうけど)。結局あれはなんの象徴だったのか(雫の音響のためかとは思うが)、それならば最後にもパックに水たまりを使った演出をするとか説明的なものがあっても良かったのでは。鈴木さんの演出らしいとは思うので、もったいない感じも。
  • 妖精の一人がふくよかな方だったのだが、最初の自己紹介的な歌のシーンで「四股を踏む」的な振り付けがありまして。うーん、それ必要?今どきありえないな、と笑えませんでした。五輪の開会式の色々を思い出したし。そのすぐ後でティターニアが同じ四股を踏む演出があって、それでよしとしてるんだったら余計ないな…。鈴木さんの演出じゃなくて劇団の雰囲気とかでやってるなら尚のこと。差別表現は人種や性差が問題視されがちだけど、ルッキズムや体格についての表現も考えていくところだと思う。本人が芸として落とし込んでたりする場合もありますが、見る側が不快だと表明するようになってきてるし。夏夢はハーミアの色黒と低身長をディスるセリフがあり見どころだったりもします。でもここは元々戯曲にあるし、そして今後はこういう表現もどういう風に演出で変えていくのかは大事だと思うので、わざわざ身体的特徴を醸す表現を付け足す必要はないのでは、と思いました。