je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「愛する人」「わたしを離さないで」@早稲田松竹

夏休みは私の見たい映画が軒並み終わってることが多いのですが、早稲田松竹などリバイバル映画館はいつも絶妙なセレクトで満足させてくれます。
この二本立てはまさに私のツボ。この手のどんより映画、大好物。わざわざ金を払ってまで何故どんよりしにいくのか、たまに不思議がられますが、メンタルが落ちてる時もそうでない時も、好みは変わらないので、ほんと根っから好きなんでしょーな。
-「愛する人
監督・脚本ロドリゴ・ガルシアですよー!キャー!って踊りだしたいくらい好きです。
ここ数年の自分の中のナンバーワン監督って言っても過言ではないかも。
ひとの心の痛いとこをよく分かってるんだけど、そのアプローチの仕方が独特。でも自然の摂理にかなっている。誰でも共有できる、というわけにはいかないかもしれないけど、人はこんなにも傷つきやすくて、そして再生する術を教わるともなく自然に知っている。
たとえて言うなら、深爪しすぎた時にジンジン痛むけど、しばらくするとその痛みにも慣れてきて、何日かすると爪が生えてきて痛みは消えている。その深爪の痛みを思い出した時の感じに似てる。まあ、またその痛みを忘れて深爪しちゃう時もあるのですが。
3人の女性の話が同時進行する。
一人目は、14歳のときに生んだ娘を里子に出した痛みを、37年間抱えているカレン。里子に無理やり出した母親との確執。その母を介護しながら、恋愛はもちろん人との関わりを遮断している。しかし、母の死、職場で出会った男性・との出会い、母との架け橋になったお手伝いさん親子との交流で、カレンの頑なな心は溶けていき、里子に出した娘の行方を捜そうとする。
二人目は、その里子に出した娘・エリザベス。養父母とも死に別れ、今は自分自身がつけた名で弁護士として自立している。家族に縁が薄い生い立ちのせいか、結婚も興味がなく、恋愛も彼女にとっては性愛のゲームでしかない。しかし、父親のような懐の深さを持つ上司・ポールとの恋、そして思いがけない妊娠によって、彼女の中に今までなかった感情が生まれる。彼女もまた産みの母をたどろうと思い始めていた。
三人目は不妊に悩むルーシー。養子を取ろうと前向きに動き出す。養子契約の話がうまくいっている最中、夫が急に養子は取りたくないと言いだし、夫婦間に亀裂が入る。ルーシーは離婚し、一人で養子を育てようと決意する。
この3人がうまい具合にクロス。「Mother and Child」の原題の通り、母との子の関係性が中心なのだけど、女性たちをとりまく男性や多国籍な人々の関わりが多面的で、そしてご都合主義と感じられない自然さでよかった。
素敵ジジイのポール役、サミュエル・L・ジャクソンと、カレンを癒すパコ役のジミー・スミッツが、体で心で全身で女を癒す男性ががっちりはまって、いちいちツボでした。ダメなとこもあるんだけどね。
カレンがパコのさりげない優しさに「あなたって神様?」みたいな事を言うシーンがあったんだけど、こんなセリフ言われる男ってほんとすごくないか〜?アイラブユーよりすごい告白をしたことを、カレンがあんま気づいてなくて、これもまたギュッと心臓わしづかみ。
やさしくしたいのに、やさしくされたいのに。もどかしさの中、心を開いていき、自分の傷を見つめていく。弱くなることで強くなる。
女性賛歌な映画はたくさんあるし、つらい人生を送って乗り越え再生するっていうのも定番だけど、じゃあほんとにオンナってそんなにすごいもんかね?と思うことも少なくない。ほんとは男も女もないんだよ、って思うし。ロドリゴさんは、今、女性を描かせたら敵なしな感じだけど、それは表現したいモチーフだからであって、実は男性を描いてもすごいんじゃなかろうかと。
あ、そういやそこまでどんよりじゃなかったかも。ロドリゴさんの今までの作品がどんよりが多かったのでー。
-「わたしを離さないで」
キター!どんより小説家(←ひどい)カズオ・イシグロの名作映画化ですよー。わーい。いや、好きなんですよ、カズオ・イシグロ。でも、あんまりのどんよりさに「日の名残り」と今作しかまだ読めてません…。読んだ人なら分かるけど、ひたすらジャブ、じわじわボディーにきて、最後はグロッキーになる、そんな作家なんです(←ほめてます)。
これはスクリーンで見れてよかった…。原作をうまく映画化したなあ、と思います。いろいろエピソードは若干変えてきたけど、それも映画という手法の中で、シンプルに伝えるには必要だったかなと納得できたし。
原作で感じた主人公の3人への愛おしさ、同じ気持ちを映画で持てました。
内容はネタばれしちゃうと面白くないんですけど。
ある施設で育ったキャシー、トミー、ルース。特異な施設である事を子供ながらにも気づきながら、淡い恋心を交え、「普通の人」と変わりなく育っていく。キャシーとトミーは、運命的な絆で惹かれあっているけ。しかし、ルースの介入により、ルースはトミーと付き合いだす。3人はだんだんと離れていくことになる。大人になり、「介護人」であるキャシーが、「提供者」となったルースとトミーと再会する。よみがえる純粋な思い。もう一度つながれる絆。しかし残酷な真実が彼らを待っていた…。
って書いてもなんのこっちゃでしょう。まあ、これある種のSF映画なんです。でも、イギリスの田園風景、少年と少女の淡く純粋な心の交流はほんとにただ、普通の恋愛ものがたりだと思う。
キャシーの最後の、「私たちと彼らのどこが違うというのだろう」と台詞のように、人は何故生まれ死んでいくのか、理由も分からず一生を終える。キャシーたちが抱える悲しさや、経験してきたいろいろな感情や思いは、私たちのそれと同じ。だからSF映画であってSF映画でない。
日の名残り」でも、結局、人生の最後には悲しみしか残らないの?とどんより考えさせられたなあ。でも、それだけに登場人物に同情よりも共感に近い感情移入をしてしまう。原作読んでも、映画見ても、カズオのばかー!でもスキー!って思っちゃうんだよね。
キャシー役のキャリー・マリガンかわい〜。なんか潔癖に近いくらいの清純さと、少年ぽさの残る少女像がぴったし。
トミー役のアンドリューは、実は好みでないのですが、イギリス英語のなまりは完ぺきでびっくりしました。「ソーシャル・ネットワーク」の時はラテン系だと思ってたのに、こっちでは英国人に見えたもんなあ。原作読んでた時は、トミーのイメージはどちらかというと、ジェシー・アイゼンバーグが近かったんだけど。アンドリューのトミーは結局がっちりはまったわ。
そしてそして、ルース役のキーラ・ナイトレイがずっぱまりでしょう。ともすれば悪役のルース。これを、美女キーラが、控えめ演技で恋の脇役を演じたことでルースの悲哀がじわじわきました。
そういや、施設の校長役のシャーロット・ランプリングは「愛の嵐」で見せた微乳が美しかったですが、ぜひキーラで「愛の嵐」リメイクしてほしいわー。微乳&エラ張り系美女ってことで。
あ、これ、そういや字幕がなっちゃんだったのですが、なっちゃんにしては珍しく訳が気にならなかったなー。なっちゃん誤訳見つけるの趣味なのにー。もしや誤訳が多すぎて反省したか、ゴーストのレベルがあがったのかね。