je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「ハゲタカ」

やっと見に行きました(見たのは日曜日)。ハゲタカ。大森南朋主演ですよ、しゅ・え・ん。
土曜日にに美容院に行って、担当の人が映画好きなので、いつも見た映画の話をするのだけど、まだハゲタカは見てないようだったので「ハゲタカってどうですかね」と振ってみたら、「ああ、玉山鉄二くんのね〜。ファンなんですか?」「いや、主演の人の方の」「あー、あの渋い人」と返されました。知ってただけ良かったけど(名前は知らなかったみたいだったが)。渋いイメージなんだ、大森君。まあもうアラフォーだし〜。いいんですけど。
しかし、そのイメージの通り、かなーり渋い役作りだったね!いきなり伝説の人になってるし。やっと出てきたと思ったらブランデー飲んでるし!お前は裕次郎か!とつっこみたくなりました。でもブランデーグラスの持ち方が「裕次郎持ち」(もしくはゆうたろう持ち)じゃねーんだよね。そこまでやるならぜひやってほしかった(ネタのように言ってますが、裕次郎(ゆうたろう)持ちが正しいブランデーグラスの持ち方です)。ワインとか、シャンパンとか、カクテルとかじゃだめだったのだろうか。
と、ストーリー展開とまったく関係ないブランデーネタで初っ端から気が気でなくて、その上やっと日本に戻ってきたと思ったら、西乃屋の旅館の猫が〜。もうふくふくでなでなでで、猫メインに見てしまったよ。大事な鷲津と西野の再会なのに。あれは禁じ手ですってば。もう大森君の顔が「俺も猫なでたいな〜」とうずうずしているようにしか見えなくなってくるし。(この辺の萌えポイントがすべてkai嬢とかぶっていて、やはしと思いました。)
それにしても、龍平君、まったく人気旅館の若旦那に見えないよ。いつも外で猫なでてるか、タバコ吸ってるばっかだし、愛想ないし。あんな目つきで「ようこそ」とか言われたら、帰りたくなる。猫に会いたいので行ってみたいけど。
話は相当、最近の世界経済状況を反映して、盛り込みまくりなわりにきちんとまとまってて見応えあるなあという感想。そもそものドラマ見てない人にはちょっと分かりづらい部分もあるけど、ただドラマのベースありきで良いものができてるので、まったく違う映画版になってなくて、作り手の意思がくっきり出てるのは今時の媚びがなく潔くてよかったかも。
中国ファンドに乗っ取られそうな日本の大手自動車メーカーって、もう現実にめちゃありそうな話で。タイミング的には、不況で大幅赤字になったトヨタが思い出されるけれど、どちらかというと99年の日産がモデルじゃないかと思われる。技術力に確かなものがあり、しかしそれに固執するあまり経営がたちゆかなくなり、というのは。そして、アカマ自動車のシンボルとも言える、夢の車アカマGTは、先頃復活した日産GT−Rであるのは車好きならすぐ分かる。
ただ単に、リーマンブラザーズや、派遣切り、中国資本、というネタだけで引っ張るなら、別にハゲタカでなくてもよい。そこを「日本」という国そのものの問題と絡めた時に、自動車産業というものがいかに日本で大きな位置を占めているか、改めて気づかされる。由香が派遣工の集会を取材しようとした際に、上司に自動車業界からの広告料で成り立っているTV業界の立場を諭され止められる。この辺は、もうNHKしかできない技である。日本の自動車会社の不況について、民放の報道がいかに抑制されたものだったか、一般の人々はどれだけ気づいていただろうか。
私がまだ学生や20代の頃はの頃は、車は男の子のステイタスだった。周りの男の子は18になったら免許とって、親の車を乗り回すか、廃車寸前のボロ車をただ同然で引き取り壊れるまで乗っていた。男の子が免許持っているのは当たり前で、女の子は車の種類や運転技術が男の子の判断材料のひとつだった。別にモノで人を判断していた、とかじゃないのだ。バブル世代ではなかったけれど、お金がなくても車を持つ事がアイデンティティの一つだったからだ。「のりもの」に目をキラキラさせている男の子の夢に、女の子は憧れ恋をしていた。日本人の車に対する思いには、物質的ではなく、もっと大きな根があったはずなのだ。
しかし、最近の男の子は免許を取らず老後のために貯金をするという。車好きの先輩のブログに「自動車を売っている人にも思い入れが無く、ただ他のものと同じように自動車を売っている」とあった(また「CD屋に行っても音楽を知らない店員が多くてつまらない」というのもあった)。利益追従は、経済社会に必要ではあるけれど、やはり何かを取り違えている。それだけに、柴田恭平演ずる芝野の最後の台詞が意味をなしてくる。あれはかなり甘い台詞で、アカマが自力再生するのは無理な話なんだとは思うが、やはり人の思いがモノをつくってきたのなら、やはり思いがすべての原動力であると信じるしかないのだ。鷲津があれほどの荒療治をして、あえてハゲタカとなったのは、いつもその思いを信じているからに他ならない。
大森君演じる鷲津は、最初は伝説の人になってるし、途中でドバイに行っちゃっていなくなるし、あんま台詞も少なくて、玉鉄演じる劉に押されっぱなしで、おーいと思ってたのですが、やはり最後の方でがーっと来ましたねー。「買い叩く×3」あたりから。かっこよすぎじゃね?感情を抑えている役のため、目や仕草や背中で語る、そういうことが自然と伝わってきた。そして、つくづく「受け」の演技が上手い人だねえと。今回特に、玉鉄が相手を食いちぎりそうなほどの熱演だったので、受ける側に回っていたというのもあるけど、若手をしっかり受け止める俳優になったな、と。ドラマの時は柴田さんの役回りだったのが、余裕アリアリでできるようになっていて。なんか、子供の成長を喜ぶお母さんの気持ち。
ただ、今回は鷲津は中間管理職のようで可哀想でもありました。年下の劉はやりたいほーだいで、オラオラ状態で煽ってくるし、年上の芝野さんは「まかせたぞ」といいつつフォロー無しのなげっぱだし、古谷社長には金集めてこいやーといじめられるし。上と下から挟まれてしまって、そのせいか、中盤は鷲津がさらに老け込んで疲れたサラリーマンに見えてきた。
あと、インタビューで玉鉄に「大森さんってあんなクールに演じてるけど、経済とか一番分かってないでしょ」とつっこまれて苦笑いしていたのとか、麿パパのコメントで「(経済の)話は難しいのに分かってんのかな」と心配されていたのがあったので、鷲津ファンドのスタッフにいろいろ報告受けて、鷲津が眉間にしわ寄せてるシーンとかで「心の中では意味わかんね〜とか思ってるんだ。西乃屋の猫かわいかったなーとか思っているに違いない」といちいち心の中で突っ込んでしまいました。ごめん大森君。鷲津は引退したら、西乃屋の番頭さんになるといいと思います(確実に龍平君ののハッピ姿よりはまりすぎ)。
となんだかんだ言って、一番ぐっと来たのは、エンドロールで「大森南朋」の名前が最初に来た時でした。感無量。