je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

こまつ座「小林一茶」@紀伊国屋サザンシアター(楽日)

初日の緊張感はみえず、幕が開けてからゆるやかな、でもテンポの良いリズムが流れる。
一茶(北村有起哉)と竹里(高橋長英)の運命的な出会いで始まるファーストシーン、二人の友情が重ねて濃く彩られていく中盤、運命に踊らされた二人の行く末まで、ねじれたりほどけたりを繰り返す。同じ夢を見続けて、同じ女を愛した男の友情は歪さを乗り越えて、離れてもなお、互いを忘れることがない。男女のそれとは違い、思い出や形に縛られていないがゆえに、男同士の関係性は強く結びついている。
パンフのインタビューを読むと、北村君と高橋さんの関係もすでに役と重なるようにみえる。高橋さんは北村君の存在を意識し、北村君は新しい世界(芝居)への緊張と期待を語る。常に一茶を自分の中に意識し続けた竹里と、己の生き方のみ追求し続けた一茶のように。30代と60代、ちょうど父と息子ほどの年の違い。未来だけを見続ける青年と、現在と過去と周辺をバランスよく見据える熟年。
劇中劇の形をとっているので、おかしみを基盤に楽しく分かりやすく見られた。狂言回しとなる、札差の五十嵐俊介(北村二役)の軽快で明るい正義漢ぶりは、一茶や竹里のねじれた人生をキュッと締める。人は醜く、ずるく、悲しい。けれど、その底や裏に隠れた想いを五十嵐は受け止め、粋に采配してしまう。一茶よりも、五十嵐の方が素の北村君に近いんじゃないかな。育ちがよく、まっすぐで、柔軟性があって。
キムラ緑子さんは、二人の男と俳句に翻弄される女性を、重くなく粋に演じていた。翻弄されながらも、流れに身をまかせて、すべて受け止めて。そして、二人の男を同時に好きだとさらりと言いのける。同性から見ても「かわいい女」と思える。
カーテンコールの時の北村君は、初日の時のような笑顔はなかったけれど、とてもほっとした顔だった。いつもは爽快な顔の北村くんにしては珍しいかな。それだけこの芝居が、いい重力を彼に与えていたんだろう。