je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

絵本工房vol.5『あいかぎ』@麻布die pratze

(あらすじ)
都会の片隅で、鍵師修業に打ち込む青年に突然訪れた淡い恋。
閉ざされていた小さな扉。その扉をひらくとき、青年の前に現れたものは?
振動・夢・記憶の欠片……。探していた大切なものは、いつでも、ここにあったのに……。

マイミスト・井上真鳳さん主宰の公演。音楽担当のnamyanさんとの組み合わせも、かなり呼吸が合ってきて、熟してきたかなという今回の公演。
案内をいただいたときに、「今回はマイム中心」という話を聞いていたので、どんな感じなのか、まったく分からなかった。井上さんの、絵本工房やお芝居は見させていただいているが、まったくのマイムだけというのは見た事がない。
会場はロフト風で、舞台は平たく、客席から舞台を見下ろす感じ。どこから役者が出てくるのか?と思っていたら、客席の一番後ろからだった。
外国の地で、行商人らしき男が、自分の過去を客に話し出す、というオープニング。客席の方に話しかけるので、ちょっと客いじりもして、今回は少し変わった趣向。今まで、井上さんの芝居で、こちらを凝視していたり、絶叫芝居もあったけれど、それは客席にではなく、その先のまったく違う世界にだったように思う。今回はあえて、こちらに「伝える」という形式をとっているのか。これって、結構難しいなと思うのだ。客席を歩き回ったり、客席も舞台の一部として扱うのは手法として珍しくないが、客席をいかに巻き込むというのは、演者の手腕にかかる。お笑いであれば、いくらか「笑い」という万国共通の感情のツールで可能だと思うが。
井上さんの場合、男が話す過去が、決して話したとおりの華やかなものでなく、実は自分でも思い返したくない恥ずかしいものが隠されている、という点で、客席に「それが見たい」という思いを起こさせることで、客席巻き込み型をうまく使った。
今回は特に、言葉が少なく、マイム中心で、見慣れている私も集中力を必要としたし、分からなくなった部分も実はあった。井上さんの作品は、特に内省的なものを表現するので、主人公が沈めば沈むほど、その心は難解になる。しかし、namyanさんの音と歌詞がうまく言葉の部分をカバーし、演技の動きの激しさが、主人公の哀れなあがきに重なって、言葉を使って説明するより、最終的には見た感じはすっきりとしていた。
余談だが、ちょうど、こうの史代の「長い道」を読んだ後だった。その作品の絵による描写が、ともすれば見落としてしまいがちでありながら実は重要で、表現という意味を色々考えさせられていた時だった。言葉にする必要はないし、その言葉が必ずしも分かりやすい必要はない。言葉以外に表現を持つのであれば、それを駆使するのも「表現」なのだ。そして、言葉を使うときも、難解でも平易でも、その人の世界観が伝わる事が必要なのだ。
もしかしたら、井上さんはもっとマイムで伝えたいのかな?と感じた一作。
個人的に、とっても女性役が素敵なので、今度は女性を主人公にやってほしい(過去精神的に女性の役は演じられているが)。女形・・・という型だけでなく、動きとしての女性、表現としての女性、をどう演じるか見てみたい。ものすごい悪女とか、面白そうな気がするのですが。
そういえば、開演前に「中国の人だと思ってた・・・」というお客さんの声が聞こえた。確かに真鳳(まこと)って私も最初ぜんぜん読めませんでした。男の人だよね・・・?とも思ったのを思い出します。

井上さんのブログ:http://blog.livedoor.jp/makotino1/
絵本工房HP:http://www.ehon-kobo.com/