je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

絵本工房vol.3『歯車の隙間』@六本木アトリエフォンテーヌ

3回目となった、井上真鳳さんのマイムによるひとり芝居。

−時計の音は人生を刻む音−
街のかたすみで時計屋を営み
時計をこよなく愛する一人の青年と
店を訪れるさまざまな客たちの中で繰り広げられる
ちょっと不思議な物語

穏やかな聞きなれた時計の音。主人公の青年はその中でひとり、時計を慈しみながら、時おり訪れる客を応対する。彼にとっては、人よりも、時計のほうが近しい。淡々とした、変わらない時間の流れの中で、彼は心の中に癒せない傷を抱えている。それを誰にも知られないまま、孤独に慣れて。
今回の話は、前の二公演と比べ、少し暖かな空気。Vol.1はまったくのひとり芝居、Vol.2は二役という設定から大きく変り、今回は何役もこなす。主人公の青年以外に、隣りの喫茶店の陽気な店長、無理難題を言うお金持ちの老人、陽気な妻思いの工事現場作業員、わけありなチンピラ、そして青年の父親の若い頃。井上さんは帽子や眼鏡、仕草で軽妙に演じ分け、たくさんの顔を見せる。その軽妙さが、芝居全体にも、ある種の見やすさや軽さを与えている。
前二回は、人の内面を描くということが表現のメインであり、場所や他人との距離感というものは、それを描き出すためのツールでもあったように思う。けれども、今回はそれぞれのキャラにドラマがあり、その中で青年が自分の内面と向き合い、気付き、変わっていく。受動的ではあるけれど、以前より拓かれた部分が多くなった。
時計、時間を刻むもの。それが大きく関わっていることは否めない。誰にでも同じように流れる時間。けれど過ごし方はそれぞれ違う。すれ違う思いの中、見方を変えただけで、違う景色が見えることがある。井上さんの表現は、「時間」というアイテムを具体的に加えたことで、より立体的に多面的になった。
時の流れは止められない。時間が解決してくれる、などというご都合主義の言葉ではくくれない。それでも、時が経った事で、見えてくることはある。その中で自分が気付くことができ、手を伸ばす勇気があるか。井上さんが、青年の葛藤を表現したマイムで、最後にすくい上げるような手を高く差し伸べた。何を受け取り、受け入れたのか。言葉にするより先に、ふうっと目頭が熱くなった。
基本的に、ひとの内面を描く、というスタンスは変わらない。それは重いテーマを扱うことである。掘り下げて、自身の底をひとり見つめる作業は、見ている側にも否応なく突きつけられる。
けれど、それが今回、もっと穏やかで優しい空気が漂っていた。
音楽のnamyanさんが時おりタイミングを計るために井上さんを見やる、その信頼の眼差し。スタッフの丁寧な舞台づくり。それらが、今回はより井上さんの支えとなり、力となっているように感じた。そのことが、演技に余裕が生まれていた。これはもうひとり芝居ではないな、と思う。
歯車の隙間。それはきっと今の井上さんやスタッフの中に生まれた思いなんだろうと思う。