je suis dans la vie

ライブとか映画とか芝居とか。ネタバレ有り〼。

「海を飛ぶ夢」@日比谷シャンテシネ

(ネタばれあり。これから見る人はなるべく読まないでね)
スペインの海のある美しい村に住むラモン。彼は若い頃に事故で首から下が不随となってしまった。彼が望むのは「尊厳死」。尊厳死の団体の協力を得て、法的に実行しようとする。しかし、それは言葉を変えたとしても「自死」、助けたものは「自殺幇助」の罪に問われてしまう。
年老いた父親、兄、兄嫁、甥、家族は献身的で、愛情に満ち溢れている。ラモンは常に笑顔で、音楽や詩を愛し、穏やかだ。けれど、彼の根底にはたゆまない死への願いが流れ続けている。
テーマは重く、暗い。けれど、ガリシアの海の美しさ、村の穏やかな風景、ラモンを取り巻く人々の温かさが、ひと時それを忘れさせる。同じ苦しみを持つ弁護士との、悲しくも運命的な魂の共鳴。自分に投げられる人々の思い。最後の瞬間まで、彼はそれを拒絶せず、受け止めている。結局は振りほどいていってしまうのだけれど…。
これだけ愛されている人が、魅力的でないわけがない。最後の死を助けてもらえるような人が、孤独であったわけがない(物理的な意味においてのみだが)。賢い人でもあっただろう。ハビエル・バルデムの演技は、実在したラモンはきっと、こんな優しい瞳の人だったんだろうと思わせる。
ラモンはセンシティブでありながらも、偽善や表面的な優しさに対して手厳しい。わけ知り顔の神父に「友よなんて言われたくない」と一蹴し、協力しながらも最後にありふれた言葉で止めようとした団体の女性に「君もみんなと同じだね」と冷めた言葉を投げつける。そして、傲慢ではなく、そこに強く凛とした意思を感じてしまう。彼はもう我慢し続けたのだ。彼の中では、人生は生きるに値しなかったのだ。でなければ、他人はともかく、30年近くも生活をともにした家族を悲しませてまで、死を選ぶ理由があるだろうか。
結果はどうあれ、「死ぬな」と彼に言うことを許されたのは、ともに暮らす家族だけであった。他の人には論理的に話していたのに、兄や父には言葉を濁した。一緒に見た母に、「もし家族の立場だったら」と問うてみた。それまでは客観的に、尊厳死に理解をみせていたのに、「止めるに決まってるじゃない」と、家族の顔になった。そう、それでいいのだ。ラモンも、それはそれとして受け止めていた、そう思う。
私は、まだ尊厳死というものについて、はっきりとはコメントできない。自分のためにも、人のためにも、まだ生きているか、それすらも不明瞭だ。ただ、昨年、事故にあったその瞬間、「ああ、死ぬのかな」と一瞬思った。と、同時に「私でよかった」と不意に思った。こんな目に合うのが、自分の愛する人でなくて本当に良かったと。
ラモンは、最後に、誰も罪に問われないように「尊厳死」を実行した。彼が、法律で「許された死」を実行したかったのは、自分のためでもあるだろうけど、誰かに負担をかけるような死にしたくなかったのではないか、とも思った。だったらいいな、というかすかな願いだけれど。