je suis dans la vie

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「バット男」@シアターサンモール(2004/10/24 楽日)

水橋研二くん主演、河原雅彦さん演出の舞台。始まるのを楽しみにしていたけれど、楽日だけ見に行ったのは、なんとなく「水橋くんなら大丈夫」という安心感があった。何年かぶりの舞台で、映画中心にやってきた水橋くんだけれど、彼の力量からしてみると場所が舞台になっただけで、発する力は同じだった。いや、生なだけに期待以上だった。

水橋くん演じる博之は、高校の頃に「バット男」とあだ名のついたホームレスの男を忘れらない。バットを持っているのに、バットを使わない男。襲われても抵抗しない。そして死んでしまった男。弱者の象徴。
高校時代からの友人の大賀に、仕事のできない同僚の増渕に、バット男を投影している。弱いやつはいつまでも弱い、と切り捨てながらも「なんで抵抗しない?」と気にしつづける。でもかばうことも、完全に無視することもできない。「近寄らないで」とあらゆる人と距離を取りながらも、何かを待っている。
弱いのは自分。バットを持ちたいのは自分。心の中のバット男にバットを渡され、博之は錯乱し慟哭する。最後は自分を受け入れる・・・。たぶんそう。
じわじわとクライマックスへ向けてのテンションが良かった。同時に怖かった。水橋研二は発光体だ。普段はかわいくてシャイな男の子なのに、演技をし出すと違う「もの」になる。光る「もの」は人間なのか、この世のものかどうかも分からない。触ったら熱いのか冷たいのか。それを確かめるなんて怖いこと、私にはできない。離れて見ているくらいでちょうどいい。でもそれじゃ博之と一緒かな。
亜紗子役の持田真樹ちゃんが好演。健気で一途で、走りつづけてしまう純粋な狂気の女性をちょうど良い温度で演じた。大好きな夫の大賀に言った「いつも私のほしくないものばかりくれる」という台詞は、古今東西の男女の永遠のズレを表している。でも、人を好きになるなんて、そんなものかもしれない。ほしい物をくれる人を愛せればいいのだけれど。好きだから求めすぎてしまう、わざと傷つけてしまう。
実をいえば、そういう風に人を好きになったことがある。大賀と同じで、博之のようなつまらない男を親友だと思い大事にしていた人だった。全部くれないなら、何もいらない。それだけその人を好きだった、と気が付くには私は若くてプライドが高かった。亜紗子はかわいそうだけど、最後まで逃げないで自分の気持ちを全うしたと思う。ちょっとズキンとした。
人間はなにもかもに向き合うことは無理だ。日々は流れていくし、忘れていかなければ、心がオーバーヒートする。でも、自分には向き合わなくちゃいけない。自分からは逃げられないから。