起きてしまったことは取り返しがつかない~G.GARAGE///『ジュリアス・シーザー』@Hall Mixa池袋
招かれた市民となって

Hall Mixaは初めて。もとは映画館ということで、ミニシアターのような配置。座席は若干舞台を見上げる形で、椅子にドリンクホルダーがついている。
会場入り口付近の窓口ではシーザーが愛飲したという蜂蜜酒「ミード」を衣装姿の俳優が販売し、また他の俳優はやはり衣装姿で場内案内をしている。この日は客演の新宿梁山泊所属の二條正士さん(ディーシアス/ピンダラス役)が主に担当されており、席案内、観劇の注意などをされていた。地下のさほど広くない会場をローマの広場に、観客を市民に見立てて芝居の中へ招き入れる。よくある演出手法ではあるが、今回の小さめのキャパの会場には合っていた。
二條さんは紫テントの『リチャード三世』でも案内係をされていたが、よく通る声は大きいがうるさくはなく、シャープな響きを持つが耳にするりと入る。「てらいがない」という美徳の声。(ところで注意案内の時に「スマホ」はローマ時代にないので、その単語は言わないようにしてたので面白いなと思ってたら、「映画館」もなかったはずなのにそれは言っていた。)
シンプルだが統一された世界観
ブルータス(河内大和)を中心としたローマの武人たちの衣装のベースは白。紙のような素材。それぞれ少しずつデザインが違うが、イメージは和服。上はシャツの形か和服の合わせの形、下はニッカボッカか袴の形。その上に裃のような羽織をまとう。それぞれどこかしらに赤色のポイントがある。腰ひも、ボウタイ、腕輪、スカーフ、リボン。
また舞台も白い。白い床と真ん中に置かれた白い平台。そして真っ白な背景に、一筋の赤い血のような糸がたれている。小道具も赤を使う。すべて白い世界の中で、赤は流された血のイメージか、これから起こる惨劇の予兆なのか。
ただしジュリアス・シーザー(工藤俊作)だけは、銀色の豪奢な羽織をつけており、アントニー(真以美)もまた内側に同じような銀色の模様が見える。
紙のような素材なので、うっすらと皺や凹凸がある。白だが決してその表面は滑らかでも光沢があるわけでもない。白は高潔で穢れがない、という一般イメージを逆手に取ったとも思えた。よく見ればしわくちゃで破けてしまいそうな白い紙の世界は、まるで人の心のようではないか。『ジュリアス・シーザー』の陰謀と疑惑の渦に巻き込まれ、扇動に動かされる人の心。
また紙のような素材は、一度くしゃくしゃにしてしまうと戻らない、というイメージも芝居のテーマに合っていた。
後半はアントニーは赤いドレスのような衣装、オクタヴィア(土屋神葉)は青、と白い世界から脱出する。
ルーシアス(エミ・エレオノーラ)と占い師(のぐち和美)だけは黒い服で、黒子や狂言回しのポジション。
高潔な魂を凌駕する魅力的な声
この芝居の見どころはやはり「高潔で善良な世界を信じた愚かなブルータス」と「賢く野心家で求心力のある魅力的なアントニー」の演説シーン。
主宰で看板俳優である河内大和さんのブルータスは、漢気あふれる義理人情に厚い繊細なブルータス。対して看板女優である真以美さん演じるアントニーは、大きな声で人を引き付けるのではなく、うわさばなしのように耳元に吹き込む。その声音は落ち着きがあり、ブルータスのそれより魅力的に誘うスタイル。
以前、さい芸の勉強会の一部がYouTubeで公開された時に、河合祥一郎先生がブルータスとアントニーの演説の違いについて話されていた。以下概略。
- ブルータスの演説はシェイクスピアの創作(散文)だが、アントニーの方はプルタークの『英雄伝』*1にある(ブランクヴァース)。
- ブルータスの方が語数が多いが、アントニーの方が民衆の心をつかんだ.(理由は次に)。
- 民衆への呼びかけの違い。両方とも「友よ」と語りかけているが、ブルータスは最後に言っているので弱い。
ブルータス:”Romans, countrymen, and lovers! ”(→lovers=friends)
アントニー:"Friends, Romans, countrymen, lend me your ears" - ブルータスは説得する口調で、民衆は落ち着いて聞く感じになり、血は騒がない。アントニーはリズムで効果を出し、盛り上げることで民衆を引き込む。観客をのらせる「演劇的手法」。
共和制を維持したい、国を守りたいというブルータスの高潔な考えはたいへん正しい。しかし、人の心を動かすのは信念や情がなくとも、魅力的な人物の魅惑的な「声」。
観客は市民ではあるが、ブルータスがどう悩み、決意し、信念のために行動したか知っている。それが河内さんであれば、観客はなおさら共感を持つ。が、真以美さんの魅力的なまなざし、小動物のような愛らしさは、よくある「血気盛んで求心力だけはある若者」のパワーというよりは、人は時に正しくはないが魅力的な人に吸い寄せられるという事象をまさに舞台でやってのけた。
これは河内さんはもちろんだが、真以美さんのシェイクスピアの読み込みの多さ、深さ、強さたる所以だと思う。それは女性だからではない。もちろん性別による効果は否定しないが、今回は圧倒的に戯曲の理解度が反映されていた。
特に今回鈴木彰紀さんがいなかったので、主要ポジションで絶対的安定感のあるのが河内さんと真以美さんに集中したため、今作では逆によかったかもしれない。
その他の演出
魅力的な声、といえばやはり二條さんもよい存在感であった。レギュラーメンバーは河内さんとのコンビネーションはよいが、河内さんの世界観や存在感がはっきりしているがゆえに、俳優のイメージがそれと同一化してきたので、客演によるコントラストはひとつのキーとなっている。今後劇団として活動していくそうだが、客演も変わらず様々な方を招いてほしい。
ルーシアス役のエミ・エレオノーラさんの暗示的な歌は、ローマを舞台にした人々の変わらない願いを響かせる。「自由」という言葉は、このローマの時代を抜けて、フランス革命へとつながる。政治劇として、露骨に今の時代につなげるような演出はなかったが、エミさんの歌が時代を超えた悲しきテーマのように耳に残る。我々民衆も、高潔なる人も、自由という心の平安を求めているだけなのに。
キャシアス(荻野崇)とブルータスの関係性は友情、より強いブロマンス的表現もあるが、今回はちょっとベタな「おまえとおーれーとーはどうきのさーくらー」みたいなバンカラな雰囲気だった。G.GARAGE///は「シェイクスピア道」という和的イメージなので、武士道をイメージのひとつとしているのだと思う。ただその面をことさら型にはめて、これ以上に男くささばかりを強調すると、安っぽく感じるきらいもあるなと思った。いわゆる分かりやすい「男くさい=かっこいい」系は、すでにLDH系とかクローズZEROみたいにコンテンツ化してしまって手垢がついてるので、できればブルータスのように上品で高潔なイメージは維持してほしいところだ。その意味でも真以美さんの存在はたいへん大きい。女性だからということではなく、フラットな目線でのシェイクスピアへの理解度が高いからだ。もちろんできれば所属俳優の女性の比率も同程度あった方が面白いとは思うが、そういう方向ではなさそうだなとも感じた。
覆水盆に返らず
高潔な魂で、信念を持って愛する尊敬するリーダーをブルータスは殺める。悩み、友を信じ、赦し、包み込むほどの懐の深さがあるブルータス。アントニーに隙を見せてしまう、つめの甘い政治家。
正しいことが良きことではなく、価値観も状況もたえまなく変化する。それはいにしえの世から変わらない。
時は進み続けて、戻ることはない。起こってしまったことは取り返しがつかないのだ。
後悔、反省、開き直り、悲しみ、時に狂う。人の世のなんと無常なことか。
しかし勝って権力を握ったアントニーが、この後どうなったか観客は知っている。彼もまた、取り返しのつかない人生を歩んでいる。
余談:お前もかは先か後か
「お前もか、ブルータス」なのか「ブルータス、お前もか」、どっちなの問題。
原作戯曲では
”Et tu, Brute! ”
Et tu はラテン語、英語では"And you” の意味なので、「お前もか、ブルータス」が正しい。
なんか日本では「ブルータス、お前もか」が主流で、CMかなんかで使われてみな知ってるイメージ。ジュリアス・シーザー知らなくてもこの台詞だけは知ってるという人多いですよね。ちなみに私はパタリロのギャグで使われて初めて知ったくちです。